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第十章 第4話

「しかし、あれだけの魅力のある方が、過去の恋人を水増しする必要はないと思われますが?」 「そのことなのだが、田中君は『彼のことを魅力がある』と言っているし、『グレイス』でも確かに、モテてはいた…。私も同意するのにやぶさかではない。だが、それはあくまでも客観的に見ての話だとは思わないか?  彼は仕事上とても有能だ。だが、手術の成功例――今でも100%なのだろう?――それは数量化出来るので、彼も手術の腕前についてはある程度の自信を持っているのは想像に難くないが…。  自分の魅力は、客観的には皆が思っていても…主観的に自信がないのではないだろうか?彼は『自分が皆を魅了させる外見を持っている』と自己分析しているようには全く思えないのだが?  『グレイス』で皆が声を掛けたエピソードも、彼の魅力に皆が『話したい』とか「下心がある」からだ…などと考えずに、『新顔が珍しいのだろう…』としか自己分析していない可能性すら有る。  以前、『星川ナースの件』で三人一緒に食事をしたことは覚えているか?彼の様子から、自分の外見的魅力を自覚している様子は全く感じられなかったのが印象的だったよ…。  彼も理系思考の人間だ、自分の魅力について――芸能人なら、写真集の売り上げやギャラの多さで客観的にも主観的にも判断出来るがーー彼の仕事では自己客観視が出来ていないのかも知れない。  要するに自分の容姿に対しては、誇るどころか、卑下していてもおかしくはないと思ったものだ…」  流石は文系の資格の中で最難関の司法試験に合格しただけのことはあると感心した。見事な説得力だ。自分のような理系の頭では想像出来ないことも、解析してくれるのだから。  そういえば、星川ナースの嫌がらせがピークに達していた時も、自分の才能は誇らずに自分を責めていたことを思い出す。あれは自分の才能を自己客観視出来ていないからだったのではないのだろうか?教授に招聘される実力が自分に備わっているという客観的事実も彼の頭の中ではピンと来ていないのだったら、彼の類稀なる容姿も客観的に見ていない可能性はあるな…と思った。祐樹などは、自分がそれなりにモテてきたので、それなりに容姿に対しても自信はあるのだが…。 「脱線してしまったな…二回目の逢瀬で、何故彼に変化が起こったのか?というのが、今回の主題だった筈だ。要約するとこういうことだろう?一回目は彼から誘ったということになっていて、二回目は田中君から誘ったという認識で間違いはないか?」 「ええ、その通りです」 「二回目の時と一回目の時との違いは?」 「……」  流石に口に出して言うのは憚られる。が、教授のことは第三者の冷静な目で判断してもらわないと祐樹の手に余る。岡目八目とも言うではないか…。それに、教授が自分の魅力を自覚していない…という点は、説得力が有り過ぎた。今日の手術で星川ナースの道具出しのタイミングが狂った件に関しても、彼には自覚がなかったのだから…。 「一回目よりも、二回目の方が感じてくれたのは確かです。それに随分積極的だったと思います」 「どんなふうに積極的だったのか、中年のスケベな心が疼くが…それは聞かないことにしよう…。一回目と二回目の違いは、『どちらが誘ったのか』に尽きると推察される。つまり、一回目は彼が誘って田中君が嫌々ながらも付き合ったと彼は思ったのかも知れない。二回目は田中君の方から誘ったことによって『自分は求められている』としみじみと実感して嬉しかったのではないかと。その悦びで、彼は解放感に浸れたのではないのか?  一回目の逢瀬では、どこか遠慮があって心の底から性行為を楽しめなかったのではないかと思うのだが、二回目は心の底から感じたので、彼の雰囲気に変化が現れたとしか推論出来ないのだが」  そういえば二回目の時は理性が飛んでいる感じだったな?と思い出す。それに後ろでも充分感じていた…。 「そういえば、後ろの悦楽を充分知ったのは二回目だったように思えます…」 「それならば、私の論理に破綻はないと考えるのに充分だ。  彼は性行為を心の底から楽しんだのは二回目が初めてで…そして、後ろ――田中君なら分かるだろうが…――の快楽は、慣れた者しか得られない。彼は初めてそういう快楽を知ったので、一気にナース達が騒ぐ程の雰囲気を纏ってしまったのだろう。彼の変化を論理的に考えればそれ以外の答えは見つからないと思うのだが…」 「そうですね…」  祐樹が自分の過去を赤裸々に彼に対して語ったことにより、彼が合わせてくれたことが純粋に嬉しかった。潔癖そうな彼なら、祐樹の過去を知った途端、愛想尽かしをされてもおかしくないので。そうならなくて本当に良かったと心の底から安堵した。  それに自分との行為が原因で雰囲気が変わったのは分かっていたが、こうも理路整然と説明されると…(杉田弁護士の推論が合っているかどうかは別として…ただ、杉田弁護士の言葉は思い当たることが多すぎて、これは彼に直接確かめてみたいと切実に思ったが)初めて彼が悦楽を感じてくれたのが自分だったということに、感動すら覚える。 「つかぬことを聞くが…」 「はい?」 「私の出身学部は学生の人数も多いので、学年が同じでも知らない人間の方が多い。学年が違ったら知っている人間は、同じゼミの学生しか居ない…まぁ、サークルなどに入っていれば別だろうが…。だが、そちらの学部は少人数だ。しかも専攻は同じ心臓外科だろう?ゼミも同じだった筈なのに、田中君は学生の頃にどうして彼と出会っていなかったのだろうな?」 「それは私も疑問です。学年は違いますが、同じゼミなので学年を超えた飲み会などもありましたし…それなのに、学生時代は会った記憶が有りません」 「ほほう。それは不自然なことだな?私の学生時代の思い出で、同じゼミに所属している人間は、顔を会わせる機会は絶対有った筈だ」 「ええ、それは私の学部でもそうです。だから不思議で…」

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