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第159話 売却することに決めたの

 事件から、一か月が経った。俺は、彰より一足先に退院することになった。当日は、馨が朝から手伝いに来てくれた。準備が一段落したところで、俺は奴を病室に残して、彰の様子を見に行った。  しかし、彰の病室の前まで来て、俺はドキリとした。部屋の中から、バラバラという激しい音が聞こえてきたのだ。ノックをしてそっと扉を開けると、碁石が床に散らばっていた。彰が、はっとしたように顔を上げる。故意に投げつけたのは明らかだった。 「ごめん。これから君の部屋に手伝いに行こうと思っていたんだけど……」  別に、と言って俺は碁石を拾い始めた。彰も、ベッドから降りて一緒に拾い始める。そのやつれた横顔を見つめるうち、俺は何だか胸が痛くなってきた。 「なあ、彰。あんまり……」  思いつめるなよ、と言いかけたその時、ノックの音がした。遠慮がちに顔をのぞかせたのは、由香里さんだった。 「風間君? 巽君から、ここだって聞いたから……」 「来て下さったんですか! ありがとうございます」  懐かしい彼女の笑顔に、俺は思わず顔をほころばせた。 「彰先生も、お加減はいかが?」 「おかげさまで。僕も、もうすぐ退院できるそうです」 「そう、良かった」  由香里さんは、ほっとしたような顔をすると、再び俺の方を向き直った。 「ごめんね、来るのが遅くなって。色々と、バタついていたものだから……」 「いえ、とんでもない」  離婚騒動で大変だったもんな、と俺は思った。すると彼女は、申し訳なさそうな顔をした。 「そうそう、風間君には、もう一つ謝らないとね。いずみちゃんから聞いたの。うちを辞めた、本当の理由」  俺は、ドキリとした。 「ごめんなさいね、ちっとも知らなくて……」 「いや、僕の方こそ。洋一さんのことを黙っていて、すみませんでした」 「風間君が謝ることじゃないわよ。悪いのは全て洋一よ」  由香里さんは、ため息をついた。 「本来なら、戻って来てって言いたいところなんだけど……。でも残念ながら、『文月』は手放すことになったから」 「あれ、お店は由香里さんのものになったんじゃなかったんですか?」  ――いずみさんからは、そう聞いたけど……。  すると彼女は、意外なことを言った。 「ええ、一旦はね。でも私、『文月』を売却することに決めたの」

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