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第九章 第15話
その一言を発するだけが精一杯だった。恋愛経験はそれなりに積んで来たと自負していたが、全ては向こうからのアプローチだったし、別れる時も決定的な別れ話をせず自然消滅というパターンが多かった。祐樹からの告白はしたことがなかったのが、今更ながらに悔やまれる。
というより、本当に好きで付き合ったことはあったのだろうか?という根本的な疑問すらわく。
「この人と何が何でも一緒に居たい」と思えるような人間に出逢ったのは彼が初めてで、それも自覚したのが最近だったというのが祐樹らしくて笑える話だ。
「長岡先生の自宅も携帯も番号は私も、もちろん知っているが、彼女には私の自宅の番号しか教えていない。
……祐樹には、私が教えたくて、そして……教えた」
絶句してしまった。アメリカからわざわざ連れて帰って来るほどに信頼している長岡先生にすら教えていないとは…。目を伏せ気味にポツリポツリと言葉を紡ぐ彼の顔を見ながら考えていた。
電話番号の件は、教授をまだ敵視していた時に教えて貰っていた事実はどう解釈したら良いのだろうか?
あの頃の自分達の関係は決して良好なものではなかったのに…。
「それは光栄です。でも、何故私なのですか?」
彼の切れ長の目が何かを決意したような輝きを帯びたがそれも一瞬のことで、思い直したように伏せ気味になった。
「教えたいから…教えた。それだけだ…」
その鸚鵡のような返答に、もっと答えが欲しかった。が、自分で聞くのはとてつもなく勇気が必要だった。
どうして、こう土壇場になると必要な言葉が出て来ないのだろうか?と自嘲したくなる。
これはやはり彼から真意を聞かされるのが怖いからなのだろう…と思う。どうでも良い人間だったなら、すんなりと聞ける類の質問でも彼の答えが自分の希望とは違ったものだったら…と思うと。
彼は祐樹のことを信頼はしてくれているのだろう。嫌っても居ない。それらは確かだろう。ただそれが愛情となるとはなはだ微妙だ。
こうなると、肉体関係に陥ったのが逆にまずかったような気がする。今の段階で「付き合って下さい」と告白するのも、では逆に今までは付き合ってなかったように思われてしまう。それでは逆効果なような気がした。彼の過去を聞くにつれ、きっと本気の恋しかしてきてなかったのが推察出来る。
今はどうであれ、始まりは本気ではなかったのがたまらなく不誠実なような気がして余計に言い出せなくなってしまったな…と。
「祐樹?」
黙りこんだ自分を見かねたのか、不安そうな声で呼びかけられた。
「はい。何かおっしゃりたいことでも?」
「いや、何か悩み事でもあるのかと…」
「悩み…ですか?ありますよ」
そう言ってスタッフを呼び、コーヒーのお代わりを頼んだ。向かいに座っている彼は驚いたように目を丸くする。
『貴方は、私のことをどう思っているのですか?』
そう聞きたかった。が、それを聞くのが怖い。代わりにこんな言葉しか出ない自分にホトホト愛想が尽きそうだ。それもコーヒーのお代わりをさらに4杯飲み干しての結果だった。
「またここで逢って戴けますか?」
不思議そうに祐樹の行動を眺めていた教授はほんのり笑って言った。
「ああ、祐樹が望むのなら…何回でも」
望まなかったら逢わないつもりか…と些細なことに拘ってしまう。
「貴方は…過去の恋人と別れる時はキチンと宣告しましたか?」
今度は、彼がコーヒーを注文した。祐樹と違ってホットコーヒーだったが。何かを考えるふうにコーヒーに角砂糖を落としている。一つ、二つ、三つと。祐樹が今まで教授を見てきた中で彼がこんなに砂糖を入れるのは初めてだった。
「いや…祐樹と同じく自然消滅だったな…」
甘さも気にならないのか、コーヒーを飲み干してからゆっくりと言った。気まずそうに目を逸らしている。
ますます彼が分からなくなる。祐樹の経験からすると自然消滅するような仲だったらそんなに未練を残さないのではないだろうか?同棲するくらいの恋人同士ならもっと派手に喧嘩別れをするのではないだろうか?それとも深追いを避ける人なのだろうか?この人の場合だと恋敵が現れたらそっと身を引きそうだ。祐樹なら立ち向かって勝った後に捨てたと思うが。
「コンドミニアムを引っ越したことは?」
「それはないが?」
それだと身を引いたことにはならない…いや、「来ないでくれ」と頼んだのなら身を引いたことになるのか?コンドミニアムにどの期間住んだかも分からないので判断のしようがない。
彼をここまで愛してしまった以上は、愛想を尽かされることだけは避けたかった。あまり過去のことは彼が言いだすまで聞かないでおこうと決意した。
「部屋へ、戻りますか?もう充分召し上がったことですし…」
「ああ、それは良いが、もうこれ以上は…」
言葉を切って頬を染める。いい年をした大人がするには初心な反応だったが、彼がすると少しも嫌味にはならない。
「分かっています。貴方の負担になることはしませんから」
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