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第30話
抱きしめられる温もり。子供の頃以来、忘れていた感覚。イリスが遠ざけてきた行為。
これまでも、旅の中で、父のように母のように家族のように接してくれた人々がいた。感謝していた。ただ、その気持ちは、他人行儀にしか伝えられなかった。
線を引いていた。それは、突き放したのではない。心を近づけてしまうと、心を縛る誓いがほどけてしまうから。復讐を胸に刻んだイリスは消え去り、臆病な本心が顔を出してしまうから。本当の自分を押し殺し、言い聞かせた。
あの人たちは、俺が守らなきゃいけない人たちだから。俺が頼っちゃいけないんだよ。
そう念じると、強いイリスになることができた。しかし、本当は、もっと早く誰かの胸で咽び泣きたかった。
聖剣に選ばれた時点で、英雄となった時点で、それは叶わぬ願いとなった。誰よりも強い人になってしまったイリスを包み込む者など、どこにもいるはずがなかった。
今この瞬間、イリスを抱きしめるこの男を除いて。
この人は、俺に我慢しなくていいと言ってくれた。俺を受け止めてくれた。俺を好きと告げてきた。この人の前では、本当の自分でいて、いいのか?
イリスは、心まで温かくなっているような気がした。体温が精神的な部分に影響するはずがない。そんなことは分かっている。分かっているのだが、そうとしか説明ができない。
そして、変化はそれだけではない。鼓動が、早くなっている。今、この男に抱きしめられている状況が、急に恥ずかしくて堪らなくなってしまった。ただ、あの日と違うのは、抱擁を受け入れることに戸惑いはないという事実。
「リカルド、引かないでくれ。俺は今から、貴方に、おかしなことを言う」
「お前が語る言葉なら、俺は受け止める」
耳元で優しく囁かれた声に、イリスは腰が砕けそうになるが、リカルドが力強く抱きしめているため、そうはならなかった。
「俺は、どうかしているんだ。今、恥ずかしくてたまらないのに」
「うん」
抱きしめられた箇所が熱い。背筋に甘い痺れが走る。こんなものは、知らない。怖い。怖いのに。
「このまま、貴方にこうしていてほしいと、望んでしまうんだ」
イリスは自らその身をリカルドへ寄せた。流石にこれは予想していなかったのか、リカルドが息を呑む音が聞こえた。
「イリス、お前」
「貴方でも驚くことがあるんだな」
イリスがふっと笑うとリカルドは、イリスの体に回していた手を、自らの顔に当てた。
「お前には、いつも驚かされてばかりだぞ」
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