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第三章 第11話 教授視点

 彼ら――テーブルには四人の客が座っていた――の中の一番若くて綺麗な(と言うと何だか女性の形容みたいだが)の男性は明らかに田中祐樹に熱っぽい視線を送っていた。田中祐樹も満更ではないような顔をしている。立ち尽くす聡を見てウエイターがそっと寄って来た。  上村氏の名刺を来た時に渡したので、初めての客であっても失礼のないように配慮されているのだろう。  もしかしたらオーナーの命令が出ているのかもしれない。病室からでも携帯電話をかけようと思えばかけられる。 「いかがなさいましたか」 「少し気分が悪いので、出来れば目立たないところで水でも戴けませんか」 「承りました」  そう言って厨房のすぐ傍の席に案内される。力なく座り込んだ。 「お薬もお持ちいたしましょうか」  大振りのグラスに水を注いだウエイターが心配そうに聞いてくれる。  反射的に水を飲んでしまった。自分の喉が緊張と驚愕のせいだろうか、ひどく喉が渇いていることを自覚した。グラスの水を残らず飲み干した。 「いえ、薬は結構です。出来れば水を…」 「顔色がひどくお悪いですよ。当店ではお酒を召し上がっていらっしゃらないようですが、他のお店からいらしたのですか?」  ウエイターはとても親切だった。直ぐに水差しの中にレモンのスライスがたくさん浮いてあるものを持ってきてくれた。 「いえ…私はこの店は初めてですが、あちらのテーブルの方は…?」  気付かれないようにそっと視線を盛り上がっているテーブルの方に向けた。 「本来は、この店の規則でお客様の行動などは一切話してはならない決まりですが…お客様は上村から『くれぐれも粗相のないように』と申し付かっておりますので…」  少し厳粛な顔をしてウエイターは言った。 「一番若いお客様は、お客様と同じで上村の名刺を持たれていらっしゃった初めてのお客様です。その他は常連様ですね、一番年上の方は…」  律儀に説明している言葉の最初の方は聞いたがそれ以降は耳に入らなかった。  やはり、田中祐樹も上村オーナーに誘われたのだと思った。ゲイバーの経営者だけあってそういう性癖を持つ人間はカンで分かるのかもしれない。  そっとテーブルを伺うと、綺麗な男性と話している田中祐樹の笑顔はキャンパス内で女子と話しているよりも楽しそうだった。田中祐樹もそういう性癖を持つ人間なのだと思い知った。 「あのう、つかぬことをお伺いしますが、この街にはこういうお店はたくさんあるのでしょうか?」 「ええ、意外とありますよ。ただ、当店はいわゆる出会いを目的にした店ではありませんが、他のお店は『出会い』を求めて来られるお客様が多いと聞き及んでいます」  すると、田中祐樹はそういった店で出会いを体験しているのだろうか…。女性よりも男性の方が好きな性癖を持つのだろうか?そっと窺う限りとても楽しそうだったが。 「あの方、綺麗ですね…」   つい、本音が零れた。彼の視線や笑顔を独占している嫉妬も交えて。  自分にもチャンスが有ったことに今更ながら気付く。が、大学内ではまさか彼も相手を探したりはしないだろう。  意外と自分達の学部の人間関係は狭い。そういう噂が立ったら大変だ。彼は裕福な家の子息だろうからいずれは開業するか、大学に留まるだろう。そうなった時、いずれは彼にも来るだろう縁談に差し障りが出てくる、用心するはずだ。 「いえいえ、お客様の方がもっと綺麗でいらっしゃいますよ」  真面目な表情で言ってくれるが、これはお世辞だろう。自分は大学に入ってからも成績――特に手技――には自信があったが、それ以外は何の取り得もない人間だということは自覚していた。  人間関係を作るのも下手だし、人間としての何かに欠けているという焦燥感を抱いたことさえ有った。世話になった院長先生の亡くなったお嬢様にはほんのりとした好意は抱いていたがそれ以上の感情がわいたこともない、仮にも未来の婚約者だったにも関わらず。  今すぐにでもマンションに帰りたかったが、そうなると田中祐樹の前のテーブルを通り過ぎなければならない。直接の面識は確か無かったハズだが、何かの拍子で顔を覚えられている可能性はゼロではない。彼が店を出るまではこのテーブルに座っていなければ…と思った。  ついつい田中祐樹のテーブルを窺ってしまう。綺麗な男性がコースターに何か書いて田中祐樹に手渡す場面を見てしまった。  いくらそういうことに疎い自分でも、連絡先を渡していることぐらいは分かる。田中祐樹も笑顔(だろうと思う)で受け取っている。 ――カップルの成立か――  そう思うと足の下の地面――正確には床だが――が崩れていくような錯覚を覚えた。  二人の容姿が整っているだけにお似合いのカップルになるだろうな…と思った。そしてその恋愛が何となく長く続くような気がする。  田中祐樹が席を立ち、店を出たのを確認して腕時計できっちり10分計って、ウエイターに声をかけた。 「帰るのでお勘定を」  そう言うと、微笑が返ってきた。 「お水だけではお勘定は戴けません。それに上村の指示も有りますから。またのご来店をお待ちいたしております」  礼を言って店から出た。その夜は、どの交通機関を使って自宅マンションに帰ったのかも覚えていないほどだった。  田中祐樹が自分と同じ性癖を持っていたとしても、あの綺麗な人とでは勝負にならない。  忘れようと思い、それからは唯一集中出来る緊急救命室でメスを握ったり、これまで以上に授業に取り組んだりした。論文も意外と集中出来るので精力的に取り組んだ。それ以外のことをしていると余計なことを考えてしまいそうで恐かった。  卒業が決まり、医師国家試験に通った頃、佐々木教授から呼ばれた。呼ばれるような心当たりはない。不審に思って教授室を尋ねると、意外なことを打診された。 「アメリカの、ノーザンクロス病院からの依頼でね、執刀医が足りないとのことだ。君はアメリカの医師免許は持ってないが、君ほどの才能があれば直ぐに取得出来そうだ。一回生からの成績表を見せて貰ったが、英語は完璧じゃないか…良ければ推薦状を書くが」  アメリカ…医療水準は日本とかけ離れて優秀だが、国民性なのだろうか…几帳面な作業は日本人医師の方が優れていると聞く。  この際、田中祐樹のことを忘れるためにもこの大学、いやこの国から離れるのが一番良いと判断した。 「お願い致します。出来れば直ぐに渡米したいです」  いつもより熱心な口調に佐々木教授は驚いた顔をしたが、「君がそう言うのなら、直ぐに渡米するように働きかける」と了承して下さった。

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