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第26話

ほどなくしてシグレは、リカルドの屋敷を後にした。イリスの胸中を揺るがしたあの言葉も、善意から来ているものであることは、わかっている。 お前は本当に大したやつだ。街の誇りだと、心からの称賛を受け、イリスの中に残っていた少年としての感情は、喜び一色に染まる。 ただ、その次にこうも言われ、喜色は一瞬にして消え失せた。 「アイノには感謝しなくては。彼女がいなければ、イリスによって世界は救われることはなかった」 ああ、この人も。姉さんを悼んではくれない。俺は決して、姉さんの犠牲を美談にするために、あの化け物と戦ったわけじゃないのに。 イリスは笑顔を浮かべたまま、故郷へ戻るシグレを見送ることしかできなかった。 「東部の商人だからもしやとは思ったが、旧知の仲だったとはな」 ふと、イリスの意識が現実に引き戻される。リカルドの声だ。 「子供の頃、よく遊んでもらったんだ。兄のような人だ」 あの人のように、穏やかな人になりたい。と思った日も確かにあった。ただ、イリスはどこか卑屈で、それでいて気性は荒い。所詮は、無い物ねだりだったとわかっている。 「ということは、お前の姉さんとも……」 「幼馴染みだ」 「縁談の相手か?」 痛いところを突く。 イリスはおかしくもないのに、再び笑ってしまった。 姉はいつも、あの人の側で笑っていた。あの人が結婚すると言った時ですら、そうだった。 「いいや。多分、あの人との縁談だったら、断って生贄になるようなことはなかった」 これは、あくまでイリスの推測である。ただ、彼にとっては、事実と言っても変わりはなかった。だからこそ、何故姉を選んでくれなかったのかと思ってしまうのだ。姉が犠牲にならずとも、イリスが邪竜を討たずとも、不自由には違いないが、世界は回ったはずなのに。 こんな想いをするのなら、英雄として受ける賛辞などいらなかった。姉のいない世界なんて、いらなかった。 「そうか。悪いことをしたな」 「何を。同郷の人間に会うのは久しぶりだったから、楽しかった」 嘘でもあり、真実でもある言葉を紡ぎながら、イリスは遠くを見つめる。英雄としての賛辞など不要だが、それでも彼はその矜持を忘れたくはなかった。 「なら、どうしてだ。泣きそうな顔をしているぞ」 「それは」 言葉に詰まる。目の奥に熱いものが込み上げてきているから、否定はできない。 だが、肯定してしまうと、また、惨めな部分をこの男に知られてしまう。 わからない。どうすればいい。イリスの思考はぐるぐる回り始めるが、いっこうに答えは出ない。後何回こんなことを繰り返せば、姉が託した未来に進めるのか。 イリスは思わず、琥珀色の瞳を潤ませ、リカルドを見てしまう。それは、すがり付くような目だった。 「リカルド」

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