16 / 168
第16話 これが、彼の正体
「なっ、何で……」
「しーっ! 気づかれたらまずい」
彰に制止され、俺ははっとして口をつぐんだ。彰は一瞬躊躇った後、俺の目を見て静かに告げた。
「これが、君の大好きな『洋一さん』の正体。表向きは愛妻家で通ってるけど、若い女性囲碁ファンには、ああやってすぐ手をつける。このことを知ってるのは、一部のプロだけ。文月九段は、ファンも奥さんも上手く騙くらかしてるんだ」
「で、でも! 一緒に食事してるからって、そうと決まったわけでは……」
とっさに言い返したものの、俺も内心では分かっていた。店に入って来た洋一さんは、いずみさんの腰に手を添えていた。何より、あの独特の雰囲気。恋愛に疎い俺でも感知できるくらいの、親密な二人の空気……。
「君がショックを受けるだろうとは思ったんだけど、いつかは分かることだから……。なら、早い方がいいかなって。ほら、冷めないうちに食べよう? デザートも頼もうか? 急に呼び出したのは僕だから、僕が奢るよ」
「……」
俺はカタンとフォークを置いた。さっきまで美味しかったパスタは、急に何の味もしなくなっていた。
――俺は一体、洋一さんの何を見てたんだろう……。
「別に、片思いでも良かったのに」
気づけば、そんな台詞が飛び出していた。
「由香里さんのことを大切にしてる洋一さんだからこそ、好きだったんだ。それに……」
――拓斗に、ちょっと似てたから。
しかしその台詞は、口には出せなかった。俺は黙って、一気にワインをあおった。目に涙が滲むのが分かる。彰は、心配そうな顔をして、俺の左手にそっと手を重ねた。こんな場面を見せたのは奴だというのに、俺はそれを振りほどけずにいた。
どれほど時間が経っただろうか。勇気を出して、もう一度二人の方を振り返った俺は、ぎょっとした。二人は、店を出ようとしていたのだ。いずみさんはかなり酔った様子で、洋一さんはそんな彼女を抱きかかえるようにしていた。
――まずい!
俺は、反射的に椅子から立ち上がった。彰は、唖然とした表情で俺を見上げた。
「何する気?」
「決まってんだろ。止めないと!」
俺は、二人を追って、店の外に走り出た。
ともだちにシェアしよう!