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第95話 惜しいことをしたな
「やあ、昴太くん」
幼稚園に出勤すると、影山さんが爽やかに俺を迎えてくれた。彼は俺のことを、下の名前で呼ぶ。同じ大学なんだしフランクにいこう、と彼が言い出したのだ。俺も彼のことを、徹郎さんと呼んでいる。
影山さんは俺をしげしげと眺めると、ちょっと笑った。
「昴太くん、何だか今日は、色気がだだ漏れてるね」
俺は思わず赤くなった。
――そりゃ、彰の奴が朝から二回も盛るから……。でもそういうのって、分かるもんなのかな……。
「それに、ここ。痕ついてる」
影山さんは、俺のうなじをトントンと指でつついた。瞬時に意味を理解した俺は、今度こそ真っ赤になった。
――あの野郎。俺が気づかないのをいいことに……!
「彼氏?」
「はい、まあ」
「へえ。きっと、昴太くんが可愛いから、気が気じゃないんだよ。自分のものだって、主張したいんだろうね」
俺は、返事に困った。
「昴太くん、モテるでしょう。彼氏以外にも、色んな男性に言い寄られてそうだな」
「そんなことないですよ。亮佑と別れてから最近までフリーでしたし」
影山さんが妙に絡んでくるので、俺は違和感を覚えた。男同士だから、セクハラとまでは言えないだろうが。
「そうなの?」
影山さんは、大げさに目を見開いた。
「だって、秋野と別れたのって、大学三年の時でしょ。今まで誰とも付き合って来なかったの?」
「仕事に没頭してたんで。それに俺、そんなにモテませんから」
別れた時期までよく知ってるな、と俺は思った。何だか微妙に、居心地が悪い。
――彰の奴が、痕なんかつけやがるから。ああ、早く仕事の話題に移ってくれないかな……。
「惜しいことをしたな」
その時影山さんが、ぼそりと呟いた。俺は思わず、えっと聞き返していた。
「何がですか?」
「別に。ああ、そうだ。女性の先生たちが、今度昴太くんの歓迎会をしようって言ってるんだけど。どう?」
「嬉しいですけど。でも、職員でもないのに、いいのかな」
俺はちょっと遠慮したが、影山さんは是非にと誘ってくれた。
「来週の土曜で計画してるんだけど、都合は?」
――来週の土曜か。
俺はドキリとした。その日彰は地方の仕事で、泊りがけで出かける予定になっている。匠さんと二人きりで一晩過ごすのは、正直憂鬱に感じていたところだった。
――一緒に晩飯も食わなくてすむし、ちょうどいいや。
行きますと答えると、影山さんは嬉しそうに笑った。
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