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第一章 第21話

 山本センセが、バランタインをビールか水のように流し込んだ後に、中華料理が運ばれて来た。  特に海老チリソースは祐樹の好物だ。久しぶりに食べるせいかとても旨かった。 ――このホテルでバランタインの30年モノを奢ってくれた山本センセに悪いな――という気持ちと、「いや、彼のことだ自分が何杯飲んだのかさり気無く観察しているかもしれない…」との二つの思いから、アルコールは自制して食事を楽しんだ。といっても隣に居るのが山本センセなので、適当な相槌を打たなくてはならないし、笑顔を絶やしてもいけない。  一口食べた時は、「お、これは絶品」と思ったが、食べることに集中することが出来ずに残念だった。  山本センセは料理には殆ど手を付けずにバランタインをひたすら呑んでいる。時間的なことから考えて、食事はまだだろう。顔に赤味がさし、声が大きくなってきている。胃の中に何も入れずにアルコール度数の高い酒を呑んで典型的な酔っ払いの症状だ。急性アルコール中毒で救急車を呼ぶレベルまではかなりの開きがあるが。  彼は普通の声で話しているらしいが、料金の高さゆえか、平日だからか、はたまた京都のホテルは軒並み経営が不振なせいか分からないが、客はまばらなので声が響いている。 「だいたい、齋藤病院長が医学部長になれたのも、僕達が水面下で動いたお蔭なんだ。各科の教授にコメ付きバッタのようにお願いに上がったり、金銭的にルーズな教授には…。趣味がゴルフの教授には…」  酔っているとはいえ、具体的なことは語尾を濁す。「金銭にルーズな人にはきっと現金攻撃だろう。ゴルフが趣味の教授には、当時はバブルの残り火の頃だから、会員権か、高価なゴルフ用具でも贈ったのだろう。 「それなのに、そんな我々の努力を忘れて、ヨソから教授を連れてくる…しかも破格の付き人までを許可した…。どんなにあの時は苦労したか全く分かっていない。齋藤医学部長は…」  最初は相槌を打っていたが、どうやら山本センセは一方的に愚痴を語りたいだけだと気付いた。彼の憤りに応じて、適当な相槌を打ちながら食事をしていたが…、まさか此処に大学関係者はいないだろうなとの懸念が生まれる。  そっと広くもない店内を見渡したが、知った顔は居ない。  祐樹は顔を覚えるのが得意だ。大学関係者だけでなく、今まで担当した患者まで全てと言っても差し支えがないほど、頭の中に入っている。   幸い、店内にいいは知った顔はなかった。  料理は申し分なかったが、山本センセの恨み言は止まらない。  他人が自分の地位を脅かすのが恐いのだな・・・と思う。 ――しょせん、研修医である俺のことは、競争相手としては目に入っていないのだな――  そう思うが、いつか自分と母の電話を盗み聞きされたことから考えると猜疑心も強いタイプのようだ…  ふと、「香川先生はどうなのだろうか…」と思う。手術の映像を見て、コンプレックスを抱いたのだろうか、頭の中に「神の手」と呼ばれるメス捌きが蘇ってきた。  手術は患者に出来るだけ負担をかけないようにするのが鉄則だ。メスで何センチ切るかでも変わってくる。手術は人工的に怪我をさせるのと同じなので、切断は短い方が良い。  ウチの医局…佐々木教授ですら多分、20センチはメスを滑らすだろうな…と予期した箇所も香川先生は12センチ――あくまで目測だが――だった。  神の手なのは認める。しかし、何故神の手が香川先生に与えられ、自分には与えられないのか、神がもし存在するなら力任せにでも聞いてみたい衝動に駆られた。 「よし、次行くぞ」  山本センセは酔っ払いゆえの行動力で祐樹を引っ張った。仕方がないので、付き合うことにする。

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