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第十三章 第18話
「山本裕司 父;医師・病院経営 母;専業主婦 姉;医師 弟;医師 特記事項;父、Y記念病院総院長」
とあった。こちらは祐樹が学生時代に付き合っていた多くの知人のように恵まれた暮らしをしているらしい。煙草に火を点けて思いっきり煙を紙に吹きかけた。
Y記念病院は全国に有るし、この街でも中々の規模の総合病院として有名だ。再びパソコンの電源を入れると、山本センセの姉と弟(もちろん、実名で記されている)のページを開いてプリントアウトした。ついでにY記念病院のサイトを検索し、そちらの治療科目などが書いてあるページも。
姉はY記念病院内科勤務、弟はO市立大学病院悪性新生物外科――平たく言えばガン専門だ――に勤務している。そして、Y記念病院の診療科目は様々な分野に亘るが、心臓外科に最も力を注いでいるのがベッド数から見て分かる。その次がいわゆるガンだ。
山本センセの父親も心臓外科が専門らしい。もっともカテーテル治療がメインらしいが。だが、香川教授の元でみっちりと心臓バイパス手術の修行を積んだならば、山本センセがその院長の座を射止めることもあるわけで。というのも佐々木前教授は心臓カテーテル手術の第一人者だった。香川教授が着任してから、手術から干されている今(といっても佐々木前教授も山本センセをあまり手術要員としては使っていなかったらしいが)悪性新生物の外科専門医となった弟が院長職を継ぐことも十分起り得ると思う。――と言っても、家族関係が良好なのかどうかは祐樹の知るところではない。それに病院内の内部事情など祐樹には分からないが。
Y記念病院は創立者の名前が山本だし、創立者の先生も山本センセの父や姉・弟もみんな「裕」の字が名前に付けられている。とすれば一族が世襲する病院なのだろうなとは大体のところ想像はつくが。
山本センセも香川教授が――皆の予想していた黒木准教授ではなく――教授に就任して慌てたのではないだろうか?しかも手術にはお呼びが掛からない。それならカテーテル手術もバイバス手術も専門医と名乗れなくなる。
それに以前祐樹に漏らした「斉藤医学部長が医学部長になれたのは自分たちの協力も大きい」と言っていた。今となっては香川教授が着実な業績を上げているので斉藤医学部長も文句は言えないだろうが、星川ナースの故意による手術ミスが未遂に終らず、成功していれば山本センセは黒木准教授を担ぎ上げるつもりだったのだろうか?
そんなことを考えていたら、空が白み始めた。少しでも眠らないと今日の手術や業務に差し支える。また、香川教授は黒木准教授と山本センセ達の事情聴取はするだろう、祐樹が呼ばれるかは分からないが。それに救急救命室の様子も気掛かりだ。少しでも眠れる時は眠ろうと、目覚ましを3つセットしてベッドに倒れこんだ。
3つの異なる電子音で目が覚めた。昨日の夜中に起きて考え事をしていたせいで頭の芯が疼く。無理やり起きて朝の身支度をするが、洗面台に残された彼の整髪料や歯ブラシなどを見て遣る瀬無い気持ちになった。
彼は昨夜良く眠れただろうかと心配になる。彼はどちらかと言えば外科医に相応しい大胆なところを持ってはいるが、心労が重なると眠れなくなるタイプのようなので。
長い時間を共にして感じたことだが、睡眠時間が少なくても熟睡すれば翌日は元気だ。 一回目の逢瀬の日も彼の方が先に起きていた。今考えてみると、初心者に近い彼には随分と酷な要求を突き付けたというのに――あの時は怒りからだと思っていたが、嫉妬も混じっていたのだな…と今となっては思う。ゲイ・バー「グレイス」で持てていた彼に対して。あの日の彼は何だか自暴自棄になっていたようで、誘惑があれば(いや、彼のあの容姿だ、必ず有るだろう)その男とホテルにでも行きそうで怖かった――彼の性格を知るにつけ、そういう遊びの誘惑には乗らない人のような気がする。そんな人がどうして祐樹などに付いてきたのかは依然として謎のままだが。
その分、何か心配事があると入眠障害が出るようだ。薬に頼る程度にまではいっていないようだが。
それに祐樹の母のことまで気を遣ってくれた。しかも彼らしくさり気なく取り計らってくれたことに益々恋慕の情が湧く。
今すぐにでも会いたいがこの部屋でも無理、教授室でも無理。唯一興信所の目の届かないところと言えば、二人で交わした秘密のサイン――Rホテルの乳液の香り――をさり気なくつけて、彼に気付いてもらってホテルで落ち合うという段取りだけはバレてはいないだろう。ただ、尾行が付いているなら撒く必要が有るが。
彼の整髪料を未練を含んだ目で追いながら色々考えていたが、時間は無情にも過ぎ去って行く。朝食は病院近くの喫茶店で摂ることに決め、スーツに着替える。祐樹がマンションの外に出ると、やはり黒いセドリック――ナンバープレートも同じだった――が京都特有の細い道を苦労して付いてくる。いや、道路が狭いので徐行運転も怪しまれないというメリットはあるかもしれないな…と思う。尾行に気付いてからというもの、祐樹はことごとく彼らを撒いている。一回目は京都駅で。その後、教授と大阪のRホテルで過ごしたのだから、部屋のどこかに仕込まれているハズの盗聴器は無用の長物となったわけだ。昨日は杉田弁護士事務所に行く時は尾行を入念に撒き、弁護士事務所では盗聴器のチェックまで受けた。その後、彼との辛い別れ。事情が分かっていない分彼の方が余計に気を揉んでいるだろう。罪悪感もひとしおだったが。だが、杉田弁護士事務所からの帰り道も尾行の影はなかった。興信所の職員はもちろんのこと、依頼人もイライラしているだろう。祐樹にとっては痛快なことだが相手からすると腹立たしいことに違いないので。
祐樹1人の部屋で聞かれたことと言えば、脈絡のない寝言と、そしてパソコンのキーボードを叩く音、そしてプリンターが作動する音だけのハズだ。これだけなら何の証拠にもならない。
いつもの喫茶店に入りモーニングセットを注文した。いつもはホットだが、今日は食欲がまるで無かったのでアイスにした。トーストをアイス・コーヒーで流し込む。食べているというよりは患者さんの受ける点滴のようだなと、苦笑が浮かぶ。患者さんと違うところは煙草が吸えることぐらいだ。
今朝は阿部師長はいないらしい。いつぞやは教授と居た時に遭遇してしまったので。
医局に入り、祐樹の机のパソコンは院内LANが使えないので――繋いでしまうとインターネットに接続出来ない――柏木先生のパソコンを貸してもらった。彼からメールが入っているかもしれない。そう思ってメールフォルダを開けると、「最重要」のマーク付きで彼からのメールを受信していた。
「両名を別々に事情聴取したいので、その協力をお願いする。手術が終わったら直ぐにでも部屋に来て欲しい」
どうやら、彼は祐樹も事情聴取に呼んでくれるようだった。
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