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第104話 気安く触らないでもらえますか

 一週間後の日曜。俺は朝から、ほのか幼稚園で囲碁講座の講師を務めていた。  あれから俺たち三人は、以前と変わりなく暮らしている。俺は、匠がやった一連のことを、彰に言えずにいた。証拠も無い状況で信じてもらえるか、不安だったのだ。そして匠はといえば、何事も無かったかのようにけろりとしている。てっきり、キスの件を彰に言いつけたり、幼稚園での仕事を妨害したりするのでは、と思っていただけに、それはかえって不気味だった。 「昴太くん。ちょっと話、いいかな」  昼の休憩時間、俺は影山さんから声をかけられた。 「はい?」 「ここじゃちょっと。外に行かないか」  影山さんは、俺を園の裏庭に連れ出すと、不安そうな目で俺を見つめた。 「昴太くん、俺に怒ってるの?」 「え、どうして」 「だって、○インの返事、くれないから」  ――ああ、そういえば。  匠のことで頭がいっぱいで、俺は返信するのをすっかり忘れていたのだった。 「別に、怒ってはいません。でも、もう二度とあんなことしないでください。それに、ああいうメッセ―ジを送るのも」 「もしかして、彼氏に見られちゃった?」  影山さんは、はっと顔色を変えた。 「彼氏に、じゃないですけど。でもちょっと、まずい奴に見られちゃって」 「――そうか。悪かった」  影山さんは、申し訳なさそうにうつむいた。 「そうだ、怪我の具合はどう?」 「あ、それなら治りました。徹郎さんの手当てが良かったみたい。もうすっかり綺麗なもんです」  俺はシャツの袖をまくると、彼に腕を見せた。 「本当だ。痕が残らなくて良かったよ」  影山さんが、嬉しそうに俺の肌に触れる。その途端、鋭い声がした。 「僕の恋人に、気安く触らないでもらえますか」  振り返った俺は、ぎょっとした。  ――何で、彰がここに……。 「ああ、昴太。君にこれを届けに来たんだよ」  まだ表情を強張らせたまま、彰は俺に何やら布の包みを押し付けた。 「弁当。匠が、いつも君に食事を作ってもらって申し訳ないから、たまにはって」  ――あの野郎……! 「ええ? 昴太くんの彼氏って、天花寺彰七段だったのかい?」  俺が歯ぎしりする横で、影山さんがすっとんきょうな声を上げる。さすがに驚いたようだ。 「僕は、この幼稚園の教諭で、影山徹郎と申します。昴太くんとは、大学も同じでね」  俺が止める間も無く、影山さんはさらりと自己紹介してしまった。 「へえ……」  初耳だぞ、という顔で彰が俺をじろりと見る。ああ、と俺は限りなく嫌な予感に襲われたのだった。

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