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第三章 第2話
「好きにって…、私はあの店の常連ですよ。それがどういう意味を持つかご存知ですよね」
酔っ払って状況判断が出来ていない可能性を顧慮して確認する。
「分かっている…そういう意味での…『好きにしていい』だ」
酔ってはいるが、判断力は通常と変わりがないのかもしれない。
「今ならまだ引き返せますよ。ただ店から連れ出して来ただけということで…ただそれだけのことですから」
往来を歩きながら奇麗事を言う。
実際は、香川教授の暴言や祐樹を人とも思っていない態度などが走馬灯のように脳裏を駆け巡る。
これは千載一遇のチャンスなのではないだろうか?
雲の上の人間に対して好きなことが出来るという…。今までどれだけ我慢してきたか…。まぁ、今日の副病院長の言葉で香川教授は祐樹に対して嫌がらせだけではない配慮をしてくれたのは分かったが…。
香川教授は学生時代、「グレイス」に出入りしていたことは確かだ。するとゲイである可能性が高い。祐樹が「グレイス」のオーナーに自分の性癖を看破されたのと同じく香川教授もオーナーに見破られたのかも知れない。不思議なことに学生時代の香川教授の顔は覚えていないが――これは一体何故だろう?――緊急外来にまで勉強に行っていたとなると学内にはいつも居る真面目な(といっても医学部は授業が詰っているので、同じ大学の文系学部の学生とは比べ物にならないくらい学内に居る時間は長いのが普通だが)医学生だったハズなのに…。
「構わない。君の好きなようにしてくれ」
そう言って肩口に顔を埋める。耳にかかる吐息が少しだけ熱い。
酔っているせいなのかと思うが、ここまで言われると祐樹としても我慢は出来そうになかった。
「ホテルに連れ込みますよ」
最後通牒を発した。
「だから、好きなようにしてくれれば良いと言った」
耳元で怒ったように、拗ねたように囁かれた。
こうなったら据え膳は有り難く戴こうと腹を括る。
タクシーを止め、二人して乗り込む。
香川教授は祐樹の肩に頭を預けたままだ。通行人から見れば酔っ払った男性がその友人に肩を貸して貰っているようにしか見えないような絶妙の演技(?)だった。
「ホテルは構わないが…この街以外にしてくれ…」
耳元で囁かれた。
確かにこの街は狭い。しかも、香川教授クラスになると、この街の高級と呼ばれているホテルは学会やらパーティやらで顔を知られているだろうし、彼の顔写真が載った週刊誌――といっても、ほとんどが社会的ステイタスを持った人が読む雑誌だが――で顔を知られている。
タクシーの運転手に大阪のRホテルに行くように指示をした。このホテルも財界人御用達のホテルだが、学会は少し大阪駅に近いHホテルで行われることが多く、祐樹は学会関係で一度しかRホテルを訪れたことがない。
しかも、フロントは一括管理ではなく34階以上の顧客に対してはクラブラウンジが有る階でチェックインとチェックアウトが出来るシステムになっている。と、一度来た時に重厚な木材がふんだんに使われている雰囲気が気に入ったので貰ってきたパンフレットには書いてあった。
あそこなら、人目を気にせずにチェックインが出来る。
遠距離の客に気をよくしたらしいタクシーの運転手が話しかけてくる。
「お酔いになっていますね。ご気分が悪くなったらいつでも仰って下さい。直ぐに車を停めますから」
「有り難うございます」
香川教授の代わりに祐樹が返事をすると、それを聞いていた香川教授が、しなやかな指を祐樹の指に絡ませる。
もちろん、バックミラーに映らない角度でだ。
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