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第6話

 姉の声を聞いたのは、それが最後だった。それから、半年ほどして金と感謝状が送られてきて、姉は邪竜に捧げられたのだと悟った。母も何かに気づいたのか、それから一年ほどして亡くなった。 頼むわねと言われていたのに。 最後の約束だったのに。 剣術の稽古が嫌で、逃げだしたイリスを優しく諭したのは、いつもアイノだった。 イリスに物心がついた頃、既に母は病弱で床に伏していることが多かった。八歳上の姉は、母代わりだった。 姉のことが大好きだった。反発することもあったが、それは甘えの裏返しでもあった。だから、姉が生け贄になると知った時、本当は止めたかった。しかし、姉の言葉にイリスは何も言えなかった。姉は芯の強い人だったから、自分が決めたことは突き通す人だったから。 この時ばかりは、曲げてくれてもよかったのに。自分の命を第一に思ってくれて、よかったのに。そんな姉だったから、邪竜討伐の時も、イリスの中で生き続けていた。姉のために、邪竜の首を取ることを決心した。 父はイリスを責めなかったが、それから数年して再婚した。継母は、イリスに対しても分け隔てなく接してくれた。そのことについて、イリスは本当に感謝している。しかし、未だに面と向かって「母」と呼んだことはない。どうしても思ってしまうのだ。母と姉の命を奪ったのは、自分だと。家族を壊したのも、自分だと。継母は自身の罪を具現化したもののように感じてしまい、どこか距離を置いてしまった。  その念を払うために打ち込んだ剣術が、イリスを英雄足らしめ、聖剣の使い手となったのだから、皮肉なものである。竜を憎む間は真実を忘れられた。他者と仲間でいられた。  ただ、これからはそうはいかない。 人々は姉が遠くへ旅立った瞬間から、時が止まってしまったイリスをおいて、明日を生きる。それでいて、イリスに自分たちの二歩も三歩も先へ行くことを望む。  人が望むのだからと、イリスは懸命に前へ進もうとした。傷ついた人の癒しになれば、街の復興に繋がれば、姉もきっとそれを望んだはずだと思ったからだ。邪竜をうち果たした直後はそう割り切ることができた。 (これが、姉さんの望みなのか)    いつからか、一人きりになるとそんなことを考えてしまうようになった。姉は優しい人だったから、人々に平穏が訪れたと知れば、安堵したことだろう。きっと、イリスの偉業を一番に喜んでくれたことだろう。だが、それは、生きて入ればこその話である。 (姉さんだって、明日を生きたかったはずなのに。どうして、他の人達が明日を生きるの?)  イリスは大陸に平和をもたらしたが、彼の心に平穏は訪れなかった。人々は、幸せな未来を描くようになったが、彼に描くべきものなどない。少年の日に心待ちにしていた姉の花嫁姿は、見られるはずもない。記憶の中の姉は、穏やかに笑っているだけ。イリスは己の手で、姉を過去の存在にしてしまったのだ。

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