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第97話 DVの典型例だ
俺をはねた自転車は、逆切れみたいな台詞を残して走り去って行った。うずくまる俺の元に、影山さんが焦ったように駆け寄って来る。
「大丈夫?」
「はい……。それよりも、あいつを追っかけないと……」
俺は慌てて辺りを見回したが、拓斗の姿はもうどこにも見えなかった。絶好のチャンスだったのに、と俺は歯ぎしりした。
「どんな事情があったのか知らないけれど……。怪我をしてるんだから無理はするな。救急車を呼ぼうか?」
「いえ! 大したことないですから」
「ねんざはしてないみたいだけどね……」
影山さんは、心配そうに俺の足に触れた。
「でも、ちゃんと手当はした方がいい。俺のアパート、この近くなんだ。おいで」
確かに、自転車にぶつかった際に転倒したせいで、あちこちすりむいている。ちょっと迷ったが、俺は彼の好意に甘えることにした。
影山さんのアパートは、幼稚園とその最寄り駅の中間くらいの、便利な場所にあった。彼は、俺を部屋に上げると、ベッドに腰掛けさせて手早く応急処置をしてくれた。手際がいいですね、と褒めると、彼は可笑しそうに笑った。
「そりゃ、仕事柄慣れてるからね」
手当をし終えると、影山さんはためらいがちに聞いてきた。
「差支えなければ、聞いてもいいかな? 一体、何があったの? 誰かを必死に追いかけようとしてたみたいだったけど……」
「実は情けない話なんですけど、高校の時の友達に、金を借り逃げされてしまって……。さっきは、偶然そいつの姿を見かけたんです。どうしても、返してもらいたくて」
「そういうことだったんだ」
影山さんは、納得したように頷いた。
「それは大変だったね。でも、昴太くんは優しいんだね。困っている人を、放っておけないんだ?」
「ただの馬鹿ですよ」
俺は自嘲気味に笑った。
「そいつの人間性なんて分かってたのに、騙されてホイホイ貸しちゃって。別の友達には呆れられました。彼氏にも、馬鹿かって、張り倒されましたし」
すると影山さんは、眉を寄せた。
「彼氏に、暴力を振るわれたの?」
「えっ、そんな大げさな話じゃないですって」
思いがけない彼の反応に、俺は慌てた。
「ほっぺたをペチッてやられただけですよ。それに、俺が悪いのは確かなんで」
しかし影山さんは、ますます顔を曇らせていく。
「そういうのを何ていうか知ってる? DVだよ。典型例だ。最初はこの程度っていうのが、次第にエスカレートしていくんだ。そして被害者は、自分が悪いからだと思い込む。DVは男女間の行為と思われがちだけど、男性同士のカップルでも見られることだよ?」
突然始まった小難しい話に、俺は戸惑った。
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