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第7話判じ蟲
「もうええのん?」
僕はアイツと歩きながら言った。
狐は車で家まで送ってくれると言ったけど、アイツが駅まででええって断った。
寄りたいところがあるからって。
「何がやねん」
アイツは無愛想に言う。
「なんか捕まえる手伝いとかせんでええのん?」
僕は聞く。
だって、蟲が人を襲うんやろ。
「手がかりになりそうなことは教えてやった。それに誰が蟲に喰われようと俺に関係ないやろが」
アイツは何言ってんだコイツはって顔をしながら言った。
そっかぁ。
関係ないのか。
僕は納得した。
そう、アイツが狐に与えた手がかり。
蟲を飼うだけのスペースがあること。
判じ蟲は太陽の光の下には長時間はいれない。
光が入らない空間があること。
怪異に対する知識がある人間であること。
古文書が読める、もしくはそれを読める人間、読めた人間が近くにいたこと。
限られた地区の出身である可能性がたかいこと。
そしてなにより、親しい誰かを失っていること。
「あんだけ手がかりくれてやったんや。なんとかしろや。出来へん方が無能やろ」
アイツはバカにしたように言った。
そんなもんなんか。
僕は納得する。
「なぁどこに行くん?」
絶対に並んで歩いてくれないアイツに声をかける。
アイツは僕の少し先を離れて歩く。
黙って歩いてたら同じ方向に向かって歩く他人同士みたいに。
これでも、3メートル離れて歩くように言われていた頃に比べたらマシなのだ。
大きな声とは言え、話もできるし。
「色々調べたいことがあるんや。判じ蟲やぞ!!実物見たいやないか!!」
アイツは早口で言う。
「捕まえるん手伝うんやったら、協力したらええのに」
僕は首を傾げる。
「警察が俺の役に立ちそうにならな。あっちもこっちを利用しとるし、こっちもあっちを利用するだけの関係や。蟲を殺させるような真似だけは避けないとあかん」
アイツは言った。
ああ、そう。
「蟲が心配やねんね」
僕は微笑む。
コイツの化け物への愛は本物なのだ。
下手したら僕より愛してるんじゃないかて心配になる。
・・・ないよね?
「心配なんは当たり前や。人間が利用しているだけの蟲を殺されてたまるか!!殺させへん。警察より先に見つけて逃がす。使ってるソイツからも、警察からもな。蟲に罪などあるわけないやろ。アイツらはただ食事をしているだけや」
アイツは言い切った。
「優しいなぁ・・・好きやで、そういうとこ」
僕は本気で言ったら、アイツが真っ赤になって顔を背けて、話してくれへんなった。
可愛い。
喰われてんのは人間やけど、まぁそこは気にせんとこ。
電車に乗り街に僕の街に帰ってきた。
今僕が住んでるアイツの家がある住宅街からは少し離れている、海辺の街。
灰色のビルが立ち並ぶ都市だ。
ただこの街は、市民の生活を支える商店街と、眠らない街である飲食街と、マニアのお店から格安店まである風俗街が同居しているのだ。
灰色の群れの中に赤い巨大な鳥居が見える。
街のど真ん中、駅前にあるこの巨大な鳥居と神社。
風俗店などがある並びの隣りに、神社やお寺がある寺町があるのがこの街らしさを表している。
この街は人間の欲望や絶望、そして希望やら贖罪、救済をもとめる声で満ち溢れている。
そして、それが狭間を呼び込むのだとアイツは言う。
あの世界とこの世界の境目を。
仮説やけどな、と悔しそうに。
古代のから「磐座」とか言われる、山の中にある巨木や巨岩などが、そういう場所としてされてきた例はあるのだそうだ。
もちろん信仰とかの、まぁ、言い伝えみたいなレベルの話で、本当に境目なのかを研究している人は表だってはいない。
アイツ達ぐらいやろな。
でも、アイツに言わせるとこの街に現れる「狭間」はその磐座とは全く違って、色んな怪異がより現実になるのだそうだ。
物理的に触れるような、触られるような、襲われるような、時に食われるような現実になる。
