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第十二章 第14話
「大丈夫ですか?歩けますか?」
彼の息が整うのを待って聞いてみた。ホテルの廊下は――それがそのフロアに宿泊するゲストしか通らないと言っても――オフィシャルな空間だ。誰が通りかかるかも分からない。
しかもその上、尾行は撒いた自信は有ったが、祐樹も尾行されるようなこととは無縁で生きてきた。素人には分からない追跡方法も有るかもしれない。
「ああ、顔さえ洗えば……大丈夫だ」
柔らかな前髪が少し額に落ちかかっているのが艶かしい。その返事に他人の気配がないのを確認してからドアを開けた。
幾分艶やかな動作で彼は洗面台に向かい、顔に冷水を掛けている。次第に彼本来の表情である怜悧さが戻ってくるのを複雑な気分で見ていた。タオルを手渡す。
「有り難う」
潤んだ瞳に少しだけ先ほどの余韻を感じさせるが、冷水で気分転換が出来たのかもしれない。祐樹としては痛し痒しだが。何しろ時間がないのだ。彼の過去の話が本当なのかを知りたかったし、明日、杉田弁護士に開示されるハズになっている星川ナースの証拠――多分医局の誰かだと思われる――を待つこの人に、少しでも不安や懸念からは自由になってゆっくりと眠って欲しいと思う。その二つの切羽詰った気持ちからは彼に普段のように理性的では困る。
だが、欲情の薄紅色の妖艶な雰囲気も好きだが、こういうダイアモンドのような硬質な感じも捨て難いとつくづく思ってしまう。
「後は、エレベーターに乗って部屋に行くだけですので」
祐樹も生まれて初めて尾行されたという事実――多分、被害妄想ではないだろう――が次第に心に重く圧し掛かってくるようで自然と硬い声になってしまった。彼の切れ長の目が少し不安そうに祐樹を見ているのが少し居たたまれない。彼には何一つ落ち度はないのだから。
「分かった。では行こう」
僅かに艶を纏った細身の肢体を翻して気丈に歩き出そうとする彼に慌ててドアを開けた。そのまま廊下を突っ切ってエレベーターホールに行く。
エレベーターが上ってくるのを待つ間に数回、彼の探るような視線を感じたが、曖昧な微笑でかわした。この階にエレベーターが停まるのは下から上って来る人間が専用の鍵穴に差し込むか、ホテルのスタッフが鍵を操作するしか方法はない。なので、滅多に人が乗っていることはない。普通のシティホテルに有りがちな構造――レストランやバーを最上階に配置する――でないことも幸いしたのか。停まったエレベーターの中は無人だった。重厚なエレベーターの中に不思議な雰囲気が漂う。
身体を重ねた者同士が発する甘い雰囲気だけではなく、片方が片方の様子を探っているような雰囲気だった。
祐樹は思惑が有ってそうしているのだが、何も知らないハズの彼も祐樹の気配を探っているのはどうしてか……?と思う。1つ可能性は有るが――そしてそうだったらどんなに良いかとは思うが――違うかも知れない。彼が明確な意思表示を今日しない限りは祐樹とて今日は一杯一杯だ。この問題は先送りにしようと決意する。
数秒もしない内に目的階まで到着する。持っていた鍵でルームナンバーを確認する。相変わらず人の気配はない。部屋に近付くにつれ、彼の表情が微妙に変化していく。ごくごく微細なものだったが、彼に心身共に慣れた祐樹には分かってしまう。多分、欲情と懼れの感情だと思うのだが。懼れは明日分かるハズの医局の誰かの裏切りだろうか?
「祐樹……鍵を私に。余り右手を動かさない方が良い」
何となく張り詰めた雰囲気に耐えかねたように彼は描いたように形の良い白い右手を差し出す。つい、鍵を渡してしまうと、唇が安堵したような笑みを形作った。
彼がドアを開けてくれた。本来、これは祐樹の役目なので深く頭を下げてドアをくぐる。彼も続いて室内に一歩足を踏み入れるのが気配で分かる、そして鍵を締める音がやけに生々しく祐樹の耳朶を打つ。驚いて振り返ると、彼の細いが強靭な腕が首に回された。次の瞬間、彼の薄い唇が祐樹の唇を塞ぐ。言葉よりも雄弁なキスだった。彼の薄紅色の欲情と黒檀色の恐怖が交じり合ったような…。お互いの呼吸を分かち合うようなキスを続けていると、少し唇が離れた隙に彼が聞いてきた。
「祐樹……私に……失望したか……?」
質問の意図が全く分からずに彼の瞳を覗きこんだ。彼の深い淵を思わせる瞳に不安の色が色濃く浮かんでいる。「失望」とは明日の件で彼が動揺していることを指すのだろうか?
「失望?まさか……そんなことは全くないです。どうしてそう思うのですか?」
彼は何か言いたそうに唇を動かした。だがどうしても言葉が上手く紡げないらしい。
「……何となく……そう思っただけで……理由はない……」
職場では明晰な言葉遣いをする彼は2人きりになると時々こんなふうになる。問いただしてみたい気分になったが。口を開く前に彼がもう一度唇を重ねてきて言葉を封じる。
彼のすんなりした腕が祐樹の背中を辿り下りていく。そして祐樹のスラックスの上から祐樹自身を愛しげに撫でた後――当然彼に触られると祐樹のモノは現金な反応を見せる――ベルトを外し、ジッパーを下す。
彼の器用で饒舌な指先は祐樹の膨らみを上手くかわして金属に当たらないように細心の注意を払っているようだった。下着をずらして祐樹自身を外気に触れさせる。唇を合わせたまま手で少し扱いた後に、艶めく動作で彼は跪いた。
しゃくり上げるような吐息を漏らしながら祐樹自身を彼の形の良い唇が辿る。先端部分の――尿道口だ――を舌で突付くように愛撫してから全体を口に含む。自分のモノが彼の薄い紅色をした唇の中に入って行く様子が堪らなく淫らでそそられる。その上、彼の恐るべき学習能力のせいだろうか、祐樹の感じるポイントを的確に突いてくる。祐樹も欲情の余り全身を震わせた。その震えが彼にも伝染したかのように若木のような身体が小刻みに震えている。
「貴方の唇や咽喉はとても感じます。しかし、貴方自身を感じたい……いいですか?」
彼を立たせて、先ほど着せた服を再び脱がす。彼も身体を動かして祐樹が脱がしやすいように協力してくれた。
しっとりと潤んだ白い肢体は欲情に照り映えているようだった。
「ああ、祐樹がそう望むなら……」
彼の切れ長の瞳が劣情を纏っている様子は絶品で…彼の手を引いてベッドへと誘導した。
「うつ伏せになって、腰を高く上げて下さい」
神聖で淫らな彼の肢体。その最も貪欲でいながらも清楚な色を纏った箇所を思い出すと欲情の余り声が掠れた。その声にひくりと震えた彼は祐樹の言葉に唯々諾々と従った。
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