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第三章 第5話

 このホテルの内装は木目調のシックなヨーロピアン形式で纏められていた。  通常のホテルではエレベーターを中心としてT字型に部屋が配置されているがここは違うようだった。建築上の都合なのだろうか曲がり角が多い。それを隠すかのように装飾用の家具が置かれ、良く磨かれたガラスの中にヨーロッパの貴族の屋敷でも飾りでしか使わないような綺麗な皿が飾ってある。  オレンジ色に点された灯がガラスをほんのりと照らしている。  別に歩くことは職業上気にならないが、自分の後に続く香川教授の顔をさり気無く窺おうと少し歩調を緩めた。  自分よりも少し背の低い細身の身体を自分よりも高級そうなスーツで包んだ端整な姿だったが、顔をふせているため表情までは分からない。  ただ歩調はしっかりしていて酔いは完全に覚めたようだった。きっと代謝が良いのだろう。  ルームナンバーは頭に入っている。その部屋番号が銀色のプレートに書かれているのを確認し鍵を鍵穴に入れ、木製の扉を開く。  ついクセで、扉を開けたまま「どうぞ」と先を譲ってしまう。やはり平常心を失ってしまっているようだった。このまま強気で押していくつもりだったのに。  これまでに聞いた意外な話を詳しく知りたかった。今日の香川教授の言動はいつもの彼とは違っている部分の方が多い。  いつもはあんなに強気で自尊心も高そうな人なのにどうしてやけ酒とも見えるような飲み方をしたのか?  それにどうして自分の誘いに応じたのかが謎だった。 「ああ、有り難う。田中先生」  反射的に出た言葉なのだろうか、やはり上司の部下に対する口調だった。いつもより若干低めだったが。ただ、その時に瞳が合った。先ほどまで酔いつぶれていたとは思えない、澄んだ瞳だった。ただ少し潤んでいたが。そして君付けではなく先生と呼んで貰えたのも進歩かも知れない。  酔うと豹変してしまうタイプなのだろうか?とも思うが、今はシラフだ。嫌なら細身とはいえ、抵抗すればいいだけの話だし、何よりも祐樹の生殺与奪の権力を持っている人間だ。口で命令すれば良い。酔いは覚めた表情はいつもと同じ怜悧な顔をしている。「グレイス」やタクシーの中の顔とは大違いだ。このギャップは何だろうかと思う。  彼の真実の気持ちを聞きたい欲求と、この涼しげな顔が快楽に歪む様を見たい気持ちが拮抗する。  部屋に入ると、青で統一されたグラスが目に入る。香川教授は酔いが覚めたのだから喉が渇いているはずだ。 「何か飲みますか?」  車中での彼のしなやかな指先から伝わる熱が自分の指にも乗り移ったかのように身体の芯が熱い。  が、それは自分を誤魔化すことにして、まずは話し合いをしようと思った。酔っている時は本音が出やすいが、彼がどこまで覚えているのかは分からない。 「水で良い」  流石に大阪で一二を争うホテルだ。ちなみに本国フランスでも確か最高の評価を得ているハズだ。冷蔵庫もむき出しにはなっていない。恐らくこれだろうと思う家具を開けて探していると、香川教授は躊躇った様子で室内を見回し、ベッドから慌てて目を背けると安楽椅子に座って祐樹の方を静謐な表情で見詰めている。 ――これでは有無を言わさずベッドに押し倒すことは出来ないな――とチラリと考える。 いっそのこと、部屋に入って直ぐに強引にでも唇を奪っていれば…と後悔する。  どうも彼相手だと調子が狂う。積極的かと思うと、今のように涼しげな表情を浮かべている。どちらが本当の彼なのだろうか?  冷蔵庫をやっとのことで探し、エビアンをグラスに入れ氷を浮かべる。 「どうぞ」  当然、お盆はないので手渡しだ。一瞬指と指が触れ合う。その時、祐樹の中で何かのスイッチが入ったようだった。強引にグラスを取り上げ、自分の口にミネラル・ウオーターを流し込み、座っている香川教授の顔を上向かせ口移しに水を飲ませる。  彼は驚いたように身体を一瞬難くしたが、唇の合わせ目を開いて水を飲んだ。  コクリという音が――実際は音を立てていなかったかもしれないが――聞こえてくるかのように思えた。唇を名残り惜しそうに離すと、彼はもっと…と催促しているように薄紅色の舌が自らの唇をなぞる。  今度は上体を倒すと、水を含んだ口を彼に近づけるのと同時に、両手で頭を固定させて逃れられないようにした。水を口移しに飲ませて次はベッドにお誘いしたかったが、それは今は諦めて彼が座っている椅子の向かい側にあるデスクの椅子に腰掛けて――祐樹的には――事情聴取を始める。  まずは、「手術が上手く行ってない」件から始めることにする。口付けで桃色に染まった唇が扇情的だったが。 「手術はつつがなく皆成功していると聞いてますが?」 「…そうなのだが、チームの動きがバラバラだ。毎回綱渡りのような気がする。それでチーム内の士気が低下している。今のところは完璧な手術だが…いずれこのメンバーでは100%成功例は過去のものになるだろう。皆が私に何やら私に含むところがあるようで、わざとテンポをずらしているように思える」  先ほどの舌先まで絡み合わせたキスが効いたのか、予想外に香川教授は言葉を紡ぐ。 ――含むところに心当りはない。有るとすれば、山本センセだけだ。齋藤医学部長のお嬢様を山本センセは狙っていた。それが齋藤先生は香川教授を婿にしたいと思っていることは学内では知らない者は居ないと思っていたのだが、意外と雲の上に居るような教授は学内のウワサは届かない。しかも新任かつ最年少の教授に忠告する人間も居ないらしい―― 「それでやけ酒ですか。教授らしくもない…。他人の感情に鈍いですね…言われたことは有りませんか?アメリカ時代も?」   心ならずも冷笑を浮かべて言い放った。  すると即座に彼の表情が変わる。 「田中先生は知っていると言いたいのか?」 「ええ、まぁ。ところで長岡先生の件はどうなんですか?婚約者が居るのに男をホテルに連れ込むなんていい度胸ですね」  畳み掛けた。香川教授は悔しそうに唇を噛み締め、しばらくそのままでいたが、お返しとばかりに発言した。 「その件は、話してもいい。ただし……私を満足させられればの話だ。自信はあるのか?」  いつもの冷笑を浮かべた命令口調だったが、何かいつもと違う違和感を覚ええる。  その言動にカチンと来て、座っている彼の手を強引に掴んで立ち上がらせベッドに押し倒す。力が強すぎたのか、ベッドのスプリングが上等なのか…多分両方だろう。  彼の身体は不安定に揺らいだ。  スーツはわざと脱がさずにすかさずネクタイを外しながらキスを仕掛けた。  濃厚で激しい時間の始まりを予感する。 「後悔しても…知りませんよ」  そう言って清潔なワイシャツのボタンを外し始めた。

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