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第三章 第17話 教授視点
ノーザン・クロス病院に何とか遅刻せずに出勤出来た。
医師控え室ではなく――何しろまだこの国では医師ではないのだから――コ・メディカル(看護師や検査技師など)のスタッフルームに向かった。室内は喧騒に溢れている。薬で無理やり緩和してきた身体中が痛い。特に女性看護師の笑い声は頭に響き、こめかみが疼くようだった。動脈が脈打つごとに頭痛も増す。
そこへ溌剌とケンが入って来た。日本では考えられない光景だった。医局は医局で医師が固まり、看護師は看護師控え室に出勤するのが基本なのだから。
「お早う、皆さんご機嫌はいかがかな?」
昨日の酔いなど微塵も感じさせない明るい表情だった。
「サトシ、顔色が悪いようだが大丈夫かい?」
皆の挨拶を受けてから、自分の顔を見て、心配そうな顔つきになった。
「恥ずかしながら二日酔いのようです」
「それはいけない。良かったら俺の部屋に来ないか?最新の薬もある」
頭痛薬は今朝から二錠飲んでいる。これ以上は飲めないのは分かっていたが、この声からは逃れたい。
「あら、薬ならここにもあるわよ」
いかにも健康的なLA美人の看護士マリアが行った。
先ほどから陽気に笑い、確かCTスキャン関係の技師の会話でトーンの高い声を上げていた女性だ。
出来ればここを離れたい…そういう意思を込めてケンを見た。
「昨夜は騒ぎすぎたからな…二日酔いの頭痛に効く、取っておきの薬があるんだ。だが、これはまだ認可が下りてない薬なんでこっそりしか使えない」
「じゃあ、サトシを臨床実験のサンプルにする積り?」
マリアが甲高い声を上げた。
「そうそう。貴重なサンプル様、どうかこちらに」
そう言って部屋から連れ出してくれた。
ケンの部屋に行き、ドアを閉めると静寂が漂っていた。ケンは窓を開け放つと芝生の緑が心を落ち着かせてくれた。
「薬、飲むか?といっても、二日酔いの特効薬の件は冗談だが」
「いえ、家を出る時にも飲んで来たので…」
だろうな…と言いたげにケンは頷いた。
「顔色が冴えないので気になった。昨夜あれからどうなった?あ、もちろん言いたくなければ無視してくれ」
親身になってくれているのが分かった。つい本当のことを言ってしまいたくなるが、そうなると、田中祐樹のことから始めなくてはいけない。
「あれから…テキーラを飲んで、ケンも見た人と一晩一緒でした」
「まさか乱暴されたわけじゃないだろうな」
「いえ、合意の上です。が、何しろ初めてなもので、しかもテキーラはカクテルではなかったので酔ってしまいました」
ケンの黒い眼が真剣みを帯びた。
「そうなのか…てっきり日本でそういうコトはしてきたのかと思っていた」
「日本のことは…またゆっくりとお話しします。出来れば…アドバイスにも乗って戴きたいですし」
自分が眼鏡越しとはいえ暗い瞳をしているのはケンにも分かったハズだ。
「ああ、ゆっくり聞かせて貰うよ。」
「ところで、今日の手術なのだが、そんな状態で手術室に入れるかね?博士はサトシの腕を見込んでもっと重要なポジションを用意したと聞いているのだが…」
期待されているのなら、十全に応えるのが自分の性格だ。
「大丈夫です。やります。いえ、させて下さいと博士にお答え下さい」
数十秒、自分を見ていたケンは頷いた。
「博士からの伝言だ。『医師免許取得の推薦状を書くので、一ヵ月後に試験を受けに行き給え』とのことだ。サトシなら通ると踏んでいる。頑張れよ。少し俺のソファで休め。」
そう言って、タオルを取り、部屋にある水道の蛇口から出した水で濡らして手渡してくれた。
「俺は患者の回診に行ってくるから手術までに頭痛を治せ。この部屋は二時間程度、無人になる」
そう言って肩を叩き出て行った。ケンはケンなりに自分のことを心配してくれているのだと思った。
言われたままにソファーに横たわり、濡れタオルで額を冷やしていると、窓から入り込む芝生の香りと相まって頭痛が緩和されていくのを感じていた。
――1人で居ると落ち着く――そう思ったのが眠りに落ちていく最後の思考だった。
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