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第29話

「どんなに怖かっただろう。どれほど痛かっただろう。邪竜に生きたまま食われるなんて、俺なら、耐えられない」  そう思うのは、イリスが姉の年齢を追い越したからだろう。そして、邪竜と対峙したことが、皮肉にも姉の身に起こった悲劇をより鮮明に想像できるようにしてしまった。彼女の肉を引き裂いたであろう爪の鋭さ、骨を砕いたであろう歯の強大さ。全てを知ってしまったのだから。  いくら女の方が痛みには強いと言われているとはいえ、これは、人の身に起こりうる領域を越えている。 「何と残酷なことを強いてしまったのだろうか……」 「それは、お前だけが悪いわけじゃない」  生贄は、もともとは王族が編み出した制度だ。もし咎めるとしたら、その責は王族にあるだろう。しかし、そういう問題ではないことをリカルドは承知していながら、イリスに語り掛けている。イリスは当然、その事実は分かっている。だが、姉が生贄を承諾した要因が自分である以上、彼にとっては、自分自身が姉に想像を絶する苦痛を与えたようなものなのだ。  それでも、リカルドのその発言は、イリスを慰めることには成功したようで、その後に続いた発言は、比較的穏やかなものだった。   「分かっているんだ。こうやって、俺が俺を痛めつけながら生きることを、姉さんが望むはずがない。ただ、何というか、こう発作的に、自責の念に駆られるんだ。十年間、考えないようにして生きてきたからだろうな」  静かに涙を流しながら、イリスは吐き出すように、リカルドに語った。その姿があまりに哀れで、リカルドは思わず頭を撫でていた。 「子供扱いするな」  旅の中ではあまり聞かなかった拗ねたような声色に、リカルドは笑う。 「今のお前は、傷心中の子供みたいなもんだろ」 「……否定はできないな」  この一連の流れを思い出すと、感情的になって泣きわめいていただけである。この行動は、そういわれても仕方がないとイリスも冷静になった。 「お前、今までいい子でいようとしすぎだったんだよ。張りつめた糸みたいにしてたのがブチ切れたから、こうなってる」 「そう、だな」 「誰の前でも聖人でいるなんてのは、無理な話だぞ」 「でも、あなたは、俺に良くしてくれる」  今もこうして、優しく抱きしめてくれるとは、恥ずかしくてイリスは口に出すことはできなかった。するとリカルドは豪快に笑って、何の恥じらいもなく、言ってのけた。 「お前には、笑ってほしいからな」

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