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 小宮くんは、「こんなムードでボーカルに会わせられない」と言い、今日の部活を中止にした。  ボーカルの人にはLINEで先に帰る旨を連絡し、職員室に鍵を返して、昇降口に向かった。 「なんかごめんね。貴重な部活の日なのに」 「いやいや、元々全員集まってないんだから。それに、……キスしようって言ったの、僕の方だし」  小宮くんは、とてつもなく恥ずかしそうに、小声で言った。  俺も、赤面してうつむいてしまう。  それぞれ下駄箱で靴を取ってまた合流すると、小宮くんが控えめに尋ねてきた。 「あのさ、下の名前で呼んでもいい?」 「いいけど、じゃあ、こっちも……?」 「うん。達紀って呼んで欲しい」  試しに呼んでみる。  達紀。  試しに返された。  あお。 「……なんか、ちょっと恥ずかしいね。意識しちゃってるから」  めちゃくちゃに照れながらつぶやいたら、達紀は空を仰いで言った。 「なんか、勝手に浮かれる。世の中の人みんな、初めてキスした日はこんな風になるのかなあ?」 「友達に聞いてみたらいいんじゃないの?」 「そんなこと聞いたら、好きな子でもできたのかとか聞き返されちゃうよ」  友達――自分で言ったくせに、微妙な気持ちになってしまった。  もう、来年のクラス替えまで、新しい友達ができることはないだろう。  陰キャは3人で固定されちゃったし、いまさら他のグループに入れる感じもしない。  まだ5月の半ばだというのに。  一応、好きと言ってくれる人はできたけど、彼は人気者でバンドもやってるから、いつも一緒にはいられない。  基本的には、ぼっち街道まっしぐらの高2生活になるのだと思う。  達紀とも終わっちゃったら、いよいよ何もなくなるな。  と思ったら、本当の恋がどうとか、厳密にこだわりすぎるのはぜいたくな気がした。  そんなことを選べる立場でもない。  歩きながら思案にふけっていると、達紀が、ほわっとした声で聞いてきた。 「ねえ、普段はあんまりくっつきすぎない方がいい? 僕は、学校でもあおとたくさん話したいし、体育が4組と合同の時は、準備運動でペア組みたいけど」 「いや……俺はいいけど、達紀が変な目で見られないかが心配。いきなり他のクラスの、しかもあんま関わりなさそうなタイプとベタベタし始めたら、勘ぐられたりしないのかなとか。しかも俺、あんな噂立ってるし」  達紀は目線だけ上げてしばらく考えたあと、ポンと手を打った。 「じゃあ、軽音部入りなよ。バンドメンバーなら、いつも一緒でも変じゃない」 「え!?」  思わず大きな声を上げてしまった。 「無理だよ。音楽全然知らないし、それに、他の部員の人たちは嫌がるんじゃないかな。その、い、陰キャが急に入ってきたら……」 「ん? いや、問題ないと思うよ。みんな性格バラバラだから。ドラムは細かいこと一切気にしないし、ボーカルは変人だし、ベースはちょっとオタク。隙あらばゲームするから」  バンドをやっててもゲームオタク……?  わずかに希望が湧く。  しかし、ふるふると首を振った。 「でもやっぱり、楽器初心者だし、迷惑かけちゃう」 「いや、ちょうどね、ギターがもうひとりいたらいいなあって話してたところなんだ」  達紀の説明によると、バンドには、リードギターとサイドギターという2種類がいるらしい。  リードギターは、メロディを弾く花形の方。  他方サイドギターは、コードでひたすら伴奏するみたいな。 「1本だと、ギターソロのときに寂しくて。音に厚みもないし」 「よく分かんないけど……」 「僕の1番の見せ場を、あおが支えてくれたらうれしいなって」  そんな言い方されたら、断れなくなっちゃう。  胸がむずがゆくって。  駅に着くと、電車待ちの間に、達紀が好きなバンドのライブ映像を見せてくれた。  なるほど。  確かにサイドギターは、小難しいことは抜きに、ひたすら決まったコードを同じリズムで弾き続けている。 「視聴覚室を使って活動するのは週1だけど、普段はスタジオに集まってやってて。明日も入る予定だから、見に来て欲しいな」 「……本当に迷惑じゃない?」 「あおは弾けるよ。絶対」  心が高鳴るのはなんでだろう。  達紀が断言してくれて、うれしかったから?  仲間に入れてもらえるかも知れないから?  新しいことにチャレンジできるから?  電車がホームに滑り込む。  人の流れになんとなく乗ると、ふいに、達紀が聴かせてくれた曲が脳裏に浮かんだ。 ――本気だって思ってたからこそ   傷ついたけれど   人生は一度きりだと分かってるから   僕は踏み出す  ゾロゾロと乗り込むどさくさにまぎれて、ほんの少し、達紀のブレザーの裾を引っ張った。  振り向いた笑顔はとびきり優しい。 「達紀。明日、楽しみにしてる」 「うん」  力強くうなずく彼に、手放しで好きと言えたらいいのに。 <1章 うわさ 終>

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