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第7話

 愛を誓いますか、風波に乗って永劫、来世(エアリアル)まで、解脱(オンショア)しても尚?  臨海先進都市で流行の写真映えした結婚式にセシールは参加させられていた。新郎新夫として。純白の巨大な竜が壇上で丸まり、参席者は祈りを捧げていた。セシールは眩しさを放つ竜の鼻の頭に口付ける。青い瞳は人懐こく伏せられた。耳障りなほどの鐘の轟音とともに盛大な音楽が奏でられ、花弁や紙風吹が舞う。四方八方からおめでとう、おめでとうと聞こえ始めた。セシールはただ参席者を眺め、最も遠い席の片隅に座る青年を見つめていた。その者も手を打ち合わせていた。長くは見ていられなかった。結婚相手の白い竜が首を伸ばしセシールに頬擦りする。歓声の中で鐘は鳴り響き、演奏は止まらない。親夫はキュイキュイと鳴いた。セシールはまだ隅で拍手を続けている青年から目を離せなかった。隣の女の子の兄か親戚なのか揃いのコサージュを付けていた。彼はセシールを真っ直ぐ見つめ、視線がかち合うと困惑気味に笑いながらも白い歯をみせた。並びの悪い八重歯に胸を叩かれる思いがした。キュイキュイと鳴く巨大な配偶者となる相手も忘れてセシールはパドリングロードを逆行していた。あろうことか新郎は交友関係もない呼んだ覚えもまったくない列席者のひとりに抑えがたいほどの一目惚れをしてしまっていた。隣の女の子が叫ぶのも構わずセシールは激情を湧き起こす相手の腕を掴み(さら)った。だが式場を出ると、そこは天井も壁も白い部屋で、二面だけガラス張りになっていた。オフホワイトの影が部屋の角に落ちている。床には赤や白、薄紅の花弁が敷かれ、部屋奥には新夫の姿があった。青い目が式中に逃げ出したセシールを見ていた。一目惚れした相手はどこにもいなかった列席者たちはまた式場のように並び、祈りを捧げていた。セシールは大きなベッドの上にいる白い竜の傍に寄った。竜はセシールへ腹部を晒した。交尾器が足の間にある裂け目からぷるりと現れて揺れた。キュイキュイと浮輪を擦るような音で鳴きセシールの首に長い首を巻き付けると頬を寄せる。  セシールはベッドに上がり、純白の竜のクラスパーの下にある子供の拳大はある窄まりを撫でた。白竜はキュイキュイと高く鳴いた。クラスパーが左右に振れ、窄まりが小さく蠢く。竜の長い首が擡げ、不思議な青さを秘めた目がセシールを見て、頬や頭に顔を擦り付ける。クラスパーは跳ね、先端から粘性のある透明な液体を少量垂らし始めた。セシールのほうではまったく準備が整わず、丸みのある腹に乗り、小柄なヒトの脛ほどもあるクラスパーを舐め上げた。先に向かうにつれ細くなっている尾が宙を踊る。人外の新夫はキュイキュイと高く鳴いた。クラスパーからさらに濃い蜜が漏れ出る。セシールはまだ準備が整わなかった。新夫の小さな頭がセシールの脚の間へ近付く。それは交尾相手の不甲斐なさを見るに見かねたヒトの行動を思わせる滑稽さがあった。白いタキシードの上から新夫はそこを甘く食んだ。キュウ…キュウ…と鳴き声を漏らし、加減をしながら新郎の交尾器を慰めた。セシールは股間を軽く噛まれたり摩られたりする違和感と多少の不安感を抱きながらベッドを前に祈りを捧げる参席者たちを眺めた。1人歩み寄ってくる女の姿があった。彼女は笑みを浮かべているようでただ口角を吊り上げているだけだった。セシールを見ながら笑顔を模し、祈り平伏す者たちの中で新郎新夫の営みを眺めている。 「エイクレアがいい」  セシールは呟いていた。新郎を滾らせようと努める新夫は青い瞳を見張った。どしゃ、っと音がした。ベッドの上には砂の山があった。青い宝石がそこに佇んでいる。立ち尽くす女は髪を振り乱し、気が狂ったように叫ぶと髪を引っ張り、着ていたドレスを千切って地団駄を踏んだ。祈っていた参席者たちも次々に弾け、砂になる。 「心で決まってるんだ」  女はセシールに薄汚れたボールのような物を投げ付け、彼はそれを受け取った。身動きを取るとシーツの上を砂が滑る。手の中に収まったものを見るとセシールは唇を寄せる。下顎のない頭蓋骨だった。側頭部は陥没し、彼の消えた日の出来事を語っている。哀れみと慈しみを込めて何度も口付けた。それから接吻に疲れると胸に抱いて砂の撒かれたシーツに横たわった。