125 / 403
第六章 第5話
防犯対策だろうか、植え込みも煌々と言うわけではないが照明はかなり明るい。が、深夜を回っているので、人影は全くない。
――彼の住んでいる部屋を見たいな…――
唐突にそんな熱望がこみ上げる。
「お部屋には招待してくれないのですか?」
呟くように言うと、彼は沈黙で答えた。何かを耐えるような顔をしている。
しばらくして彼の唇から言葉が漏れた。
「今はダメだ」
「どうしてですか?」
彼の視線が泳ぐ。
「タクシーを待たしているのだろう?運転手さんが気の毒だ」
「どうせ、メーターは回っているんですから、少しくらいは平気ですよ」
「でもダメだ」
キッパリと拒絶されて、何故ダメなのかを教えてくれない彼に苛立った気持ちが抑えきれない。
「どうしてもダメ…ですか?」
語尾を上げて詰問口調になってしまっていた。
「ああ、ダメだ。絶対に」
強情な一面のある彼のことだ。こんな口調をするのでは絶対にマンションの部屋には上げてくれないだろう。ただ、拒絶されると余計に見たくなってしまうのが人情というものだ。彼の態度にカチンと来た。
「じゃあ、二者択一にしましょう。一つ目はマンションの部屋に招待すること。そして二つ目は、自分で上着を脱いで鎖骨の鬱血を見せて貰う…というのはどうですか?」
彼の顔が紅潮する。唇を噛み締めてつかの間動きが止まった。
――どちらもダメだ、と言うのだろうな、この人は――
そう思っていると、左右をそっと見渡し、人気がないのを確かめて、震える長い指でスーツのボタンを外して行く。
予想外の展開にじっと眺めていると、ますます彼の手の震えが酷くなる。高級そうなスーツを無造作に植え込みの木の上に置き、ネクタイに手を掛ける。
「ワイシャツに血が飛んでいますよ…もう凝固していますが…それより紅い鬱血痕を見せて下さい」
ワイシャツの血飛沫の痕を手でなぞった。
教授は諦めたように目を瞑り、ネクタイを取るとスーツの上に置いた。
清潔そうな顔に不似合いの上気した頬が淫らなコントラストを描く。凝視されていることは分かっているのだろう。ますます頬が紅潮する。
ワイシャツのボタンを三つ外して祐樹の下に歩み寄る。古都をイメージしたのか白い照明に鎖骨の情痕が赤く浮かび上がる。
幻惑されるように彼の鬱血に口付ける。強く吸うと彼の体温が上昇し、汗さえ浮かぶ。腕が背中に回されて身体が密着する。
鎖骨は彼が感じる場所のようだ。綺麗なラインを描く鎖骨の上に唇を這わせ、強く吸った。その都度彼の背中は反り返り感じていることを余すところなく伝えてくれる。
気が済むまで鎖骨に悪戯を仕掛けてから唇を求めた。
情動のまま激しくなる口付けに甘美さとも、苛立たしさともつかない奇妙な気持ちがする。
ひとしきり彼の唇を奪うと、鎖骨のラインに指を這わせた。それだけで彼の幾分細い身体は痙攣したかのように震える。
多分、他の部分も感じているだろうな…と冷静に予測する。が、それ以上の行為に進む気持ちはなかった。
一つ目は、他愛のない嫉妬心から。
二つ目は、自分のマンションに入れてくれない彼への意趣返しから。
だが、ホンネは言わず、耳元に低い声を注ぎ込む。
「こんなに痕を付けたら、他の男に見せようとは思わないでしょうね。男漁りは出来ませんよね?」
息を切らせていた彼は切れ切れに訴えた。
「そ、そんなこと、しない」
「信用出来かねますね。マンションに待っている男でもいるのではないのですか?」
「そんなことは、ない」
「そうなんですか?ではどうしてそんなに部屋に入れるのを拒むの?」
感じすぎたのか唇が空回りするだけで、返事はない。
「まあ、今日のところは大人しく帰りますよ。但し、次に逢った時に他の男の痕を付けていたら…お仕置き…しますよ」
――「お仕置き」――という言葉を聞いて、ビクっと身体が大きく震えた上に彼の呼吸が熱くなるのを感じた。
昨夜の情事から薄々感じていたことだが、「日常生活で使わない言葉」を耳に注ぎ込むと彼はひどく感じるらしい。
それが分かっただけでもヨシとするかと、彼のワイシャツのボタンを元通り嵌めて、ネクタイも結んでやる。職業柄手先は器用だ。スーツの上着も着せ掛けてから、唇に触れるだけのキスをした。
「長岡先生の説得は頼みましたよ。それと明日の第一助手は全力でサポートしますので・・・
では、お休みなさい」
そう挨拶すると目元に朱を刷いた切れ長の目が切なそうな光を帯びている。
ずっと見ていたい衝動に駆られたが、敢えて後ろを向き、待たせていたタクシーの方に歩き出す。
「お休み、祐樹。今日は有り難う」
か細い声だったがそう聞こえた。彼の顔を見ると戻りたい気持ちに歯止めが掛からなくなるのは分かっていたので、後ろ手で挨拶してタクシーに乗り込んだ。
ともだちにシェアしよう!