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第十二章 第8話

「祐樹の願いなら、私は何でもする」  どこか切羽詰った眼差しが印象的だった。どうして彼はこんな表情をするのだろうか?祐樹が彼に取ってはワケの分からない頼みごとをしたのを不審に思うのならともかく。 「では、部屋ではなく……他の場所で貴方の素肌を感じたいのですが……」  羞恥心の強い彼のことだ――快楽で理性が飛んでしまっている時以外は――ホテルの部屋以外での行為はキッパリと拒絶されるかと思っていた。拒否されれば、手の怪我を使った少々汚い手段――泣き落としで行こうと思っていた。  人目を気にする彼だからこそ、他の人間の気配を感じる場所での行為は辛いかもしれないが、その背徳感が快楽に容易に変化する。そのことは祐樹のこれまでの遊びの男性遍歴で良く知っていた。いや、数少ない女性もだ。  彼はその言葉を聞いて、数分の間瞳を閉じた。押し殺した怒りの声が出てくることを予想して次の言葉を模索していた。すると、彼はいつもの怜悧な表情と、それには不似合いの目蓋の上を桃色に上気させて意外なことを言う。 「祐樹が望むなら、私はどこででも良い」  きっぱりとして潔い声に祐樹が逆に焦ってしまう。 「本当に良いのですか?」  もちろん、回りには人影はない。祐樹と教授だけの贅沢な空間が広がっている。それなのに、声は自然と小さくなる。 「ああ、祐樹が望むなら。乳液は持って来ているのだろう?」 「ええ、もちろんです」 「では、もう十分食べたし……祐樹の望む場所に行こう」  この人は怒らないのか?と思う。祐樹なら自分の意見しか押し付けない人間は怒りの対象なのだが。  それに瞳の奥に幽かに揺らめく心配そうな光も気になった。明日判明するハズの、星川ナースの黒幕の件だけだろうか?  教授がチェックインを済ませていたので、アンティークな感じのするホテルのキーホルダー――部屋番号が刻印してあるものだ――は2人が占領していたテーブルの上にある。   その鍵を大急ぎでスーツのポケットに仕舞うと、教授を促して立ち上がった。 「どこに行くのだ?」 「貴方の極上の内壁は無意識で素敵な動きをすることはご存知です……よね?」  彼は、眼差しだけで肯定の意を伝えてきた。流石に言葉にするのは恥ずかしいのだろう。その凄絶な色香を孕んだ瞳の光にただ魅入ってしまう。 「貴方は頭脳だけでなく、身体も素晴らしく物覚えが良いのです。普通、口で愛してくれる時に咽喉まで開ける人は居ないのですよ。どんなに訓練しても……です。それなのに、私が一回口でお教えしただけなのにいとも易々とマスターしてしまわれた。頭が良い人は運動能力も高いというのは本当ですね」  今回の部屋はクラブフロアラウンジから二階分上だ。その部屋に向かって廊下を歩きながらひそひそ話しをしている。時々あめ色のマホガニー(だろう、多分)の食器飾り用の家具のガラスに教授の横顔が映る。それがとても綺麗だった。  しかも、教授が女性スタッフに確かめてくれた通り、確かにゲストの数は少ないようだった。誰ともすれ違わない。 「ああ、つまり私が理性のある時にそんな動きをさせて……それを頭にインプットさせようと?」  察しよく彼は言った。 「そうです。あの動きは病みつきになるほど…全身に快感の余り鳥肌が立つほどイイですから」 「……病みつきに……なるの……か?祐樹が?」  何だか確認するような口調なのが気になったが。 「ええ、私が……です。あんなに気持ち良い経験をしたのは生まれて初めてですから」  丁度、高価そうな――実際高いのだろうが――食器棚と中に飾られている皿を見せるための照明の下に来ていた。食器棚を眺めるフリをして彼の表情を確かめる。  もし本当に嫌なら……無理強いはしたくなかった。彼を惑乱させる方法はホテルの部屋の中で改めて考えればいいのだから。  彼の薄紅色の唇が少し弛んでいる。嬉しそうな微笑の形に。 「で、祐樹がしたい場所というのはどこなのだ?」 「トイレです。あそこなら個室がありますし、誰が入って来るか分からないですから」  流石は世界を代表するホテルチェーンだ。ホテルのトイレの個室は広い上に、トイレ自体も凝っていて大理石で出来ている。普通のプラスティックの便器なら2人の体重を支えきれないが、大理石なら大丈夫だろう。しかも、ウオシュレット付きなので、祐樹が彼の肢体の中に欲望の滾りを放っても少しは洗浄出来る。あくまで少しは……だが。  彼は少し震える声できっぱりと言い放つ。その声は凛としていながらもどこかに官能の炎の色を纏っているようだったが。 「では、人が最も良く利用しそうな、クラブフロアラウンジ階のラウンジに一番近いトイレに行こう」  そこまで歩み寄ってくれるとは正直意外過ぎて。だが、彼の気持ちはとても嬉しい。辺りに人が居ないのを良いことに手を繋ごうと腕を伸ばす。彼は祐樹の右手が自分の左手に絡む前にすっと身体を離してしまう。  手を繋ぐのは嫌なのかと思ったが、彼の男性としては細く優美な肢体を動かして祐樹の反対側に回る。そして、祐樹の左手の指全部を彼の繊細なフォルムを描く白い指に絡めた。  どうやら怪我だけが遠慮の対象だったらしい。しっかりと10本の指を絡めて歩く。人の気配を気にしながら。それだけで何だか幸せな気分になる。彼の顔を見ると、彼もほんのりとした色香が顔を彩っている。   絡めた指が普段より少し熱いが、気持ちの良い温もりだった。

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