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第三章 第16話 教授視点
天窓から朝の健康的な陽光が降り注ぐ。それに反比例するかのように目覚めは最悪だった。頭が割れるように痛いし、身じろぎすると身体中の筋肉もあちこち悲鳴を上げている。特に昨日初めて男性を受け入れた箇所が痛む。
行為自体には後悔はなかったが、そして多分テルには悪気などなかったのも分かるような気がするが…それでも苛む頭痛も加わって気分は最悪だった。
自分が起きたのを気配で感じたのか、テルが身動きした。多分すぐに覚醒するだろう目蓋の動きだった。頭の下にはテルの腕が有った。行為の後――といっても、途中までしか覚えていないが――眠りについた自分に腕枕をしてくれていたのだろう。腕枕は負担が掛かる。テルの腕は痺れているに違いない。そのことに一抹の罪悪感を抱く。
そっと頭を上げると、テルが起きたのか抱き締められた。体温に包まれて安堵している部分もあったが、それ以上に頭痛と身体と心の痛みを自覚する。昨夜は散々涙を零した自覚があったので、顔の様子も確かめたい。今日も病院の勤務が待っているのだから。
「お早う。昨晩の君は素晴らしかったよ。ところで良く眠れた?」
キスと共にそう聞かれ、曖昧に頷く。そっと身体を離すとバスルームに行きまずは自分の顔を鏡で確かめる。
――ひどい顔をしているな――と思った。目も赤く充血しているし、二日酔いのせいの頭痛で普段の自分よりも蒼い顔になっている。
シャワーを使わせて貰うことにして気付いた。肝心な場所は自分が頼んだせいもあって痛みは有ったが不快感はなかった。身体も汗や体液が飛び散ったハズなのに妙にさっぱりしている。自分が寝たのか、気を失ったのかは分からないが、その後、身体を拭ってくれたらしい。いい人だな…と思う。だが、いい人だからといって恋愛感情は持てないことくらい経験値の低い自分でも分かる。
テルの心遣いは嬉しかったが、所詮自分は田中祐樹を忘れるために抱いて貰ったのだと…そして、田中祐樹の代わりにはなれないことを思い知った。
お互い裸のままテルも浴室に入って来る。抱き締められて耳元で囁かれた。
「これからも逢わないか?昨夜のサトシはとても魅力的だった」
「…そうですね。二人が会ったバーで再会出来れば、また会いましょう」
もうあのバーには行く気がしなかった。刹那的な肉体関係は一種の通過儀礼だと思うことにする。これからは本当に好きな人が出来てからそういう関係になって…お互い幸せを感じることが出来ればどんなにいいかと思う。田中祐樹とはもう…多分一生逢うことはないのだから。
「そうか…じゃああのバーには毎晩行くようにするよ。朝食は食べて行くかい?」
「いえ、コーヒーと、アスピリンだけ貰えますか」
両方とも空腹時に飲むと胃に悪いことは承知の上でそう言った。
「それは良くないな。食欲がないのならせめてミルクとアスピリンにすべきだ」
眉をひそめてテルは言った。良い人なのだと思う。昨夜は自分にとって初めての行為でテルが満足したとは思えない。それでも心配してくれる。有り難いとは思ったが、関係を続けても多分自分はテルの要望に応えられないような気がした。
「では、まずミルクを飲んでそれからアスピリン、次にコーヒーを」
テルは手早くシャワーを浴びると自分よりも先に浴室を出て行った。
食卓にはオーダーしたモノの他に新鮮なサラダやオレンジジュースが並べられていた。食欲は全くなかったが折角用意してくれたのにと思うとミルクを飲み、薬を飲んでから形だけサラダを食べた。
「昨夜、ユーキと随分口走っていたが、日本語では『良い』という意味なのか?」
日本語が全く分からないテルはそう聞いて来た。
――その名前を口走った自覚は有ったが、テルが覚えてしまうくらい何度も口に出したのだろう――
抱かれている時に他の人間の名前を呼ぶのは大変失礼なことくらいは自分にでも分かる。相手が日本語を全く解せない人なのは運が良かったとしか言えない。
「そうです。日本には色々な方言があるので…つい方言を口走ってしまったようです」
形ばかり朝食に手を付けて自分の家に帰ろうと思った。目は充血しているし、頭も身体も痛い。出勤時間にはかなりの時間的余裕があるので、出来るだけ昨夜の痕を消したかった。薬も自宅の方が充実している。副作用が気になったが今はそんなことよりも今日の勤務に差し障りのないようにしたい。
「ご馳走様でした。帰ります」
そう言い立ち上がると、テルも立ち上がりキスと抱擁を贈ってくれた。
「あのバーで待っているから…」
「はい」
キスを儀礼的に返し、部屋を後にした。大通りに出てタクシーを拾うと自分の部屋へ帰り氷を包んだ冷たいタオルで目を冷やし、アスピリンよりも良く効く鎮痛剤を飲んだ。
田中祐樹のことを忘れなければ、一歩もそういう意味での前進はない。それがよく分かったが、どうしていいのか分からない。
強力な痛み止めが効いたのか身体は何とか他人に気取られることなく業務が出来そうだ。問題は充血した目だったが、濡れタオルのせいで大分マシになった。念のため日本から持ってきた荷物の中に何故か紛れ込んでいたダテ眼鏡をかけた。
出勤の時間になったので慌てて自宅を後にした。
頭の中ではいつか見た「グレイス」での田中祐樹の微笑が蘇る。今頃はあの綺麗な人と上手く付き合っているのだろうな…と思い至ると口の中に苦いものがこみ上げる。決して二日酔いのせいではなく。
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