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第三章 第22話 教授視点
あいにく、バイバス術のために血管を切り取った経験はない。日本では、狭窄した冠動脈手術はバルーン術が主流だったのだから当たり前の話だが。
しかし、救急治療室で、鎖骨損傷の交通事故の治療なら経験は豊富だった。
あの時の一刻も猶予がない状態での手術――あれも、医師免許取得前のことだった――を応用すれば出来そうな気がする。
その上、博士の手技を頭と身体に覚えこませる一方で、「もし、鎖骨裏の血管採取をするとすれば」とシュミレートはしていた。実技が伴っていないのが欠点だったが。
意を決して、自分の指の細さを考慮に入れて最低限の範囲で切除範囲を開く。事前に読んだ博士の指示書通りの血管を取り出した。他の血管は傷つけないように細心の注意を払った。
先ほど考えていた通りにワザと血管は斜めに切り取った。そして、患者の体内からは外された心臓の狭窄部分をまたいで縫合する。縫合はやはり表面積が大きい方がやり易い。縫合をしていると、
「潰瘍部分の手術無事完了」
という声がどこか別の世界から聞こえたような感触だった。それだけ集中していたということだろうか。
「縫合も完了しました」
手術用絹糸を切り取ってそう博士に声をかけた。
縫合部分を見た博士が感嘆の声を上げた。
「どこで、こんな方法を?私の手技で学んだわけではないな…」
「これは…自分で考えたのですが…」
決して狭量な人物ではないと思っていたのだが、やはり指導を受けている身の上だ。反応が気になった。
「素晴らしい。これからは私もこの方法で血管を切り取ろう」
肩を叩かれて安堵した。
「他に問題は?」
「ありません」
スタッフの声が重なる。
「では、心臓を元に戻す。準備は良いか?」
人工心肺を回していた医師にそう声をかけた。
「はい」
心臓が元に戻され、元通りに脈打つかどうかはもはや、医師の領域ではない、神の領域だ。
ここに居るスタッフ全体が息を殺して神に祈る。聡は無神論者だが、何かに祈る気持ちは良く分かった。
「脈動戻りました」
天使の託宣のように機械係りのスタッフの声がした。聡も心電図モニターを見ると緑色のグラフが綺麗な山型を描いている。
手術室に歓声が上がる。
「CCU――心臓専用の集中治療室――に患者搬送」
ゴールドスミス博士は自分に向かって、感謝の笑みを浮かべた。
「今日の手術は君がいなければ失敗していたかも知れない。有り難う」
屈託なくそう言って握手を求めて来る。握り返しながら博士の度量の深さに改めて感じ入った。
「執刀医としてご家族に報告してくる」
博士が姿を消すと、それが合図だったかのように手術用の無影灯が消され、スタッフ達は控え室に戻った。その道すがらも先輩医師達が肩を叩いてくる、慰労を込めて。そこに悪意は全く感じられなかった。
日本ではこういった場合、嫉妬の対象にされやすいのではないかとフト思った。
「サトシ、凄いじゃないか?凄いのは縫合術だけかと思っていたのだが違ったんだな」
控え室でケンが握手して来た。その手を外さずに部屋の隅に連れて行かれる。
「ここだけの話だが、あのまま胃の血管を使用していたら患者の命はなかったかもしれない。ずっと見守って来た内科医としての立場からも感謝する」
民族的には日本人の血も入っているが根っからのアメリカ育ちの彼は、自分を見習ってか、ぎこちなく頭を下げた。
「いえ、まだまだ未熟です」
そこにジャネットが声をかけた。
「スゴイじゃない。血管を斜めに切り出した時は慌てて止めようとしたのだけれども、余りに落ち着いているから様子を見てたのは正解だったわね。あの術式が今後、この病院のスタンダードになるわ」
充実感のある笑顔を向けられた。
「有り難うございます」
そう笑顔で返した。
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