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第十二章 第3話
タクシーの運転手に「京都駅まで」と行き先を告げる。その二台後にくだんのセドリックがぴったりと付いてくる。やはり尾行されているのか?と思う。
運転免許証は持っているが、普段運転しないので、こういうことは専門家に聞くに限る。蛇の道は蛇だ。
「あのう…どうも後ろのセドリックなのですが、ずっと付いてくるようなのですが?」
京都でも指折りのサービスを誇る○Kタクシーに乗ったのが正解だった。
「お客様は、色男でいらっしゃいますからね……ストーカーかもしれませんね。試しにウインカーとは逆の方向に走行してみます」
色男という古風な言葉には苦笑するしかないが。
最近の祐樹は、教授としか付き合っていない。彼と出会う前も、仕事の忙しさにかまけて特定の恋人を作るのはもちろんのこと、遊びでも付き合ったことはない。現在、ストーキングされる心当たりは皆無だ。
となると、大学関係者か?と思う。香川教授を快く思っていない医局員の存在は嫌という程知っている。
それに柏木先生に託された告発の手紙……。
ベテランと思しきタクシーの運転手は右折のウインカーを出しておきながら、信号が変わると巧みなハンドル捌きで左折した。抗議のクラクションは鳴らされたが、職業柄と言うべきか、事故は起こさずに左折に成功した。祐樹も後部座席に横向きに座り、後ろの黒いセドリックを見ていないフリをしてしっかりチェックをしていた。
向こうも慌てたようだったが、左折してきた。こちらは接触事故ギリギリの危険を冒して。
「ああ、やはり付いてきていますね。これは尾行ですね」
プロの底力か、危ない運転をしたにも関わらず涼しく、そして客を心配するような声で言った。
「あの車なのですが、レンタカーではないですよね?」
自動車については彼の方が詳しいだろう。
「ええ、違いますね。ナンバープレートからすると……。それにああいう車を選ぶのは目立たないようにと思っている人ですね。興信所とか……。お客様は少し年齢的にはお早いようですが……結婚の話など出ていませんか?もし出ているのでしたら『身辺調査』などで数日間尾行されるという話を聞いたことがありますよ」
祐樹の雰囲気からして警察に追われているという――警察もこういったセダンタイプの目立たない車を覆面車を使うと、警察官と自然に接触が深くなる法医学教室のナースに聞いたことがあった――切迫感は感じていないのだろう、運転手が気の毒そうに聞いてくる。まさか職場でのトラブルをいくら親身になってくれているからといってこの彼に明かすわけにはいかない。
「結婚の話は出ていませんが、お見合いの話はちらほら……そっち関係でしょう……」
出任せを言うと、運転手さんは納得したように頷いた。
この尾行は、学内で祐樹を快く思っていない人間が祐樹の弱点を探るために?これも「香川教授の懐刀」と呼ばれるようになったからか?と予測する。
「実は大阪駅が最終目的なのですが、京都駅に着けてもらうよりも他のローカルな駅の方がいいですか?」
尾行のことなど、テレビドラマの中でしか観たことはない。それよりも運転手さんに聞くほうが早いだろう。
「いや、京都駅が良いでしょう。車の量が全く違うので、尾行は撒きやすいですよ」
いやぁ、色男は大変ですなぁ……という賞賛とも揶揄とも取れる言葉が続く。それに苦笑を返した。
過去に――同性という世間から見れば特殊な――恋愛遍歴(と言っても今思えば遊びだったが)は有ったが、今は彼のことしか考えられない。
仕事絡みで祐樹にまで尾行が付くとすれば、教授も危ない上に、逢瀬の現場を見られたら大変なことになる。
「ここから京都駅まで何分くらいですか?」
「この混み方だったら、20分くらいだと思いますが」
祐樹は携帯を取り出し、JRの新快速の時刻表を検索した。尾行を巻くのならギリギリの電車に飛び乗るのが望ましい。
「適当に走って、ぴったり25分後にタクシー降り場に着けて下さい」
携帯を操作している段階で何かを察したのか、それともあまりプライベートなことには深入りしないようにと会社から注意を受けているのか?あるいは両方かも知れないが、余計は口は挟まない。
「畏まりました。京都駅に向かっているとは予測出来ないような道を通って――つまり近道ではないということですが――駅に着けます。タクシー降り場ではなく、無理やり改札口の近くで停車いたします」
とだけ返事をした。
「有り難うございます。宜しくお願いします」
そう言って後ろを見ると依然として同じ車種が――ナンバープレートは他の車に隠れて見えなかったが――付いてくる。
京都駅は、車を降りる場所――特にタクシーの乗降口――と改札口が離れている。祐樹などはそれが当たり前だと思っていたので、教授と逢瀬を持つようになって大阪に行くようになってから、駅とタクシーの乗り場があまりにも近いことに驚いたくらいだ。だが、改札に近い場所で下してくれるならば。走って――職業柄、体力は有るほうだ――新快速電車にギリギリのタイミングで乗ってしまえば、尾行者が誰であれ、意表を衝かれるハズだ。
タクシーの運転手さんは素晴らしいタイミングで京都駅の改札に近い場所で車を停めた。そっと黒いセドリックを探すが見つからない。確かに、あの運転では目的地が京都駅だとは容易に予測は出来ないだろうな……という道順だったので。
祐樹は感謝を込めて、福沢諭吉の顔を未練たらしく見つめると「お釣りは結構ですから」と言って、走り出した。ギリギリの新快速に乗るために。こんな時は、ICカードの乗車券を持っていないことが悔やまれるが、後の祭りだ。尾行……教授の方は大丈夫なのだろうかと切迫感が募る。
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