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第八章 第12話

 教授が祐樹のペースでしか食事をしないのを知っていたので、積極的にナイフとフォークを動かした。抜かりなく2人分同じ料理を取って来ていた。  今日は教授の体調を慮ってアルコールの摂取は控えめにしておこうと決意した。タダなので勿体ないが…。  さすが一流ホテルだけあって、盛り付けも凝っている。祐樹も器用な方だと自負していたが、綺麗に切り分けるのが難しいミートパイのミルフィーユ仕立てにどうナイフを入れるか考えていた。いっそのこと、お箸を貰って一口に食べた方が合理的だな…と思ってしまうが、教授を見ると、綺麗にナイフを入れている。 「そういう風に綺麗にナイフを入れるのはコツがあるのですか?」  思わず聞いてしまった。 「…いや、何となくこう切ったら大丈夫ではないかと思ってナイフを動かしているだけだが?」  お箸でなら一口で食べられる料理を四等分に等間隔に切っていく教授はとてつもなく器用なのだろうと思った。 ――まぁ。この人の器用さは手術で知ってはいるが――  そう思うとつい、自分も四等分に切ろうと努力してしまう有様だ。  ミートパイを食べ終えた教授の澄んだ瞳が祐樹の手をじっと見ている。 「多分…もう少しと言ってもほんの僅かだがフォークの圧力を加えた方が切りやすいと思うのだが…」  アドバイス通りにすると、魔法のように綺麗に切り分けることが出来た。 「あ、本当ですね。有り難うございます。ただ、教授はどうしてそれが分かったのですか?経験ですか?」  教授のアメリカ時代も後半はお金に困らなかったハズだ。行ったことのない祐樹にはLAのレストラン事情は分からないが、きっとフレンチの店も充実しているだろう。もちろん高級な店も…。 「いや、この御菓子のようなパイは初めて食べる。…こう切ればこうなるだろうな…と何となく思えたのでそうしただけだ…」 ――多分、「何となく」ではなく頭の中で計算したに違いないと思ったが、腹は立たない。才能の差は歴然としているのだから…―― 「そういえば、ここのシェフはフランス人だそうだ…。フランス人の作った料理を食べるのは初めてだが…やはり本場の味だな。どこか違う…」 「良くご存知ですね…」  シェフがどこの国の人間かなど、考えたこともなかった祐樹は感心して言った。 「祐樹が到着するのを待つ間、話し相手になってくれたのが彼女で、色々教えてくれた。手持ち無沙汰に見えたのだろう…。」  視線を先ほどワインを注いでくれた女性に向ける。向こうも気付いて笑顔を浮かべて会釈した。教授は自覚していない可能性が高いが。男性受けはもちろん、女性受けもする顔立ちだ。このホテルの従業員はあからさまな賞賛の笑顔を向けたりしないように訓練されているのか、笑顔も――お客様に向けるように指導されていると思われる――人懐こいが、私情は入っていないといった感じの笑顔だ。  が、久しぶりに2人で別世界に来ているので、他の人間に目を遣らないで欲しいと思ってしまう。  ナイフとフォークを置いて、教授の顔を凝視する。ほんのりとアルコールで彩られた頬が綺麗だった。 「綺麗ですね…」 「ああ、この夜景は素晴らしいから…それにクラブフロアの装飾も…」  目的語を省略したのがマズかったらしい。ワインを呑んでから話を続けた。 「いえ、教授のことです」  そう言うと、彼は一瞬怒ったような目つきになり、その後表情を和らげた。 「有り難う。…祐樹の言うことは信じる」  彼の頬の紅さがますます際立った。  彼もワイングラスを飲み干した。二皿分の料理も殆どがなくなっている。 「もう少し、召し上がれますか?」 「ああ。出来ればスモーク・サーモンと先ほどのチーズの一揃えが欲しい…な」  今日はかなり体調が良いのだろう。祐樹と同じ位には食べている。 「分かりました」  そう言い置いて席を立ち、スモーク・サーモンでバラの花をかたどったのを一輪分新しい皿に盛った。隣に置いてあるサワークリームとレモンも忘れずに皿に綺麗に盛る。  チーズも一揃え皿に入れて、バゲットも忘れずに…と思っていた時、ふと、教授の方が先に着いていた…そして、クラブフロアで待っていた意味に思い当たる。  この階はチェックインしないと使用する資格がない…ということは、教授がチェックインしたということだ。今日のホテルの費用は自分が出そうと思っていただけに、本屋に寄ってしまった自分が悔やまれる。予約は自分の名前であっても、カードを出した方が請求先になるのだから。  リクエストの物を皿に盛って帰ると、新しいワイングラスに注がれた赤ワインがテーブルに載っていた。   教授が頼んだのか、それとも女性が気を利かせたのかは分からない。  祐樹に礼を言った後で青カビのチーズを口に運んでいる教授に頭を下げた。 「何だ?頭を下げられる覚えは全くないのだが?」  困惑した顔をした教授に告げる。 「すみません。ここのお勘定は教授の快気祝いということで私が持つ積りでしたが…教授が先にカード提示されたのですよね?」  逢ってからこんなに時間が経つまで気付かなかったとは、迂闊以外のナニモノでもない。 「いや、祐樹には私も随分迷惑を掛けたから…もともと私が支払う積りだった」 「それは…」 「もうカードを提示してしまったし、私が払う。だが祐樹がそんなに気遣ってくれるのなら二つばかり私の願いを聞いて欲しい」  アルコールのせいか潤んだ瞳でじっと見詰められる。こんな目をされたらどんな願いでもイエスと言ってしまいそうだった。思わず声が上擦る。 「私で出来ることであれば何でも…」  そう言うと、彼は凄艶な笑みを浮かべる、祐樹の情欲が一層煽られる。

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