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小宮くんは、重たいだろうに、毎日ギターを持ってきてくれた。
曰く、なるべく全然触らない日を減らして、1日5分でもギターに触る方がいい、とのこと。
最初は、本格的にやるわけでもないしそんなこと……と思っていたけど、毎日少しずつやって上手くなってくると、楽しかった。
小宮くんは、ギターの話をしているときは本当に楽しそうで、共通の話題のない俺達にとっては、良い題材でもあった。
それに。
「ここを変えるときうまくいかない。速いし2拍ずつ変わるから、手がバラバラになって、押さえるのが間に合わなくなる」
「なるべく形をバラさないように・手を離さないように保って、ギリギリで変えるようなイメージで。あとはひたすら慣れだから」
そう言いながら、俺の背中側から手を重ねて、やり方を教えてくれる。
そして右手のストロークを教えるために、俺の首の右側からにゅっと首を出すので――要するに、ずっと抱きしめられているみたいな感じなのだ。
FとCを繰り返す手を止めないまま、小宮くんが尋ねた。
「あのさ、今日の放課後、暇?」
「ん? 特に予定はないけど。なんで?」
「もし良ければ……部活来ない? 視聴覚室でやってるんだけど」
驚いて、「えっ」と言ったきり、固まってしまった。
軽音部なんて、陽キャの場所だ。
小宮くんは落ち着いた優等生って感じだからいいけど、他はウェイウェイしているかも知れない。
それでも。
「……うん、ちょっと見てみたいかも」
「あはは、うれしい」
なんだか、自分が変わろうとしている感じがする。
いままでの俺だったら、絶対にこんなことはしなかった。
祐司と終わってしまった『やり直せないあの日』が、背中を押しているのだろうか。
放課後、3階の突き当たりにある視聴覚室の前で、ぼーっと立っていた。
防音扉の向こうは、ちょっとしたホールのようになっている。
緊張の面持ちでドアを凝視していると、後ろから声をかけられた。
「藤下くん」
振り返ると、ギターケースを背負った小宮くんが、ちょっと片手を上げてニコニコしている。
「来てくれてありがとう」
「いや、全然良くて。でも……ちょっと入りづらい」
「僕らしかいないから大丈夫だよ」
小宮くんは鍵を差し込んで回し、ドアノブをカコンと下げた。
重い鉄扉を開けると……彼の言った通り、誰もいなかった。
映画館のように、すり鉢状になったホール。長机の間の通路を進む。
「ベースはお腹壊して休み。ドラムは補習くらってて、ボーカルは手芸部に寄ってから来るって」
「え? 手芸……?」
「うん。うちのボーカル、見た目は派手なんだけど、料理と手芸が大好きで3つ兼部してるんだ」
去年の文化祭を思い出す。
確か、思いっきり金髪でピアスをたくさんつけていたような……。
小宮くんは、機嫌良さそうに笑いながら長机の上に荷物を下ろすと、ブレザーを脱いで適当にたたんで置いた。
「藤下くんも、その辺に荷物置いて?」
無防備にリラックスした表情で微笑まれたら、ドキッとしてしまう。
少し離れたところにぽこっと荷物を置くと、小宮くんはちょっと首をかしげた。
「ごめん、ちょっと手伝ってくれないかな。準備室からアンプ運んで来たくて」
「アンプって?」
「ギターと繋いで音を出すやつ。スピーカーみたいな」
ちょいちょいと手招きされるままについていくと、狭い部屋の中に、たくさんの機材や楽器が置かれていた。
「ごっちゃごちゃでしょ。ここ、軽音と吹奏楽で交代で使ってるから」
「あ、毎日部活やってるわけじゃないんだね」
「うん。軽音の中でもバンド3つあるから、視聴覚室を使えるのは週1なんだ」
貴重な日に来ない3人に、軽く文句を言う。
もちろん、笑っているから全然本気じゃないけど。
小宮くんは、横長の大きなスピーカーをぺしぺしと叩いた。
「これが僕のアンプ。小学生から貯めてたお年玉を全部はたいた宝物ね」
「そんなの運ぶの、緊張するなあ」
「大丈夫。そう簡単には壊れない」
俺がアンプの右側に立つと、なぜか小宮くんは、すっと横に来た。
なんか……ちょっと近い。
狭い室内で、ドキドキしてしまう。
「藤下くん。あの、さ」
小宮くんは、軽く目をそらしたあと、斜め下の床を見つめながら言った。
「やっぱりちょっと、キスしたい」
「えっ?」
「ダメかな。いや、分かってて。藤下くん、まだ前田くんのこと好きなんだろうなって……見てればなんとなく分かる。けど」
小宮くんが顔を上げたから、ばっちり目が合った。
だいぶ恥ずかしそうで、女子にモテモテの人の表情だとは、とてもじゃないけど思えなかった。
「なんで? なんで俺なんかと、その……したいの? 興味あるとか?」
「興味……は、ある。キスってどんな感じなのか。でも、女子とはしたくないし、男にもできるわけないし」
それは、俺だって興味はある。
小宮くんはかっこいいし、ちょっとしたことでドキッとしたりするし、そんな人がしたいって言ってくれたら、素直にすればいい。
そう思うのに。
「小宮くんは……その、キスするの、好きとかそういうのは関係ない派?」
意地悪くならないように聞いてみると、小宮くんは、ちょっと困った顔で答えた。
「もちろん、キスに興味ってだけじゃないよ。でも、いま僕が藤下くんのこと好きって言ったって、信じてもらえないでしょ? 軽すぎて。ゲイを見つけたからすぐ好きになっちゃうとか、単純すぎるし」
彼が何を思っているのか、よく分からない。
それに、自分が祐司をまだ好きなのかどうか、俺自身、よく分かっていなかった。
思い出せば胸がズキッと痛むけど、未練があって好きだからというよりは、単純に大事な友達を失ったことに傷ついているだけの気もする。
「そんなの分かんないよ」
「僕、藤下くんのこと好きだと思うんだけどな。気を引きたくてギター、とか」
妙な会話だ。
小宮くん自身がよく分かってない気持ちを、俺が当てられるはずもないのに。
「いや……断言できないってことは、別に好きじゃないんじゃない? なんだろ。変な例えだけど、地球上に男ばっかりしかいなくて、そこに女の人がひとりだけいたら、男はその女の人を好きになるでしょ? それと同じことだと思う。小宮くんも、たまたま身近にゲイがひとりいたから、好きかもと思っただけというか」
小宮くんは、黙って俺の目を見ていた。
俺も口をつぐんで、見つめ返す。
つくづく、整った顔だ。王子さまみたい。
そんな人が俺みたいな陰キャを好きになるはずなくて、理由があるとしたらそれは、ただ俺がゲイなだけだと思う。
しかし小宮くんは、ふるふると首を振った。
「いや、やっぱり好きだと思う。だから、もし藤下くんが嫌じゃなかったら、キスしたい。別に僕のこと好きになってくれなくてもいいから。前田くんのこと好きなままでも」
「別に、あいつはもう好きじゃないよ」
「じゃあ……」
小宮くんは、緊張の面持ちで、俺の頬に触れた。
驚いて、首をすくめてしまう。
すると彼は、泣きそうな顔で言った。
「……どうしよう。可愛い」
ダメ? と聞かれて、俺には断ることができなかった。
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