271 / 403

第十二章 第7話

 教授がこのクラブフロアラウンジで気に入っている席は奥まったデットスペースとも言う場所だ。ここからは大阪城は眺めることは出来るが、他のゲストが通り過ぎる可能性がとても少ない場所だった。 「他人の目にに付かない場所だからか?」とも思うが、この建物は普通のホテルにありがちな構造はしていない。祐樹は幸い、方向感覚も記憶力も優れているので迷わずにホテルの中を歩くことは出来るが、方向音痴の人間の場合、かなりの確率で迷いそうだ。  そんな構造のホテルなので、人目に付かないクラブラウンジの席は沢山あるのだが、教授が好んで座っているのは、他のスペースと違って出っ張った隅の場所だ。猫のように隅っこが好きなのだろうか?などと、ラチもないことを考えていた。それに宿泊代……先ほどは教授の笑顔が必要だったので、ツイツイ、彼のカードでチェック・インをしたが。彼にばかり負担を掛けては申し訳ない気分で一杯になる。こっそりと紙幣を彼の財布の中にでも入れておこうかと思う。  尾行をされた現実逃避のために取りとめのないことを考えていると、彼が皿に食べ物を盛って戻って来た。その皿の様子が気になる。他人から見れば十分綺麗には盛り付けられているのだが。祐樹の見た限りでは几帳面で凝り性の彼らしくない、どこか投げやりさを感じさせる。あるいは心ここにあらずといった感じか。  例えばスモークサーモンはこの前のように薔薇の花びらの形はしていることはしているのだが、どこか全体的に崩れた感じなのだ。  彼の表情を窺うと、少し顔色が冴えない。 「体調でもお悪いのですか?」 「いや、別にどこも悪くはない。祐樹の気のせいだろう?」  心持ち低い声で彼は言う。  祐樹が尾行された(可能性が高い)ことを告白してしまうと、更に彼を追い詰めるような気がして。 「そうですか?気のせいなら良いのですが。教授は作り笑顔も上手いですね。演技が上手なのでしょうか?」  話題を変えるために先ほどの件を蒸し返す。それを聞いた彼は唇にうっすらと微笑を刻んで言う。 「演技なんて……していない。あの女性スタッフを祐樹だと思いこむように自己暗示をかけて、そして話していた。私は作り笑顔や演技などは出来ない不器用な人間だから」  その言葉には驚いた。彼は何でも出来る器用な人間だと思っていたので。仕事には才能があり、容姿は端麗で性格にも難点がないという稀有な人なだけに、何でも出来るのかといささかコンプレックスを持ってしまっていたので、「演技は出来ない」と言われると何だか彼の人間らしさ――淫らな面は散々知っているが、性欲と才能は別だ――が垣間見られてとても親近感が湧く。  そこに祐樹の携帯がスーツのポケットの中で振動し、着信を知らせた。 ――あの公衆電話の主か?――  そう思って表示を見ると杉田弁護士だった。多分、明日の件の打ち合わせだろうと思うのだが。公衆電話の主が分からないのが不満と言えば不満だ。 「手術中に怪我をしたそうだね。お大事に。別に医師生命に関わるほどの怪我ではなかったので良かったが」  情報が早すぎる。杉田弁護士に情報を流出させたのは、阿部師長に違いない。彼らの交際は順調のようだ。 「情報……早いですね。漏洩源は言わずと知れていますが……彼女ですよね?」 「ああ、そうだ。滅多に逢えない分、メールと電話は頻繁に交換している」  目の前に居る教授も祐樹が誰と話しているのかは分かったらしい。電話を代わるようにとのゼシュチャーをしている。 「今、目の前に香川教授がいらっしゃいますので、変わります」 「ほほう……定時に仕事を終えて、何をしているのかと思えば……その背後の雰囲気はホテルと踏んだのだが」  何故こんなに鋭いのか?2人の定時上がりは阿部師長も調べようと思えば調べられるが、それ以降の行動など誰にも漏らしていない。それに祐樹を尾行したのはよもや彼ではあるまい。そこまで酔狂ではなさそうだ。 「流石ですね。しかし、何故分かりましたか?」 「職業柄、細かいことに敏感になってしまって。食器の触れ合う音やそれとこれが一番の確証なのだが、客と思しき人間が従業員と思われる人間と仲良く話しているのが聞こえてね。そんな場所はレストランでも、どちらかの部屋でもあり得ないだろう?」  これ以上話すとホテルの名前まで突き止められてしまいそうだ。返事をせずに携帯を教授に渡した。 「星川ナースの件、明日分かりますか?」  礼儀正しい彼が挨拶を省いて聞くところを見ると余程気にしているのだろう。こうなっては祐樹に尾行の件は口が裂けても言えないな……と思う。 「はい、分かりました。仕事が終り次第、事務所にお伺いしますのでどうか宜しくお願いいたします」  そう丁重に言う彼の口調に安堵の色を感じた。丁重にお礼を言ってから携帯を祐樹に返してきた。 「先生のアドバイス……今日ためしてみますので」  丁重に電話を切る。そしてほとんど上の空で食事をしている彼に囁く。 「食事が終わったら、お願い3を実行します。どうか拒まないで……」  そう低い声に身体を震わせた彼は先ほどの女性スタッフに見せたのよりも艶めいた微笑浮かべた。彼も3つ目の願いが性行為にまつわるものだと感じているのだな…と思う。 「食事は……もう良い。で、何をすればいい?」 「そうですね……」と意味深に声を潜めた。

ともだちにシェアしよう!