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 CとG。教わったふたつを、ひたすら繰り返す。  たどたどしく、指の形を変えては右手のピックを下ろし、また変えて、下ろし。 「え……、ちょっと」  小宮くんは、真面目な顔で俺の左手を見つめながら言った。 「あのさ、あとふたつ教えるから、繋げて弾いてみてくれる? ちょっと難しいかもなんだけど」 「難しいのは無理だよ」 「いや、ものは試しだから」  小宮くんは、俺の後ろにぐるっと回ったと思ったら、バックハグをするみたいにして、俺の左手に手を重ねた。  ヒエッと、変な声を上げそうになるのを、すんでのところでとどまる。 「ここ全部、上から下まで人差し指で押さえて」 「いた、痛いむりむり……」 「大丈夫。藤下くんならいける。で、中指がこっち」  無理やり気味に押さえつけられ、言われるがままに鳴らした。  すると。 「わ、F出た。すごい」 「いや、一緒に押さえてもらってたから……」 「いけるよ、自力で。ほら、もう1回」  1度離して、今度は自力でさっきの形にして、そのままピックを下ろす。 ――ジャーン  先ほどと全く同じ音が出た。 「ほら、やっぱり。藤下くん、才能あるよ」 「いやいや、買いかぶりすぎ。ないよ、音楽なんて知らないし」 「あるある。1発でF弾けるなんて、センスあるって。器用なのかも」  小宮くんは、Fが弾けるようになるのに、2週間かかったらしい。 「ごめん、増やす。あとふたつ覚えて」 「えー? 覚えきれない」 「いけるいける」  言われるがままに押さえ、必死に覚える。 「じゃあ、言う通りに弾いていってね。いくよ。まず、F。で、G……Em、Am」  彼の言う通りに、指の形を変えては1回鳴らす。また変えて、また鳴らす。  なんとか5周したところで、小宮くんは、満面の笑みで拍手した。 「これで新曲のサビが弾けます」 「へ?」  小宮くんは、得意げに、でもほんのちょっといたずらっぽく笑って言った。 「いまのね、最近部活で作ってる曲のサビなんだ」 「へえ。自分達で作曲したりするんだ。すごい。本格的だね」 「コピーばっかりじゃつまらないから」  小宮くんが、両手をこちらに差し出す。  俺がギターを渡すと、先ほどと同じ4つのコードを鳴らした。  ただし、俺が弾いたのとは比べものにならないくらい速いし、右手はチャッチャカと素早くリズムを刻んでいる。 「歌下手なのはごめんね」  笑いながら、歌い出した。 ――何度だってやり直せるなんて   そんなのは嘘だ   人生が一度しかないことくらい   みんな知ってる  のびやかな歌声が、心地よく体に染みていく。  そしてその歌詞を噛みしめると、泣きたくなった。  おっしゃるとおり、人生が何度でもやり直せるなんてただの綺麗事だし、嘘だと思う。  親友と好きな人を同時に失った。  祐司と、何もなかった頃に戻るのは無理だ。  やり直しなんて効かない。  優しい眼差しの小宮くんは、楽しそうにギターをかき鳴らした。  F、G、Em、Am…… ――本気だって思ってたからこそ   傷ついたけれど   人生は一度きりだと分かってるから   僕は踏み出す  深く息を吸い込んだ小宮くんは、最後のワンフレーズを弾いた。  知らないコード。感情がぶわっとせり上がる。 ――やり直せないあの日が   新しい僕の背中を押した  小宮くんは、最後の音を鳴らし終えると、眉根を寄せて俺の目の前にしゃがんだ。  そして、俺の頭をなでる。 「泣かないで」 「……ごめん」 「泣かせるつもりじゃなかったんだけどな」 「違う、勝手に……ごめん」  うずくまる俺の頭を、何度もなでる。 「……いい曲だと思う。音楽とか分かんないけど。でも、なんか、ぐっときたから」 「うれしい。ありがとう」  涙を拭いて顔を上げると、想像以上に近いところに、小宮くんの顔があった。  ばちっと目が合う。でも、そらせない。  そして、小宮くんのくちびるが、吸い寄せられるみたいに近づいてくる。  とっさに目をつぶった……けど、何も起きなかった。  目を開けると、小宮くんは口元に手の甲を当て、そっぽを向いていた。 「……ごめん、またやらかすところだった」  何と言っていいか分からず黙っていると、彼はすくっと立ち上がってギターをケースにしまった。  まもなく、休み時間終了の予鈴が鳴る。  小宮くんはいつものほわっとした様子に戻り、尋ねた。 「どう? ギター楽しいでしょ?」 「うん。ちゃんと曲っぽくなるとうれしくなるね」  小宮くんは、左手を開いて見せてきた。 「ギタリストって指先の皮が厚くなるんだよ。机を指先で軽く叩くと、コンコンって鳴るくらい。ほら」 「ほんとだ。固そう」 「触り心地も、ここだけ違うから」  小宮くんの左手にそっと触れる。  長い指の先は、言う通り、そこだけ固くなっていた。  練習すればするほどこうなるのだとしたら、小宮くんは努力家なのだと思う。  なぜか、まだ触っていたいと思ったけど、本鈴が鳴る前に移動しなければ。 「あの、小宮くん」  ギターケースを背負った小宮くんが、くるっと振り向く。  俺はちょっと緊張しつつ、聞いた。 「またギター弾いてみたいから、機会があったら貸して欲しいな」  陽キャの人に、自分から何かお願いする日が来るなんて。  小宮くんは、じわじわとうれしそうな表情をしたあと、こくんとうなずいた。 「ぜひぜひ。今度とは言わず、毎日でも」 「毎日焼きそばは無理かも」  軽口を叩き合っている。  本当はこういうのは……祐司の役割だったんだけど。  もう忘れたい。  いっそ小宮くんとキスしてしまえば、祐司のことはすっぱり諦められるだろうか。  教室に戻る最中、頭の中では、小宮くんが歌ったワンフレーズが何度も繰り返されていた。 ――やり直せないあの日が   新しい僕の背中を押した  自分はまだ、みっともなく傷心に浸っている。  自分は、心の奥底のどこかで、小宮くんを祐司の代わりにしていないだろうか。  いま俺の周りで恋愛できる人間と言えば、ゲイである彼しかない。  たったそれだけの理由で。  3年間の片思いが急に終わって、(てい)よく現れた同胞に、すり替えようとしていないか。  そんなことを思いながら、教室の前で別れた。

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