乾いた骨に頬を擦り寄せ、目を瞑る。 ◇  膝の上で筋肉が弾む。バスローブが撓み、仄かな柑橘系の甘みとスパイシーな香気が鼻腔をくすぐる。ソファーが軋んだ。湿った身体に()され、その狭間が蒸れた。シャンプーとボディソープの匂いは自身も使った覚えがある。首に回った逞しさと人懐こさのある腕が重かった。 「疲れちゃいましたか…?」  セシールは鼻先が触れるほど近い唇に身を引いたが、真後ろには背凭れがあった。跨れ、繋がっている。天井にはシーリングファンが回り、照明を点けずともフィクス窓から入る光で十分な明るさが保たれていた。アクアマリンの別荘だった。 「何を…している…?」  濃淡のある青い目は今にも宝石を溢しそうだった。 「ふぇ……?っァん!」  交合を解こうとすると対面からの挿入が深まり、ディーノの中はきつく楔を締め上げた。 「よ…せ、」  セシールはまた立ち上がろうとしたがディーノは腰を揺らして、首を振った。それはまだ交接を続けたいという訴えではなく、腰が抜けて思うようにいかないことで首を振っているらしかった。引くにも進めるにまで動こうとするたび内部が収縮し、ディーノは喉を反らした。 「ダメ…鰐嶋サ……動いちゃ…っあっぅ!」  セシールのほうでもディーノに絞められ、引き搾られ、突き上げる以外に選択がなかった。 「やめよう…、退いてく、れ…」 「待って、待っ、あっあっあッ!」  焦った様子のディーノはセシールにしがみついた。その間も彼の濡肉に扱かれ、食まれ、理性では御せない官能に尻を叩かれる。相手も戸惑いながら下肢を揺らし、自ら肉杭を呑んだ。 「そこばっか、ダメ…っあっう、」  セシールは彼の頭を押さえ、背凭れを伝いながら座面に倒れる。 「すまない…また、」  膝に乗っていたため高いところにある潤んだ目が降りてきて額にキスした。 「おでも…イイって…思ったから……鰐嶋サンのせいじゃないです…」  まだ互いに火照った状態だったがセックスは終わりを告げた。抜ける感覚にディーノは甘い声を上げ、セシールもその時の収斂に下腹部の熱を硬くしてしまう。 「悪かった」  ソファーを降りたディーノへ謝ると彼は首を振る。白みの強い跳ねた銀の毛先が誘うように揺れた。 「いいんです、大丈夫です。おで…ちょっとでも鰐嶋サンに触れて嬉しかったですから…」  バスローブを直して彼は2階に上がっていった。セシールも昂ぶったままの一部をバスローブで隠した。数秒ぼんやりとしてから突然ソファーを軋ませ頭を抱えた。自意識過剰では片付けられない確信的な好意に刺される。嬲るように毛穴ひとつひとつに彼の人格とはまた別に作用している好意の針が減り込み、身体中から血が吹き出しそうだった。 「調子が悪いんですか」  気配もなく他者の声が聞こえ、セシールは怯えを隠さなかった。飛び跳ねんばかりに顔を上げる。アクアマリンが買い物袋をテーブルに置いたばかりだった。彼女のほうも目を丸くして驚いている。 「あの雨でしたし、海水に浸かっていたのでしょう。熱はどうですか」  思わず、近付いてきた彼女のピンク色のロングスカートの裾を見てしまう。生成(きなり)のスリッパが素朴な彼女らしかった。額に細っそりした薄い掌が乗る。アクアマリンの澄んだ瞳を見上げた。彼女は首を傾げ、何か言いたげな彼の話を聞こうとしている。 「とりあえず下着を買ってきましたから着てください。連絡は取ってありますから、すぐに迎えに来てくださると思います」  セシールは結局何も言わなかった。アクアマリンは愛想笑いをして用件を告げ、庭に用があると言って外に戻っていった。玄関扉の閉まる音がして、またセシールは罪悪感に襲われた。アクアマリンを疑ったこと、ディーノの好意を拒絶してしまうこと、故人への慕情が冷めやらぬこと、他にもあることは確かだったがその他のことは輪郭がはっきりとしなかった。アクアマリンとディーノの関係が何で、ディーノとはどういう付き合いで、自身とアクアマリンとはどこで出会い、何故ここにいるのか、それがすぐに思い出せず、ソファーの上で項垂れ、長いこと考えて鈍い頭痛を伴いながらやっと記憶を引き摺り出す。上体を起こした途端、背後から両目を塞がれた。耳の奥が籠り、空気が抜け、水没した感覚に陥る。 「あのさ、おで…いつも鰐嶋サンに触るとネ、不思議なカンジがするの…」  視界は閉ざされ、セシールの意識は水中にあった。