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第2話
02
空腹で目が覚めた。
起き上がり、腹をさする。
暗い室内では、今の時刻はわからない。鈴音は、そうっとドアを開け、廊下に出た。冷たい石畳を裸足で歩く。
階段を上りきると、もう一つ扉がある。そこにも鍵はかけられていない。
扉の先からは赤い絨毯が敷かれている。
そのできるだけ隅を歩いた。
途中、外にも解放されている渡り廊下で立ち止まった。空を見上げる。青く、太陽は高い位置にあった。正午あたりだろうか。
外に出、目当ての場所まで歩く。柔らかい草が気持ちがいい。
やがて、壁際に置かれた大きな桶を見つけ、首を左右に振り周囲を見回した。誰もいないことを確認し、自分の身の丈ほどある桶の中を覗く。
残飯入れだ。毎日、取り替えられるため、それほどの臭気はない。
大半が汁ものにつかりふやけてしまっている。浸かっているモノも様々だ。魚や肉、野菜にパンに米、昨日の残りだろうか、ケーキも入っていた。
手を伸ばし、半分が柔らかくなってしまっているビスケットを拾い上げた。
ためらうことなく口に放り込み、桶から離れる。
やや酸っぱいそれを無理矢理飲み込んだ。
「魔族だ!」
突然の声に、鈴音はその場にしゃがみ込んだ。頭を抱え、耳を澄ます。
どうやら自分に向けられた言葉ではないとわかると、次第に呼吸が落ち着いていく。
少し離れた場所で、何かの鳴き声とそれをはやし立てる声が聞こえる。
「気持ち悪い、魔族め」
鳴き声が続く。
明確な言葉ではないにも関わらず、悲鳴だと感じた。
鈴音は駆けだした。壁の角を曲がり、少年達の前に姿を現す。
少年達の目は、魔族から鈴音の方に向けられた。
一瞬、呆気にとられた後、すぐに楽しげに口元が歪んだ。より面白い獲物の登場に興奮しているようだ。
鈴音はじっと立っていた。
先頭に立つ少年が、何の躊躇いもなく、鈴音をぶった。倒れる鈴音に次々と少年の手が伸びる。
「なんでここにいんの? 後でリゴール様に言いつけてやる」
「今日も残飯あさってたのか、汚い奴」
「魔力なしのくせに、城にいるんじゃねえよ」
ぐいと、伸び邦題になっていた前髪を持ち上げられた。少年の1人が呪文を唱えている。
まっすぐ自分を指している指に、鈴音はぎゅうと目を閉じた。
「……ロスエミアカナリエア、風よ、刃となり、標的を断て!」
ザク。
支えを失った鈴音の身体が地面に伏す。少年の手には、長く白い髪が持たれたままになっていた。
笑い声が聞こえる。
これまで魔法での攻撃は受けたことはなかった。鈴音は新たに覚えた恐怖に身体を震わせた。今度こそ、殺されてしまうのではないか、そうぼんやり思った。
鐘が鳴った。
少年達の手が離れる。
「やべえ、授業の時間だ」
パタパタと足音が遠ざかっていく。
鈴音は安堵の息を吐いた。
短くなってしまった前髪に違和感を感じる。視界が広い。立ち上がり、魔族の方へと駆けた。
小さな黒い竜だった。翼を含めれば鈴音が両腕をめいっぱい広げたくらいの大きさだろうか。
恐る恐る手を伸ばす。しかし、首を持ち上げた竜に赤い目で睨まれ、噛みつかれた。
鋭い歯が鈴音の指に食い込む。
「ワ族が、裏切り者が、俺に触るな」
くぐもった声が頭に響いてくる。赤い血が漏れ、ぽたぽたと草の上に垂れる。
痛みは感じない。それよりも、向けられた拒絶の瞳に心が沈む。
どうやら自分は魔族からも嫌われているらしい。
食い込む歯から無理矢理指を引き抜く。削げた箇所から血が止まらない。鈴音は竜を抱きかかえ、茂みに隠した。
部屋へ戻り、膝を抱える。
しばらくの間、息をすることがつらかった。
***
『リゴール様に言いつけてやる』
そんな少年の言葉は本当だったらしい。開いた扉の前、父親が立っていた。
大股で入ってきた父に逃げる術なく、鈴音は部屋の角で縮こまる。
肉厚な手が、鈴音の顎を掴んだ。「ほう」と頷く、常とは異なる様子に、嫌な予感がした。
父は笑う。
「あの女によく似ているな」
それからは、何がなんだかわからなかった。
父は、身体を固くするばかりの鈴音を引き立て、身体の奥の奥まで洗わせた。裸に剥かれ、父の部屋の寝台に放り投げられる。
叫び衝動的に抵抗を続けた鈴音は酷く憔悴していたが、それに構うことなく、父は、鈴音を抱いた。
いや、抱くなどという生暖かい行為ではなかった。
鈴音にとっては、これまで受けた中でもっとも恐ろしい暴力だった。
理解ができず暴れれば、殴られた。それでも、静かにしていることができなかった。
何故、父であるリゴールが、何故、嫌っているはずの自分に、汚い自分に、何故、このようなことを、何故、何故。
行為の意味がわからなかった。しかも、この嵐は長く続いた。鈴音の意識が切れるまで、父はその細い腰を貫き続けた。
目が覚めたのは、いつも通りの自分の部屋だった。
夢だったのかとホッと息を吐く。
しかし、すぐにその違和感に気がついた。
ずくずくと痛む腰、清潔感のある衣服、扉の前に食事の乗った盆が置かれている。そして、扉には鍵がかかっていた。
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