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第4話 何で俺を見る!?
――ヤバイ。結構遅れたな。
解説会当日、棋院に駆け込みながら、俺はスマホで時間を確認した。午前中は、出張指導が一件入っていた。ところが、生徒宅から棋院に向かう途中、人身事故と遭遇してしまったのだ。すでに、開始時刻を三十分以上過ぎていた。
会場に入ると、大勢の観客が着席していた。皆、静かに解説に耳を傾けている。
――馨、どこかな。
きょろきょろしていると、解説の棋士と目が合った。若い男性だった。
「ここでツケる(相手の石の隣に打つこと)と……」
ふと、解説の声が途切れる。彼は、真っ直ぐに俺を見据えた。一瞬、俺はドキリとした。
――何だよ。途中入場くらい、よくあることだろ……。
心の中で反発しつつも、俺は何故か、彼から目が離せずにいた。それくらい、彼の瞳は印象的だった。くっきりと大きな、アーモンドみたいな形。そして、はっとするほど鋭い光をたたえている。
視線が交わったのは、四、五秒の間だっただろうか。すぐに彼は目を逸らして、解説に戻った。俺も、ようやく馨を探し当て、隣に座った。何と馨は、最前列にいた。
「遅かったな」
馨は、小声で囁いてきた。
「悪い。人身事故に巻き込まれて……。で、なんでかぶりつきなんだよ」
「そりゃ、菜乃ちゃんを近くで見たいじゃんか」
――俺までそう見られるじゃねえか。
俺はため息をつきながら、大盤を眺めた。今日の碁聖戦第二局は、遠坂白秋 七冠と若手挑戦者の対決だ。今のところは、七冠がやや優勢といった様子である。
解説の棋士は、張りのある聞き取りやすい声で、説明も簡潔ながら、要点を抑えていた。観客の間からは、「分かりやすいね」という声がひそひそと聞こえてくる。
――分かりやすいといったって、しょせん、プロは碁を打つのが仕事だ。説明の上手さなら、負けてるもんか。
俺は心の中で呟いた。教えるスキルには、自信がある。だからこそ、最初は塾業界を選んだくらいだ。
「さて、次の一手としては、単純にノビる(自分の石を縦か横につなげて伸ばすこと)というのが考えられますが、他に思いつく方はいらっしゃいますか」
解説の棋士が、観客に問いかける。自信のある者が何人か挙手したが、いずれもありきたりな答だった。
その時であった。
「そこの君は、どう思いますか」
棋士は何故か、俺を見据えて問いかけてきた。
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