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第66話 詫びを入れないと

「くわーっ。ムカつくわ!」  部屋に戻った俺は、きんつばをヤケ食いしながら彰に先程の顛末を語った。 「取りあえず金は叩き返したし、速攻、東京へ帰る! お前はどうする?」 「帰るって……。せっかく名人戦の開催地まで来たのに、解説も聞かずに帰るわけ?」  彰は呆れ顔をした。 「あんな男の解説なんか聞きたくねえし!」 「ついこの前まで、洋一さん洋一さんて騒いでたくせに」 「いちいち昔のことを持ち出すなよ!」  俺は彰を軽く睨んだ。 「まあ、仕方ない。それなら僕も一緒に帰るよ……。ところで」  彰は心配そうな顔をした。 「腹が立つのは分かるけど……。勢いで辞めてしまって、大丈夫? 僕が、どこか他の囲碁サロンを紹介しようか?」 「いや、いい」  俺はかぶりを振った。こうなったのは自分の責任だ。第一、恋人とはいえ、そんなことをしてもらったら彰と対等でいられなくなる気がした。 「元々フリーでやってたんだから何とかなるさ。『文月』で働く前も、個人指導だけで食えてたんだから……あっ」  話の途中で、俺ははっと気が付いた。 「俺、馨に詫びを入れないと」 「どうして巽君に?」  彰が不思議そうな顔をする。 「『文月』で働けるよう口利きしてくれたのが、あいつだから……。ちょっと行って、説明してくるわ」  俺は、勢いよく立ち上がった。そういえば、このホテルで落ち合おうと約束してたのに、昨日はドタバタしすぎて全然連絡を取れていなかった、と思い出す。しかし彰は、「待って」と俺を引き留めてきた。 「彼に申し訳ないと思う気持ちは分かるけど……。辞める本当の理由は話さない方がいいよ? 巽君は良い人だけれど、少し口の軽いところがある。不倫の当事者の文月九段と綾瀬さんは自業自得だけれど、文月九段の奥さんに伝わる可能性を考えた方がいい」 「確かにそれもそうだな」  俺は頷いた。由香里さんの悲しむ顔は、俺も見たくない。 「何か他の理由をでっちあげることにする。悪いけど、ちょっと待っててくれ」  俺は彰を部屋に残して、馨の部屋へ向かった。

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