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第十三章 第4話

「どうして、私を尾行している興信所がコレ絡みと分かったのですか?」  祐樹も教授レベルには到底及ばないが、目に入った文字を大抵は忘れない。新聞の広告欄で興信所の広告を見かけたことがあったが、世の中には沢山の興信所があることくらいは知っていた。 「ああ、それは、尾行する人間と時間の多さだよ。普通の興信所なら1人の調査員が――まあ、予算によっては2人のこともあるが――が調査する。それも時間限定で。その方が人件費などを安く上げることが出来るのは分かるだろう?それなのに、昨日と人間が入れ替わって、しかも尾行者は京都駅で追いかけてきたそうだね。  こういうことは極めて異例だ。興信所の調査は調査対象者に気付かれないでするのが普通なのだから。そんな強引な手段を使ってまで田中先生のプライベートを探ろうとするような切羽詰った人間が金に糸目を付けずに『知りたいことを全て調査してくれる』興信所に依頼する。少々の違法行為も躊躇わない会社となると、ソノ筋の息の掛かった興信所だ。そんな危ない橋は渡るのだから」  成る程な……と思う。流石は、トラブルを解決するプロだと思った。頷いて先を促す。 「最近はソノ筋に対する法律が沢山出来ているのだよ。例えば、組員が起こした傷害事件の損害賠償請求も組長に出来るようになった。だから、新しい収入源として『一見まともな会社』を――あくまで組の名前を出さずに雇われ社長を使って――経営する組が増えている。興信所は料金設定が会社によって決めることが出来るのだからうってつけだ。あとはラブ・○テルの経営なども手掛けているし、風俗のお店も多い。特に興信所は一回の依頼で二度美味しいのだよ。理由を聞きたいかね?」  祐樹にとっては自分の回りの世界と全く違う世界を垣間見られて、しかも、杉田弁護士が先ほどのような深刻な表情を浮かべていないことから杉田弁護士の話を聞く心のゆとりが出来た。教授は、明日の手術の指示書や――祐樹に関係があるのかどうかまだ本人には聞いていないが、多分関係はあるのだろう――M市民病院に執刀医として行くための書類作りに忙殺されて早くても定時にしか仕事は終らないだろうから。ならばまだまだ時間は有る。 「ええ、是非」 「まずは料金の高さだな。リスキーな仕事――盗聴器を仕掛けるとか――だと会社が任意で料金設定が出来る。我々の業界でも料金設定に最近変更があって、双方が合意すればどんな値段でも契約を結べるのだが、ほとんどの弁護士は昔使われていた『料金設定』をそのまま請求している。だから顧客の目の玉が飛び出すほどの料金を提示すれば、他の弁護士に依頼するはずだ。  が、興信所は、リスキーな仕事をする興信所が限られているので――まぁ、コレ絡みとは思ってもいないだろうが――顧客は他には流れない。普通の興信所でも料金は高いよ……私と付き合いのある、もちろん反社会的な組織などとは縁もゆかりもない会社だが。そこに調査を依頼したって社員1人で1日の張り込みだけで普通は5万が相場だ。コレ絡みで多少は違法な行為をする会社だとどのくらいの料金設定にしているかは分からないが、少なくとも数倍、いや十倍かもしれない。  今回のケースのように何の後ろめたいことはない田中先生の身辺調査依頼を頼んだ方にも後ろ暗いことがあるわけで……それをネタに恐喝が出来る。恐喝や詐欺などの犯罪は警察に被害届けを出して初めて警察が介入するので、後ろ暗いことのある人間はそもそも警察には駆け込まないので格好のカモだ。  さて、田中先生のマンションの名前は?」  イキナリの話題転換に面食らいながらマンション名を答えた。 「ああ、やはり危ないな……。そのマンションの家賃は、失礼ながらそう高くはないだろう?」 「ええ、学生時代から住んでいますから」 「ならば、部屋に盗聴器が仕掛けられている可能性は極めて高い。彼にはこの件は秘密にしておく積りなのだろう。それだったら何も知らない彼が何気なく発した言葉や、夜の営みなどが全て録音されてしまうのでとても危険だ」  「夜の営み」のところで例の阿部師長笑いが出る。確かに自宅で行為をしていて、それが出回ったら祐樹は別にどうなっても構わないと思っているが、彼の大学内での立場が心配だ。 「いいえ、お察しの通り家賃が安いマンションなんで……そういうことは部屋では一切していないですよ」  あからさまに落胆した表情をする杉田弁護士に、マサカ自分も盗聴器を仕掛けるつもりだったのではないだろうなと、ごくごく微量の疑念を抱く。 「香川教授のマンションの名前は?」  彼の部屋には入れて貰ったことはないが、建物までは行ったことがある。マンション名を答えた。 「ああ、あそこなら大丈夫だ。この街で一番セキュリティもしっかりしているので、仕掛ける隙もないだろう。知る人ぞ知る鉄壁のマンションだ。それよりも教授室の方が危ないかもしれない」 「まさか……教授室はそのフロアが全部、教授室なんです。訪れる人もまばらで……仕掛けるのは難しいでしょう」 「それがそうでもない。今回の情報開示の件――これは香川教授が来られてから田中先生が名前を教えて欲しいと言っていたのでその通りにするが――は大学の医局関係者だ。用事を作って教授室にそっと入り込むことは可能だし、報酬をはずめば興信所がしてくれる。  いくら部外者の立ち入りが少ないと言っても、機械関係のメンテナンスなどで部外者を入れるだろう?パソコンやコピー機などの……その時にその会社の担当者を買収するとか弱みを掴んで、その会社のスタッフの振りをして入り込むことは可能だ」  祐樹にとってはスパイ映画の中でしか有り得ないと思っていたことが自分の身に降りかかっていたとは。驚きのあまり笑ってしまう。大学の医局関係者……というのは予想していたので特に動揺はない。 「昨夜はホテルで良かったな。昨日と同じズボンを穿いているのだろう?ベルトも」  スラックスと言って欲しかったが……些細なことなので黙っている。 「ええ、そうです」 「ならば、昨日のことは盗聴器で聞かれていたという心配はないわけだ。教授には尾行は付いていないならば、盗聴器が付いている可能性はゼロとは言わないが極めて低い。当面の目標は田中先生だろうから……」  教授室も祐樹の自宅も盗聴の危険があるとすれば、今までのような会話――声を使うものや身体を使うものまで――不可能ということになる。 「いつまで彼と話せないのですか?」  縋るような声になってしまっているのが祐樹も不本意だが、こんな事態は祐樹の手に余る。 「今から電話する。上手く運べば数日間の辛抱だ。失敬」  杉田弁護士は大型のスケジュール帖を取り出し番号をプッシュし始めた。

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