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第八章 第11話

「ワインは赤と白どちらがお好きですか?」 「祐樹が選ぶなら、どちらでも、いい。ただ、口当たりは甘い方がどちらかといえば好きだ」 「分かりました」  目で合図して先ほどシャンパンを運んで来た女性を呼ぶ。 「次はワインを・・・」 「赤ワインと白ワインどちらになさいますか?」  一瞬迷ったが、赤の方にポルフェノールが入っていて健康にいいと病院で聞いたことがある。 「赤ワイン…で甘みのあるのをお願いします」 「かしこまりました」  彼女はフルートグラスを下げ、ワイン用の大きなグラスを銀のトレーに載せ運んでくる。次はワインクーラーに入ったワインのボトルだ。 「本日の赤ワインの中で一番甘いのはこの・・・・・・でございます」  ・・・・・・はフランス語だろうが祐樹のワインの知識はない。有名どころのワインを辛うじて知っているくらいだ。「バローロ」とか「ロマネ・コンティ」とか…。  女性はルビー色のワインをグラスに注ぎ、静かに立ち去っていった。  理由もなく乾杯してから、お互い、ワインを呑んだ。教授は唇を花のようにほころばせてワイングラスに口をつけていた。  薄紅色の薄い唇に紅い液体が消えていくのは、とても扇情的な光景だった。見惚れていたが、自分も、そして多分教授も夕食はまだだと気付く。 「夕食…召し上がりましたか?」 「いや。祐樹と食べようと思ってたので・・・まだだ」 「こちらは、夕食も食べられるのですよね?」  久しぶりのアルコールが回ったのか目蓋を紅くした教授は言った。 「チェックインの時に説明を受けた。飲み物は、先ほどのようにコンシェルジェ兼クラブフロアの従業員が運んできてくれるが、食べ物は、あちらのエリアにあるものをいわゆるバイキング形式で取って下さいと。今日はフレンチだそうだ」  貧乏性と笑われるかもしれないが――事実、香川教授と比べれば資産にかなりの開きがあるので彼から見たら自分は貧乏だろう――普通のデートコース…高級レストランで食事してその後ホテルにチェックインして・・・というデートの方がもっとお金がかかる。このRホテルのクラブフロアは決して安くはないが、一流ホテルの料理とお酒を飲み放題、食べ放題で宿泊費用に含まれるのはかなりのお得だ。 「『今日は』ということは、他の日はフレンチではないと?」  教授は心からの微笑だと分かる綺麗な笑みで言った。 「そうみたいだな…中華やイタリアンの日もあるそうだ…」 「そうなんですね。では、料理を取ってきます。ああ、病み上がりは動かないで…」  一緒に立ち上がりかけた教授を制し、バイキングがあると教えられた方向に歩く。料理のトレーが祐樹の想像以上に並んでいた。  消化の良さそうな焼きトマトや、スープ、そしてメインディッシュを皿に盛る。2人分なのでかなりの量になった。備え付けられていた大皿一枚には載りきれなくて、どうしようか…?と思っていると、先ほどの女性がやってきた。 「先にこちらをお運びいたして置きます。ナイフとフォークもお付けいたしますので」  そう言ってくれた。  ふと、色々なチーズが盛り合わせてある皿が目に入った。乳製品なので身体には良い上にワインのおつまみとしても理想的な食材だ。早速皿に入れる。  食べ物の盛ってある向こうにも椅子とテーブルが重厚な様子で配置されている。半分くらいは席が埋まっていた。自分達が居るほうはどちらかというとレストランといった趣だが、こちらは趣味の良い大邸宅の居間といった感じだった。  席に戻ると、先に祐樹が選んだ食事の皿と取り皿、フォークとナイフなどが並んでいたが祐樹が綺麗に盛り付けた料理の形は崩れていない。 ――まさか、食欲が?――  そう思ったが、祐樹が戻ったのを見て、綺麗な微笑を浮かべた教授はいそいそとナイフとフォークを取り上げた。 「先に召し上がって下さったら良かったのに…」 「2人で食べた方が美味しいだろうと思って…待っていた」  そんなことをさらりと言う。――この人は殺し文句を無意識で言っているのか?――と思う。 「あ、チーズもたくさん選んで来ました。栄養はあるし、ワインを呑むのにはうってつけの食べ物ですので、食べてくださいね」 「チーズは好きだ」  幸せそうな顔をして笑ってくれる。 「あちらにも席がありましたが、どうしてこちらに座っていたのですか?」  特に深い意味はなく、何となく聞いた。 「ここに来た時、祐樹がまだ着いてないと知らされたので、こちら側に座って居た方が祐樹の到着のすぐ分かる点が気に入った。それが第一の理由。もう一つは、この窓からだと大阪城が見えると教えられて…まあ、夜だから見えないとは言われたのだが…大阪平野を一望出来る最上の席がここだと言われたから」 ――そういえば最初にこのホテルに来た時も大阪城に拘っていたな…――  そう思う。何か特別な思い入れでもあるのかも?と思ったので聞いてみた。 「別に、思い入れはない。私はずっと京都に住んでいたので…京都は盆地なので夜景――と言ってもあまり見なかったが――が小さい。その点、大阪の夜景は面積が広くて綺麗だから…」  真率に語る彼が愛しい。 「そうですか…。教授会…あまりお役に立てずにすみません」  意外な言葉を聞いたように、彼は目を見開く。目蓋の紅色と澄んだ瞳の絶妙のコントラストに見入ってしまう。 「佐々木先生の書面を手に入れてくれたのは祐樹だろう?私はあれがあったから落ち着いていられた…」  確かに佐々木前教授の邸宅に行ったら…というアイデアを出したのは祐樹だったが、明敏な彼のことだ。教授会の不穏な動きを事前に察知したら佐々木前教授に同様に相談に行くだろうと思った。祐樹に花を持たせてくれるその態度にますます愛おしさが募った。

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