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第十三章 第14話
振り返ってはいけない…これ以上彼の姿を見てしまうと、きっと祐樹は一番の問題である「自分の部屋の盗聴器」のことを洗いざらい話してしまうだろうと思った。
話してしまえば楽になるが、彼の心労は増える。それだけは避けたい事態だった。心を鬼にして早足で歩いた。
ハナシテハ、ナラナイ!
そう呪文のように唱えながら歩いていると、いつの間にか祐樹の自宅にたどり着いていた。結構な距離があったのだが……。
コンビニでお弁当とお茶を買い――本当はアルコールの力を借りて早く寝てしまいたかったのだが、今日の祐樹はアルコールを呑んでしまうと、彼の切ないほど悲しみに満ちた顔を思い出してしまうだろう。
そうなればもっとアルコールが欲しくなるに決まっている。祐樹は元々の体質でアルコールが次の日に残ったことはないし、呑むとなるととことん呑んでも余り酔わないのだが。ただ、今日は酔ってしまうかもしれないな……と思った。
完全に酔っ払ってしまって自制心をなくして妙なことを口走ると盗聴者の思うツボだ。アルコールは買わないことにした。
部屋に入ると、彼の生活の残り香が香水のように漂ってくる気がした。そして、彼の居ない空虚さも。
彼の服や彼の読んでいる英語の医療専門誌を目にすると堪らない気持ちになる。
彼は決して口数の多い方ではなかったし、動作も静かだった。それなのに、彼が祐樹の部屋に居るというのが当たり前のようになってしまった今、彼の存在が祐樹の気持ちをどれだけ癒してくれていたのか分かる。
部屋に1人でいるという、以前の祐樹の状態に戻っただけの話なのだが……喪失感に苛まれる。
祐樹の部屋は決して広くはないのだが、それでも部屋が広々とし、よそよそしい空気を醸し出していると感じた。
ふと、彼も「自宅に入れると、別れた後が辛くなる」という理由で祐樹を絶対に彼のマンションに入れてくれなかったな……と思う。が、ホテルで確かめた、杉田弁護士方式の身体を使った誘導尋問では、彼の過去の恋人は多分1人だろうし、そんなに長い付き合いだとは到底思えない。それに「高嶺の花」とやらとは――祐樹にとってはとても羨ましい存在だが――そういう関係になっていないのは確かだ。
では一体「誰と別れた後が辛く」なったというのだろう?もしかしたら、彼は相思相愛になった相手がいたと仮定して色々考えて、頭の中でそう結論付けたのか?と思う。
今現在では彼は――祐樹も告白していないし、彼も何も言ってくれないので、自分達が付き合っているとは到底思えない――祐樹以外にそういう相手は居ない。それは確かだ。
何しろ四六時中一緒にいるので自ずと分かる。
自分だけに向けて言った言葉なので…もしかしたら、祐樹を想定してくれたのではないか?と仮説が浮かぶ。仮説の域を出ないが、それはとても嬉しいことだった。
寂しさを紛らわすためにテレビを見ながら食事をした。お笑い中心のバラエティ番組を観てもその騒音にウンザリし、祐樹の食べ慣れた――本当のグルメは絶対に食べないコンビニ弁当だと聞くが、祐樹にとっては十分美味しいと感じていた――お弁当も全く味がしなかった。食べておかないと身体がもたないのは分かっていたので無理やり咀嚼し、ペットボトルのお茶で流し込んだ。彼が居た時もコンビニ弁当で済ますことは多かったが、その時は、近くに彼が居るだけで普段よりも美味しく感じたな……と思った。
能天気に笑っている――実際は芸能人として必死に仕事をしているのだろうが――出演者達にも、いわれのない憤りを覚えた、八つ当たりだとは重々承知していたが。
テレビを消して、時間の潰し方を考えた。杉田弁護士にお礼の電話を掛けなければならないが、この部屋からは無理だろう。
何をしても、彼の不在の重さが圧し掛かってくるのは分かっていたので、少しでも紛らわすようなことをしたい。思いついてパソコンの電源を入れる。
とあるサイトにアクセスする。そこは医師専用のサイトだった。興味本位で覗く医師以外の人間が居ないように医師免許の番号と名前が一致しなければ入れないページまで進む。
更にパスワードを入力すると、この世界の人間が興味を持ちそうなことが色々載っている。いつもは論文などを見ていたのだが。今回は木村センセと山本センセの情報集めをしてみようかと思った。「人名録」のページからは経歴や――本人が公開を望むのであれば、家族構成までもが分かることを知った――それまではそんなところまで見ていなかったので知らなかったが。
「木村康介」を検索する。誕生日や経歴などはざっと眺めて家族のところを見てみた。「結婚歴、なし」
「家族構成 父:某証券会社勤務 母;専業主婦 弟;自営業 特記事項;なし」もちろん、父や母の箇所や会社は名前が載っていたのでそれをプリントアウトする。
その紙を見ながら煙草に火を点ける。
証券会社勤務の父親というのが気になった。昔は証券会社は儲かっていたと聞くが、今はどうなのだろうか?100年に一度と言われる不況の中、一部を除いてはかなり厳しい経営状態だと新聞か何かに書いてあったような気がする。弟の自営業は上手くいっているかどうかも……。父親が仮にこの不況でも高給取りだとしても100万単位の――しかも使い道が公に出来ないお金だ――を用意してくれるだろうか?また、多くの証券会社同様に苦しい経営を強いられている企業だと、それこそリストラされるとか、ボーナスカットだとかがあるかも知れない。
それなら自分の生活を支えることに精一杯で、独立した息子の援助などは出来ない。それに、大学病院の給料は一般の人間が思っているほど良くはないことも知っている。「特記事項」という見慣れない単語にも俄然興味が湧いた。色々な医師の家族構成のページを開く。特記事項の欄に何もない先生の方が多かったが、チラホラ入力されている人もいた。曰く「代議士の息子」だの「○○財閥系一族」だの。要はどんなバックが付いているかが分かるように誇らしげな出自は宣伝するための「特記事項」のようだ。木村センセにはそういった特記事項がないということは、木村センセの父親は普通の証券マンらしい。
試しに自分のページも確かめた。学歴・出身大学・勤務病院が出てくる。
「家族構成 父;死亡 母;会社勤務 特記事項;なし」だった。
母は元パートタイムで働いていたのだが。「パート」という職業は選択欄がないのか、このサイトの人間が気を利かせて「会社勤務」にしたのかは分からない。ただ、山本センセは祐樹の母が入院中だということは知っていた。祐樹が知る限り、このサイトが一番医師から重宝されているので、山本センセがここを見ても、祐樹の母が入院中という情報は入手出来ないことに改めて気付かされる。
次は山本センセの検索だ……と思ったが、手は勝手に動き「香川聡」と入力していた。
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