泡とともに指輪が浮かぶ。水面から射す光を借りずとも煌めくその小さな銀に手を伸ばしていた。 「おで…、多分、ここに居ちゃイケナイみたい。いつも、変なんだ。鰐嶋サンのコト、空から見てた。もしかしたらおで、死んだヒトなのかも知れないの。鰐嶋サン…」  指輪を掴み取る。それは手の中で光芒ごと潰れた。横に伸び、平たいものを掴んでいる。 「なんてネ!なぁなぁ、セシール。ツカレタよな、そろそろ。それで、ティノスを刺せ。そしたらサ、この輪廻(スクリュー)止まるから」  水中で掴んだものが、夢の浮遊感が消えてもまだ手の中に残っていた。セシールは目元を覆う人物の手に触れた。 「あのヒトがちょっと迷ってる今だけしか、もう会いに来れないカラもう行かなきゃなんだジョ…」  少し高い体温と張りのある皮膚、逞しさとあどけなさのある筋肉と肌は遠い日のようで最近触れた覚えがあった。 「傍に居られなくてすまんなッス。頑張ろナ~?」  空港で別れた時そのままの調子と言葉はセシールをいくらか安堵させた。すべて妄想だった。自身の記憶によるものらしかった。 「エイクレア…好きになって、悪かった」  背後から嗚咽が聞こえ、目元を覆う手を剥がした。泣きじゃくり、鼻水を垂らして唇を噛むディーノが立っている。 「ごめん…おで、ごめん…おで、鰐嶋サンのコト好きになっちゃダメだったんだ。ごめん…全部思い出したから、それで、おでのこと、オワラセテ」  目元を拭きながらディーノはセシールの手に握られた短剣を指した。セシールは身に覚えのない刃物に驚き、ソファーに放り投げてしまう。 「ごめん、鰐嶋サン。謝るコトしかできないケド、もうオワリニスルから。もう生まれ変わらないから。二度と鰐嶋サンのコト好きにならないカラ、ごめん…」 「君はエイクレアなのか」  彼は咽び、乱暴に涙を拭きながら躊躇いがちに頷いた。 「半分だけ…だって、そうじゃないと、おで…」  セシールは子供のように泣くディーノから目を逸らした。 「俺には、もう心に決めた人がいる」 「…分かってるヨ。すごく分かってる、全部、分かってる。いっつも、見てたカラ…」  彼に背を向けソファーに座る。不思議な光沢をもつ錆びのない短剣をどうしていいか分からず、脇に直した。まだ背後ではしゃくり上げる声が聞こえた。 「おで…いつでも準備出来てるようにするから…ホントにごめんネ。鰐嶋サンたちがネムレルように、おでもお祈りするカラ…」  咽び泣く声がまた2階に上がっていった。天井ではシーリングファンが回っていた。フィクス窓一面の花畑を眺めた。刺せと簡単に言われて刺せるはずもなかった。落下物の音によって我に帰る。大きな音ではなくあまり質量のない音だった。吹き抜け2階の手摺りからピンクの髪の人形が落ちたらしかった。キャロットグラッセと言っていた彼の快活で爛漫な笑顔がふと蘇る。死んだ者にではなく、生きている彼に靡けたなら前に進めた気になれたのだろう。しかしエイクレアのことしか好けなかった。その結果、彼に想いを寄せたことを詫びねばならなくなった。キャロットグラッセは緑の目で虚空を見つめている。綺麗に梳かされた髪や、整えられた服が乱れている。髪や服を直し、ソフトビニール製の彼女をテーブルに座らせる。気味の悪い人形を土産に買ってくる癖がある恋人を思い出し、少し笑ってしまった。そしてあの青年を刺せるわけがないと結論が出た。セシールは短剣を携え外に出る。庭ではアクアマリンが花を見ていた。 「どうしました」  彼女の目はセシールの手の中の刃物を捉えた。しかし動じることもない。 「少し散歩がしたくなった」 「ディーノさんとは一緒じゃないんですか」 「疲れているらしい。眠らせておいてやりたい」  彼女の脇を通り抜けようとした。アクアマリンは数歩ほど付いてきた。 「彼に、また巻き込んだら傷付けることになるかも知れないが、その時はすまないと伝えてくれ」  アクアマリンは怪訝な表情をして先に行こうとするセシールの腕を掴んだ。彼は嗤って、彼女を振り払う。木々の奥にある海岸で日が暮れていく頃、首を掻き切り、故郷に帰っていった。彼が風波に乗ると同時に大地の端々あらゆるものすべてが砂となって海に消えた。

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