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第62話 勲章みたいなものだ

 確かに彰の言った通り、天然温泉はがら空きだった。俺たち以外に、利用者なんていない。 「こんなの、よく知ってたな」  ――急に思いついて追っかけて来た割にはさ……。 「そりゃあ、先ヨミして計画を立てるのは碁の基本……と言いたいとこだけど。でも旅行に行くなら、普通これくらいは調べるでしょ?」 「――悪かったな、調べてなくて」  ――俺だって、食事や温泉のことは調べてはいたけど。でも空いてる時間までは……。  ふと見ると、彰はため息交じりに首をぐるぐる回している。奴には珍しく、疲れたような仕草だった。 「疲れてんのか?」 「ん? まあね。最近、仕事が立て込んでいたし……。温泉に入れて、ちょうどよかったよ」  とは言いながらも、よく見れば顔色もあまり良くない。俺は決心して、奴の元へ近寄った。 「おい、向こう向け。肩でも揉んでやるよ」  ――忙しくて疲れてるのに、俺のためにここまで来てくれたんだもんな……。 「どうした風の吹き回し?」  くすくす笑いながらも、彰は素直に従った。しかし、彰の背中を見た途端、俺はうっと声を上げそうになった。一面に、ひっかき傷が散らばっていたのだ。それは紛れも無く、俺自身が付けた跡だった。そう、彰が俺の家を訪れたあの日に……。 「どうしたの? 揉んでくれるんじゃなかったの?」  彰が振り返る。俺は気恥ずかしさから、大声を上げていた。 「お前なっ。この状態で、何堂々と温泉に入ってんだよ! 人に見られでもしたら……」 「ああ、これ? 別に見られたっていいじゃない。僕にとっては、勲章みたいなものだ」  彰は平然としている。逆に俺の方が真っ赤になってしまった。そんな俺を見て、彰はにやりと笑う。 「昴太って、エロいよね」 「な……。お前だけには、言われたくないわ!」 「だって今、絶対この前のことを思い出してたでしょう。僕の部屋に来た時だって、その前のことを思い出してたし……。昴太、そんなにしょっちゅう、僕とのセックスを思い出してるの?」 「ンなわけ無いだろうが!!」  人がいないのをいいことに、俺は絶叫した。しかし彰は、何をどう解釈したのか、俺の背後に回り込むと、俺の身体を抱き込んできた。 「お前、まさか……。何する気だ?」 「昴太、ごめんね」  何故か、彰が謝る。それも、気持ち悪いくらいに優しい声音で。 「頻度が足りなかったね? だから、反芻してたんだよね。僕としたことが、気づかなくて申し訳なかった」  ――人を、欲求不満みたいに……。

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