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第122話 勝負の世界には、親も子も無い

「もちろん、最初は拒否したわ。そんなこと、とんでもないと思った。でも、彼に説得されたのよ。天花寺家なら、棋士として育てるための環境が整っているって。私と彼の子なら、きっと立派な棋士になるだろうと思った。私がシングルマザーとして育てるより、その方があの子のためになるのかもしれない、そう判断して私は説得に応じたの」 「で、でも! 彰の気持ちはどうなるんですか。そりゃ、あいつは何も言いやしないけど……」 「悔しければ、それをバネにすればいいわ」  詩織さんは、きっぱりと言い切った。 「あの子が飛び込もうとしているのは、勝負の世界なのよ。そこには、親も子も無い。自分を捨てた母親が憎いなら、それを原動力にすればいいわ。そして私は、あの子ならきっとそれができると思った」  予想以上に厳しい言葉に、俺は唖然とした。でも、俺は直感的に分かった。この女性は、彰に深い愛情を持っている。そして、あいつを認め、信じている……。 「――お考えは、よく分かりました。でも、一つ聞いて頂けないでしょうか。あいつの育った天花寺家には、実は大きな問題があるんです……」  そう前置きしてから俺は、彼女に向かって語り始めた。  天花寺家の次男、匠は雪乃夫人が浮気してできた子であること。彰同様、疎まれて育った彼は、彰に依存しきっていること。そしてエスカレートした匠は、彰の恋愛を邪魔するようになったこと。その手口は巧妙なため、彰本人は気が付いていないこと……。 「僕も、匠さんによって彰と別れさせられました。恐らく、復縁は無理だと思います。でも、それはもういいんです。僕はただ、彰に幸せになって欲しいんです。だから、お力を貸していただけませんか? 初対面でいきなりこんなお願いをするなんて、非常識だということは分かっています。でも、あいつには、誰も助けてくれる人がいないから……」  詩織さんは、黙って聞いていた。しばらくして、彼女は口火を切った。 「匠くんが、彼の子でないことは知っていたわ。彼から聞いたからね。まさか、そんなことになっていたとは思わなかったけれど……」 「お願いです。何か、良い方法は無いでしょうか? このままでは、あいつはこの先誰と恋愛しても、幸せになれないと思うんです……」  俺は必死に縋ったが、詩織さんは静かにかぶりを振った。 「あなたの気持ちは分かるけれど……。匠くんの本性を見抜けないということは、あの子はそれだけの人間なのよ。それで本当の幸福を逃したとしたら、それは匠くんのせいでは無くて、あの子の自己責任よ」

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