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第八章 第17話
食事が盛られているテーブルの奥にはケーキやフルーツなどが見た目も美しく、かつ多種類用意されている。
――そういえば教授は甘いものはお好きなのだろうか?――
記憶を辿るが彼がケーキなどのお菓子を食べているところは見たことがない。祐樹が教授室に入り浸るようになってからも、秘書はコーヒーを出すだけだった。もし、彼がケーキや洋菓子が好きなら一緒に給仕されただろう。何しろ、患者さんからは祐樹ですら謝絶できずに洋菓子や果物といった品物の寸志は受け取ることもあるのだから、教授となればその数は圧倒的に多いだろう。病院の規則では「金品を受け取ってはならない」という一文があるが、実際には黙認されているのが現状だ。何しろ齋藤医学部長にしてからが、金品を受け取っている…というのは、公然の事実だ、病院の医師にとっては。
教授はお金こそ受け取らなさそうだが、菓子折りくらいなら受け取りそうだ。となると、あまり好きではないのだろうな…と思い、生ハムが乗ったメロンや、季節の果物…そしてRホテルでしか多分手に入らないチョコレートを皿に盛ってテーブルに戻った。
祐樹がデザートを思案している間に、ホットコーヒー茶碗は下げられ、彼と自分の席の前には、アイスコーヒーと何故かワイングラスが置かれていた。
「まだ飲むのですか?」
「ああ、有り難う。甘いものは……苦手なのでケーキがたくさん来たらどうしようかと思っていた…。あ、このワインは、スタッフの方が『とっておきのワインをこっそりお出しします』と言って持ってきてくれたんだ。私はアイスコーヒーを頼んだのだが…」
コーヒーと、白ワイン…どちらを先に飲むかを少し考えたが、生ハムも有ることだし、ワインを先にする。
教授も同じようにすることに決めたらしく、メロンを自分の皿に取り分けている。薄い生ハムをメロンと共に切っていく。そんなにメロンは大きく切られてはいなかったが、それでも生ハムの綺麗な形を損なうことなくメロンを切り分けた。
「やはり、手先がうっとりするくらい器用ですね…。それに細く長い指もとても綺麗だ」
感じたままを言うと、彼の酔いでほんのり桜色に染まった頬が紅くなった。手元が狂ったのか、生ハムが少し、メロンから外れた。
「失敗した…」
そう悔しげに言うと、もう一個目のメロンを手元の皿に取ってナイフとフォークを入れていく。
その流麗な手さばきと、彼の白魚よりも繊細でうつくしい指に見惚れる。
祐樹は唐突にあの指で、自分のあちこちを触って欲しいという欲求に駆られた。特に、一番感じるトコロを…。
今度は完璧にメロンを切り終えた教授は、祐樹の手元の新しい皿を引き寄せ、何も言わずに、綺麗に切れたほうのメロンをこれまた崩すことなしに皿に移し、祐樹に押しやってくれる。
「有り難うございます」
そう言って少し頭を下げた。教授は頬に微笑を浮かべ、メロンと白ワインを交互に楽しんでいる。祐樹もそれに倣ったが、白ワインは確かにこのホテルのスタッフが勧めるだけのことはある。ワインの爽やかな口当たりで生ハムの味がより一層引き立つ。
ワイングラスとメロンに集中しているフリをしながら、彼の桜色に染まった甘く整った顔を観賞していた。
いつの間にか、クラブフロアに客は居なくなり、スタッフの女性も自分のデスクに着いてパソコンで何か作業をしている。
教授もワインを飲み干してからそっと辺りを見回し、目の縁まで紅くして小さい声で話しかけてきた。
「さっき、聞きそびれたのだが……、祐樹はベッドで……どんな振る舞いをする人が……好みなんだ?」
無理やり声を出しているといった風情だった。話しながらもどんどんと顔が紅くなっていくのが絞った照明の下でもはっきり分かる。
――これは…自分が言った通りに振舞うということなのだな…?――
そう確信した祐樹は、教授の過去を聞きたかったにも関わらず、スルーされた件も有ったので…自分の好みプラス下心で答えた、ポーカーフェイスを装って。
「そうですね…自分の欲望を果たすだけなら一人ででも出来ますから…。やはり2人でしか出来ないことが出来る相手がいいですね。感じていることを必死に隠して恥らいながらも、つい欲望が勝って奔放に乱れる人だと興奮しますね…。それに、ベッドの中では素直に自分のして欲しいことや、考えていることをはっきり言葉に出す人は最高ですね」
ほぼ無人の豪華な部屋で、そんなことを囁いていると祐樹も淫靡な気持ちが高まってくる。
「…難しいな。私は先ほども言った通り、祐樹ほど経験を重ねているわけでもないので…祐樹を満足させられるかどうか…自信がない…」
長い睫毛に縁取られた瞳が悲しそうに伏せられる。
「だったら、部屋では私の言うことに従ってもらう…というのはどうです?」
欲情のあまり、掠れた低い声で囁いた。
「…・・・努力して…みる」
蚊の鳴くような声で告げられた。
そこに先ほどのスタッフが神妙な表情で静かに近付いて来る。
「お話は尽きないと思いますが、間もなく…」
クラブフロアを締めるという言葉をはっきり告げないのがこのホテルの一流たる所以ではないだろうか…と思った。
「申し訳ありません。もう出ますから」
キッパリと言ったのは教授だった。彼の顔を見て、スタッフが一瞬顔を赤くするのが分かった。
すこぶる面白くない。
「その代わり、このお皿に残っているチョコレートを部屋に持ち込んでもいいですか?」
きっぱりと教授が言う。
「クラブフロアの飲食物はお部屋に持ち帰りが出来ない規則なのですが、当方から急かし申し上げたわけですから、ただ今、お包み致します」
チョコレートの包みを持って教授は重厚な木材をふんだんに使用した廊下を歩く。祐樹も後に続く。鍵を持っているのは教授なのだから、その方が都合はいい。
クラブフロアの廊下は、夜遅いためか人が居ない。何だか2人してヨーロッパのホテルか古城で逢引しているような気がする。早く部屋に着けばいいのに…。そう希求した。
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