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第十章 第2話

「ところで、そちらの方は上手く行っているのですか?」  ささやかな意趣返しとばかりに突っ込んでみる。阿部師長からは「百合の花束を大量に贈られて、香りにむせて困った」という話を聞いていたので。 「ああ、彼女の部屋には何度か行った。非番の日も彼女は出勤するので、そう長くは居られないが…」  心底落ち込んでいる気配に、少し酷な質問だったか?と思い慌ててフォローする。大人の男女が部屋に行くとなると、展開は決まっているようなものだ。 「でも、そういう関係にはなったのでしょう?」 「いや、それもまだだ・・・」  しまった、墓穴を掘ってしまった…と思ったが。杉田弁護士は明るい口調で言う。 「この年になると君達のように…そんなに肉体関係を求めない付き合い方も出来るものなのだ。  彼女は殆ど病院に詰め切りで、非番の日はそれこそ死んだように眠っている。三時間も寝れば、すっきりするそうだ…。非番でも彼女が必要な患者さんが運ばれてくれば、携帯電話が鳴る。すると、彼女は駆けつけるといった寸法だ。私はそれで良いと思っている。非番の日と私の時間の空いた時が合えば、彼女の部屋に行き、簡単な食事を作ってやる。その前に御風呂に入らせることもある。当然彼女の身体を洗ってやることになるので裸体は見たが…それ以上はしていない。  彼女が疲れきっているのが分かるから…。そういう思いやりの恋愛関係もオツなものだとは思わないか?もちろん、彼女に対してそういう気持ちは持ってはいるよ…。だが、彼女が本当に纏まった休みを取って、どこかに旅行するまでは、そういう関係になるつもりはないな…。  まぁ、私も年なんでこういう関係も成り立つのだろうが、そちらはそうは行かないだろうな。二人ともまだ20代なのだから…。私も20代の頃はそんな心境になるとは思ってもみなかった」  相手を重んじる関係か…と、杉田弁護士の言葉を心の中で反芻する。流石に亀の甲より年の功だ。感銘を受けて黙り込んでしまった。 「そちらでは香川教授の評判で持ちきりのようだな…。彼は確かに整った顔立ちをしているが、今日からは病棟のナース達が一斉に香川教授の噂を始めたそうじゃないか…。阿部師長のメールは時間がないのでそれしか書かれていなかったが…何でも、噂の孤島の救急救命室にまでナース達の黄色い声が飛来しているらしいな…。今日変化があったということは、先週末に何らかの進展が有ったのだろう?ただ、肉体関係は以前から有ったようだが…。それ以上に劇的なことが何か有った筈だ。そうでないと論理的に説明がつかない。雰囲気が変わったのは田中先生のせいとしか思えないのだが?」  先ほどの恋愛談義で、杉田弁護士を少し見直した。それまでは、他人の恋愛沙汰を傍観者として楽しんでいただけの人かと思っていた。何しろ、女性に菊の花を贈ろうとする人なのだから…。  亀の甲より年の功…溺れる者は藁をも掴む…昔覚えた、ことわざが頭の中を駆け巡った。杉田弁護士も20代の頃は色々有ったらしい。それも男性相手に。  祐樹とて、二回目の行為でどうして彼があんなにも変貌したのか大変気になっている。  思い切って相談してみるか…と思った。本来ならば直接会って話すべき内容だが、祐樹には時間がない。電話しか手段がなかった。 「あのう、その件で少しご相談があるのですが…長くなりそうなので、お仕事中ならご迷惑ですよね?」 「いや、こちらはそちらと同じく専門サービス業だし、私は自営だ。今日はクライアントのアポイントメントも全てこなしたし、訴状作成などの業務も今のところ大丈夫だが?」 「では、10分後にお電話して宜しいでしょうか?」 「ああ。この道を伝授出来る相手はなかなか居ないから、楽しみにしている」  電話で話すといっても内容が内容だ。大学病院の屋上には誰も居ないとはいえ、壁に耳有り、障子に目有りだ。祐樹は数箇所、喫煙コーナーを知っている…というか勝手に作っている。スタッフ専用入り口もその一つだが、あそこは誰かしらが通る。1人になりたい時のためにデットスペースを見つけてあった。誰も来ない場所だ。細い道のどん詰まりに元は民家があったが、持ち主の事情か取り壊されて空き地になっている。夜は目敏いカップルなどが来ているようだが昼間は誰も来ない。そこに行くことにした。鈴木さんのムンテラ(病状説明)は約束していたわけではないので、少しくらい仕事をサボっても大丈夫なハズだ、直属の上司である教授にバレさえしなければ…。  手早く白衣を脱いで屋上の隅に隠す。靴は医療用の専用靴でなかったことも幸いだった。教授のためにコンビニに行くために通勤用の靴に履き替えてそのままだったので。  白衣を脱ぐとワイシャツにネクタイ姿だ。これなら普通のサラリーマンと何ら変わりはない。携帯で通話していても誰も怪しまないだろう。  誰にも見咎められないようにワザと正面玄関から出た。もちろん顔は伏せていたが。これなら外来患者さんとか見舞客と同じように見えるだろう。  目的の場所に着くまでに何度も振り返って誰にも気付かれていないかどうか確認した。このくらいの用心をしなければ、誰が敵であるか分からない以上は危険な感じがしたので。 「遅くなって済みません。田中ですが…今話しをしても良いですか?」  今度は携帯の番号に掛けた。その方が杉田弁護士も事務員から離れることが出来る。  思い切って今までの経緯を包み隠さず話した。彼の過去の男性関係から、二回の逢瀬のことまで。流石に具体的な行為は伏せたが。 「何だか、話を聞いていると、彼はそんなに経験豊富ではなさそうなのだが…?」  不思議そうに杉田弁護士も言った。 「ええ、ただ、2人の男性とは同棲のようなことをしていたようですが…」 「ならば、もっと慣れていてもいいようなものだが…。本当に同棲していたと彼が断言したのか?」  そういえば、その手の話をすると、普段は間髪入れずに返してくる返事にタイムラグが有ったような…? 「いえ、断言はしていないです…今考えると…」 「一回目はどちらが誘った?」  随分露骨なことを聞かれるなと思ったが、毒を食らわば皿までだ。洗いざらい話してみようと腹を括った。思い切りの良さが外科医として適正…と昔先輩に言われたことをフト思い出すことにした。

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