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第89話 捨てる神あれば拾う神あり

 ――俺、まずいこと言ったかな……。 「実家には、二度と戻るつもりはありません」  一瞬の沈黙の後、匠さんの凛とした声が響く。俺は思わず彰の顔を見たが、奴にも驚いた様子は無い。俺は不思議に思った。彰なら、継母と暮らしたくないという気持ちも分かる。でも、匠さんなら実の両親がそろっているというのに。どうしてそう、実家を疎むんだろう……。  それは、この兄弟の暗黙の了解のような気がした。俺はそれ以上何も言えずに、黙って食事を続けたのだった。  食事が終わると、匠さんは早速荷造りをすると言って、自室にこもった。先に風呂を使ってくれと言われ、俺はお言葉に甘えることにした。 「着替えは僕のを使ったらいいよ。荷物から探し出すの、面倒だろう?」  彰はそう言って服を貸してくれたが、シャツもスラックスも、明らかに俺にはぶかぶかだった。  ――何か、悔しいんだけど……。  そんなことを思いながらバスルームのドアを閉めようとすると、彰が「待って」と言う。そのまま奴はドアを手で押さえると、強引に身体を割り込ませてきた。 「おい! 何入って来てんだよ!」 「何って、使い方を教えてあげようと思ったんだけど?」  ――紛らわしいんだよ……。  ところがそう思ったのも束の間、彰は中からカチャリと鍵をかけた。 「と思ったけど。やっぱり、一緒に入ろうかな」 「なっ……」  あっけにとられる俺を尻目に、彰はさっさと服を脱ぎ始める。 「昴太、今ちょっとがっかりしたような顔してたし」 「してねえ! 都合よく解釈すんな! ――ていうか、匠さんいるのに、こんな……」  俺は声を落として抗議しようとしたが、彰はあっという間に裸になると、今度は俺の服を脱がせ始めた。 「ダメだって……」  その時、リビングで俺のスマホが鳴る音が聞こえた。 「仕事関係かもしれねえ! 彰、先入ってろ。分かったな!」  彰が、渋々といった様子で俺を放す。バスルームを出てスマホを手に取ると、メールが一通来ていた。件名は『講師のご依頼』。 『風間先生。突然のメッセ―ジ失礼します。私は××区にあるほのか幼稚園で教諭をしております影山(かげやま)と申します。当幼稚園ではこの度、園児と保護者を対象とした囲碁講座の開催を計画しております。先日、囲碁サークルで先生のお名刺を頂戴し、是非お願いできないかと考えた次第で……』  ――捨てる神あれば拾う神ありだ。  俺は思わず、ガッツポーズをしたのだった。

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