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side さくら
しばら何も考えないようにと音楽に集中しているうちに、何だか気持ちが悪くなってきてしまった。
相当調子が悪そうに見えたのだろう、ヘッドフォンを外し俯いている俺に、 隣に座っていたおばさんが声をかけてくれた。
「ちょっと、あなた、顔が真っ青よ? 乗務員さん呼んであげましょうか?」
「あ…いえ、大丈夫です…トイレにでも行けば…」
俺がそう言うと、おばさんは備え付けのエチケット袋を取り出して俺の方に差し出した。
「ここに袋もあるから、これ、使ったら?」
俺はこの場で吐くのが嫌だったから、トイレに行こうと立ち上がった。
「ありがとうございます。でも、ちょっと行ってきます」
後方にあるトイレに行こうと思い、立ち上がって後ろを向いた。その途端、眩暈がして倒れそうになった。
「さくちゃん! 大丈夫ですか?」
怜が慌てて立ち上がり、俺の体を抱きとめてくれた。
「…怜…気持ち悪い」
俺は必死に訴えた。
「トイレに行きましょう」
俺は怜に支えられるようにして、トイレに向かった。
トイレでひとしきり吐くとすっきりして、あんなに気持ち悪かったのが嘘のようだ。
狭いドアを開けると、トイレ横の通路で怜が心配そうな顔をして俺を待っていた。
「吐き気は治まりましたか?」
「うん。大丈夫…」
「今、席を変わってもらえるように話をしてきましたから」
怜がそう言った。席を変わってもらったんだ? 怜の隣に座れると思うと、とても気持ちが楽になった。
「ありがと…ごめんな」
怜と一緒に席に戻ると、俺の隣のおばさんが、怜の座っていた席に移っていた。
「どうもすみません…」
「あら、いいのよ。うちの旦那は着くまで寝てると思うし。それより、お兄さんがとっても心配してたわよ…大丈夫なの?」
お兄さん? そっか、今度は、兄弟のフリしたんだ…。
「はい。なんとか大丈夫です…」
「そう? ゆっくり寝ていくと良いわよ」
「ありがとうございます」
俺がそう言うと、怜がおばさんに深々とお辞儀をしていた。
後ろの女の子達の溜息が聞こえてきそうだったけど、俺はそんなのどうでも良かった。怜には俺のそばにいてもらいたかった。怜が誰かと楽しそうにしてるのなんて絶対嫌だ…。
今だけ、俺の怜でいて欲しい。この感情が消えてなくなるまで…。
俺は、CAさんの持ってきてくれたブランケットを肩まで被り、眠ろうと思った。
その時、怜が俺の掛けているブランケットの端を引っ張り、自分の右手に掛けた。 それから、周りから見えなくなったその手で、俺の左手を優しく握ってくれた。
俺はすごく嬉しくて、怜の手をギュッと握りかえすと、怜の肩に頭をもたれ掛けて、目を瞑った。
「そばにいて…」
小さな声で囁くと、怜が握っていた手に力を込めた。
気分が悪かったのは、怜が女の子と楽しそうに話していたせいなのかもしれない…。
そう思うと、少し恥ずかしかった。でも、怜がこうやって隣に来てくれて俺は嬉しかった。
今だけ…怜は俺だけのもの――
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