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第六章 第3話

「香川教授と田中先生が揃ってお願い?」  疲れたように椅子に座り込む阿部師長の顔を蛍光灯の明かりで見た。  不眠や疲労を示すかのように目の下が青い。この人が今回の件に協力してくれなければ、また人選からやり直さなければならない。効果的な説得方法を…と必死だった。 「実は、ウチで手術中に人為的な妨害工作が行われています。それも看護師によって…」 「何?それどういうこと?看護師が手術の妨害?信じられない…」  そう言って窓を開けた。花冷えの風が室内を満たす。ポケットから煙草を取り出し、せかせかと火を点ける。阿部師長にしては珍しい動作だった。 「煙草一本貰ってもいいですか?」  どうしても協力が欲しいのでこちらも落ち着く必要がある。タバコは総合的に見れば身体に悪いが精神の沈静効果はある。  頷きと同時にパッケージとライターが机の上をこちらに滑って来た。自分の煙草は白衣に着替える際、ロッカーに置いて来たので。  祐樹が紫煙を吐き出すと、早速尋ねられた。 「どういうこと?手術の人為的妨害って…そんな恐ろしいこと…まともな看護師だったら絶対しない」 「看護師のロッカールームなどで話は聞きませんか?」  この病院には着替えのための所属の科関係なく使用する女性看護師用のロッカールームが有る。そこでは、噂の宝庫…らしい。祐樹は入ったことが当然ないため、あくまでも噂だ。 「そんなところに行く暇なんてないもの。着替えはここや救急救命室専用の控え室で済ますわ。ここでは一刻一秒を争う戦場なのだから」  そうだろうな…と思う。診療時間が決まっている科や、自分の所属する外科でも緊急手術は殆ど行われない。こちらがお役所のようなもので、救急救命はまさに戦場だ、何があるかは神のみぞ知るという…。 「そうですか…実は香川教授の手術で道具出しをしている星川看護師……手術室では一番と評価されていますが…彼女の道具出しのタイミングがバラバラで…手術に多大な迷惑を」  阿部師長は記憶を探るように目を閉じた。煙草の灰が落ちそうになるまで。 「星川さんのことは知っている。彼女の反射神経と動体視力は素晴らしかったので、ウチに引っ張ろうと思ってたんだけど…確かお母様が病気でウチのような『24時間勤務の場所では働けない』…と言ってきたんだっけ…」 「そうなんです。お母様の病気で病院代も必要なのに、急に金回りが良くなりました」 「金回りが良いからって、そんなに疑うものなの?私だって貯金はあるわ。もっとも遣う時間が全くなくて…せいぜいが深夜のコンビニしかないのだけれども」 「お金のことだけではなく、本当にタイミングをずらしています。この件は私も体験済みですし、香川教授も柏木先生も気付いている…何なら、第三者の柏木先生のご意見を聞いて見ますか?」 「聞くまでもないわね。香川教授がここに来たってことは切羽詰っている証だもの。彼も言ってた『術死は何としてでも防ぎたい』と」 「実際術死は時間の問題だと思います。早く対策を…と思っているのですが、全てのタイミングが悪くて…最後の望みの綱が阿部士長なんです」  必死に言い募った。 「話が見えないなぁ…私は手術室には関係ないナースだし…」  首を傾げた。 「それが、ツテを総動員しまして…星川看護師の預金口座を調べることが出来そうなのです。もちろん本人には内緒で…」 「ふーん。そんなことが本当に出来るの?」 「弁護士さんが介入して下さったら出来ます。先ほどまでその弁護士さんと打ち合わせを…」 「そうなんだ…良く分からないんだけど。弁護士さんが出来ると言えば出来るんでしょう。でも、ナゼ私のところにそんな話を?」  至極もっともな疑問だった。  姿勢を正して、祐樹は言った。 「しかし、星川看護師本人の委任状が必要です。といって本人がおいそれとそんなものを書くなんて絶対ありえません」  二本目の煙草に火を点けて視線で、話しの先を促す。 「弁護士の先生とは話が付いています。『星川』と名乗る女性が自己破産の代理人契約に現れたらそれを『星川』さんとして自分は職務の一環としてお金の流れを突き止める…と」 「つまりは、私が『星川』を名乗ってその弁護士さんのところに行けというコトね」 「そうです…お願い出来ますか?師長に迷惑が掛かるようなことは一切ないとお約束します。明日、『星川』のハンコを作ってこの名刺の弁護士さんのところに行って頂けたら全ては終わります」  彼女の返答を一日千秋の思いで待つ。 「ホントに星川看護師は手術の妨害をしているの?」  予想外の質問だった。阿部師長の経歴は知らないが、外科関係の科に居ることから考えて手術室に配属されていた蓋然性も高い。 「師長は手術室勤務の経験は?」 「有るわよ」 「ならば分かるハズです。道具出しの看護士が術者のペースを乱す仕事をすればどうなるか…」 「それにしても香川教授の手術にそんな妨害があったなんて…。彼は病院の稼ぎ頭よ。そのお陰でウチに回ってくる予算が増えた。大学病院が独立採算制になって切り捨てられるのは稼ぎが悪い部署…ウチみたいに、稼ぎはいいけど、維持するのに莫大な人件費が掛かるところは縮小傾向を余儀なくされると思ってたのだけど・・・彼のお陰で少しは救われた。  協力は惜しまないわ」 「有り難うございます」  深深と頭を下げた。 「ただし、応援には来てね」  この絶妙な駆け引きには笑ってしまう。 「分かりました」 「じゃ、商談成立」  そう言って扉を開けた阿部師長の後ろから部屋を出ると香川教授の澄んだ瞳が祐樹を捉えた。力強く頷くと、彼は花が綻ぶように微笑した。それ以上に白衣は真っ赤な花を咲かせていたが。

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