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side さくら  怜が手を握っていてくれたおかげだろうか、夕方まで夢も見ずにぐっすり眠れた。 体のあちこちに、痛みが残っているけれど、寝る前よりもはるかに気分も体調も良い。  手首の傷は殆ど痛みを感じなくなったし、どうやら今度こそ血が止まってくれたようだ。  起き上がると、急に空腹を感じた。怜が何か作ってくれているはずだと思い、ベッドを抜け出し、寝室のドアを開けた。 「怜、居る?」  また出かけてしまったかも知れないと思い、俺はそう聞いていた。 「さくちゃん…」  洗面所の方から戻ってきた怜が、心配そうに俺のことを見た。遠慮がちな声に聞こえるのは、俺がさっき変な態度をとってしまったからだろう。 「具合はいかがですか?」  そう言った怜と、視線がぶつかり合った途端、胸が痛くなる。 どうやら、こっちの症状はどんどん進んでいるみたいで、目が合っただけなのに自然と身体が火照ってしまった。 「うん…気分良くなったよ。腹減ったし」  ドキドキして仕方無かったんだけど、なんとか、普通に会話が出来そうだ。 「そうですか、良かった。今、用意しますから」  怜の作ってくれた雑炊を食べながら、洗濯物をたたんでいる怜の姿を事をボンヤリ眺めていた。 「なぁ、明日は何時の飛行機にしたの?」  俺がそう聞くと、怜は洗濯物をたたんでいる手を止めて、俺の方を見た。 「10時の飛行機にしました。ここを8時位に出ますよ」  相変わらず優しい笑顔だ。 「わかった。空港まで、バス?」 「そうです。大丈夫ですか?」 「あぁ、多分ね。今はすごく調子良いみたいだよ」  寝る前までは、色々な事でモヤモヤした気持ちだったけれど、今はそれがすっかり晴れたようで、自分でもホッとしていた。  あの時は、キスの理由が俺に対する好意であって欲しいって思っていたのに、それを裏切られたように思えて、拗ねていたんだと、今では思える。 もしかしたら怜も俺と同じように、自分でコントロール出来ない感情に悩んでいるかもしれない。  そうか、怜の場合は、感情ではなく吸血鬼の本能に操られてしまっているんだ――。    怜の事を好きだって思う気持ちは、どんどん強くなってて、自分でも戸惑ってしまうけど、こうやって怜と過ごす時間が、幸せだって今は素直に思えた。  それに…明日は怜と一緒に出かけられるんだ。それを考えると、遠足の前日のように、ウキウキした気分になってくる。  最初で最後の旅行になるんだ。怜を思う気持ちも、もうすぐ消えてしまうんだろう。 だから…今は怜と居るこの時間を、大事に過ごさなくてはいけないんじゃないだろうか――。

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