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第三章 第9話 教授視点

 しょせん、母のパート収入だけで暮らしてきた自分と、私立病院の院長先生となると金銭感覚が全く違うようだった。  一回目の「自分の生活費・学費・勉強費」の振込み額は0が二つ間違っているのではないかと思ったほどだった。院長先生に確かめたところ「心置きなく勉強してもらうにはこのくらいが適当かと思うのだが」と鷹揚に笑って下さった。  お嬢様に正式な紹介は有ったがお互いがまだ高校生なので交際はお互いが大学に入ってから…という院長先生の意思で聡は勉学に集中することが出来た。  高校三年生になると、生活の心配が無くなったせいだろうか。勉強に集中した成果が有って日本で一番難しいと噂の駿○予備校の模試では全国で5位辺りをキープすることが出来た。  木枯らしが吹く頃――ちょうど受験のラストスパートをかけていた頃だった。院長先生から焦った声で電話が有った。 「お母様の容態の件で…電話では話し辛い。直ぐに病院に来てくれないか」  慌てて病院に駆け込み、院長室へ向かった。 「最新型の機械で測定したところ、軽度な狭心症ではなかった。バイパス手術が必要なレベルだ。残念ながら我が病院にこの手術をこなせる人材は居ない。   大学病院に転院させることになるが…それでも構わないだろうか。  もちろん金銭的なことは気にしないでいい」  母の容態がそれ程までに悪いとは正直衝撃を受けたが、院長も苦渋に満ちた表情をしていらっしゃった。 「はい。宜しくお願い致します」  そう言うしかなかった。この辺りの大学病院というと、自分が第一志望にしている大学だ。  そこに転院した母を見舞いに毎日訪れた。  主治医は――転院に骨を折って下さった院長先生の御蔭か――大それたことに佐々木教授だった。  親身になって母の容態のこと、そして手術の成功率が極めて低いことを語って下さった。 「外科的ではなく、内科的なアプローチで延命治療は出来ますよ。ただお母様は手術を希望されています」  聡も母に聞いてみたが、手術の意思は固いようだった。佐々木教授は充分母に手術のリスクの説明をしてくださっているらしい。 「では、せめて大学に受かってから手術出来ませんか」  佐々木教授に相談してみた。 「それは可能ですがだが、まぁ・・・ここだけの話しですが・・・実は内科と外科では必ずしも連携が上手く取れているとは言えないのです。内科的処方は充分には出来ない可能性すらあります」  どうして縦割りというか役所のように融通が利かないのか不満だったが、母の命を少しでも保たせて欲しかった。  手術の日程は二月、自分の入試の合否発表の翌日に決められた。 「合格したよ」  そう言って母を喜ばせることが出来たのもつかの間のことだった。  母は涙ぐんで合格を祝ってくれた。 「お母さんはもう何も思い残すことはないよ。よく頑張ったね」  そう言ってくれたのが、母の最後の言葉だった。  手術中は完璧に近いほどだったのだが、人工心肺を取り去って心臓が自力で拍動を刻むことはなかった。  呆然としていた私に更なる悲報が舞い込んで来た。  お世話になった院長先生のお嬢様が推薦入試で大学が決まり、友人の車に乗っていた時に事故は起こったと。  運転していた友達がスピードを出し過ぎ、トレーラーと衝突し、絶望的な容態で奇しくも母と同じ大学病院に運ばれたが、手の施しようがなく死亡した。  医学部生ともなればアルバイトにも事欠かない。結婚の話はお嬢様がお亡くなりになった時点で当然白紙に戻る。今まで援助して貰っていたお金は返さなくてはならない。  その旨を少し落ち着いた頃に院長先生に切り出してみた。  最愛の1人娘を亡くした院長先生の憔悴ぶりはこちらが見ていても、気の毒と言う言葉では表しきれないほどだったが。 「いや、今まで援助してきたお金は返さなくて良い。しかも、私がこの病院を君に継いで欲しかったのは、全てが娘が居たからだった。この病院の院長夫人として何不自由なく楽しく暮らして欲しかった。それが消えた今となってはこの病院は私限りで廃院する。  君は好きな医者になりたまえ。今まで接して来たが君は才能のある医師になれるだろう。この病院でその才能を発揮して欲しかったのだが、それも夢と消えた。今まで有り難う。  そして義理の息子になり損ねてしまったが…君の活躍を祈っている。まるで本当の息子のように今まで思っていた。学費は君が卒業するまでは払わせて貰う。夢を見せてくれて有り難う」  力の無い声だったが、自分にもそんなに愛情を注いでくれたのだと思うと胸が熱くなった。学費の件は心苦しかったが「息子のように思っていた」と言われてしまうと固辞するのも大人気ないのかも知れない。 「その代わり、私は誰とも結婚しません。今まで有り難うございました」  そう言うのが精一杯だった。自分の性癖を自覚している分、充分可能な約束だった。が、これまでに良くして下さった院長先生への操立てが一番の原因だったが。  母の件があって、専門は心臓外科にしようとした。そして、最後まで愛することは出来なかったが――充分愛らしく思っていた――お嬢様が最後に受けた手当てが適切だったかを知るために救急医療室に出入りしていた。  二年後、キャンパスの入り口で思わず目を奪われた生徒が居た。  秀でた額と賢そうでありながら好奇心できらきら光る黒い瞳を持った学生だった。 「学部はどこだろう?」  そう思ってツイ後をつけてみた。その男子学生は友人達と快活に話しながら医学部棟に向かう。  笑った顔も魅力的だった。自分は不幸ばかり呼び寄せてしまうような気がする。きっと彼ならそういう不幸も跳ね返すのではないかと思ってしまうほどの生命力が躍動している。  彼から目が離せないでいる自分を自覚した。

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