理由はまだ不明。
それを悔しそうにアイツは言う。
「仮説ならあるんやぞ」
仮説でしかないのが悔しいのだそうだ。
ようわからんけど。
そしてこの街には、その狭間から出てきた生き物達が生息しているのだ。
アイツは駅から真っ直ぐどこかへ向かって歩いていく。
僕は怒られない程度に距離をあけながらついていく。
どこに行くのかは聞かへんかった。
どこでもいい。
僕はついていくだけや。
小さいビル位の大きさはある、大きな鳥居の下には公園がある。
そして、公園の奥に神社はある。
アイツが向かったのはその公園だった。
公園には子供達はいない。
何故なら、真ん中にあるベンチに薄汚いおっさんがあやしげ寝ているからだ。
「ども」
アイツは小さく頭を下げた。
コイツにしてみればめちゃくちゃ丁寧な態度やし、唇はよく見たら両端がつり上がっている。
笑っているのだ。
僕の恋人はこのおっさんが好きなのだ。
僕も最近は好き。
最初は汚いから嫌いやったけど。
おっさんは寝そべっていたのを起き上がるとアイツに場所をあけてくれた。
アイツはおっさんの隣りにすわった。
アル中特有の臭いの他は、それ程臭くないので、僕も反対側の隣に座る。
「元気なん?」
アイツは心配そうに言った。
心のそこから、案じる言葉だった。
「オレにやないやろ、その言葉」
おっさんがまた笑った。
そして、汚いトーレーナを持ち上げて、汚い腹をさらけ出した。
突き出ていて、毛が生えていて、どうにもなんともならん腹だ。
でもアイツは熱っぽい目をそこに向けた。
ものすごい愛情に満ちた目を。
なんかムカつく。
わかっててもムカつく。
「友達が来てくれたで」
自分の腹に向かっておっさんは言った。
ぐぼん
ぐぼん
おっさんの腹の肉が踊った。
水の表面が波打つように。
そして、最初に出てきたのは干からびた細い腕。
腹の皮膚をすり抜けるように、腹の中からその茶色の腕はあらわれた。
そして、腹からまるで水面から顔を出すように、クシャクシャに干からびた顔が、びょこんとおっさんの腹から飛び出した。
クシャクシャで干からびた老人の顔のようなソレ。
ただその目だけは熱をもって膿んだように黒く光っていた。
「あやなからわや」
クシャクシャの小さなっ顔は真っ黒な目をアイツにむかって言った。
おっさんの腹から生えたまま。
「元気そうやな」
アイツは嬉しそうに微笑んだ。
「かなゆらはさ」
クシャクシャの寄生生物「殺意喰い」もアイツにあえて喜んでいた。
見た目ではわからないけれど。
クシャクシャの皺がありすぎて、表情がわからないのだ。
「蟲の噂を聞かないか?あんたの仲間達の間で。それか、妙な男について知らんか。あんたらに気付いているような」
アイツは殺意喰いに聞いた。
しばらく和やかになんかわからん言葉で話し合った後で。
アイツは肝心の話は人間の言葉に戻って聞いていた。
アイツもこの「殺意喰い」達の言葉は難しいのだそうだ。
挨拶以上は大変だと言っていた。
なんせ知識が足りなさ過ぎると。
だからアイツにとって殺意喰いと話すのは楽しい。
言葉が学べるからだ。
でも今はそれどころじゃないらしい。
大事な話をするのは人間の言葉の方かいいんやろ。
それに人間の言葉を話す方は得意じゃなくても、殺意喰い達は人間の言葉を良く理解しているのだ。
「彼らの知性はとても高い」アイツもそう言ってた。
「あんた達が一番この街を歩きまわっているし、あんた達が見てきたものを共有しあっているのは知ってるねん」
アイツの言葉に殺意喰いは首を傾げて考え込む。
殺意喰いは殺意を喰って生きている。
常に殺意を抱えている人間に寄生している。
例えばこのおっさん。
このおっさんは常に殺意を抱えている。
酒を飲み、「殺してやる」とブツブツ呟きながら歩く姿はこの街の住人達に恐怖を与えていた。
おっさんは誰かに何かに深い殺意を常に抱き続けている。
理由は聞いてへん。
誰を何故憎んでいるのかなんて。
でも、それを実行はしていない。
それを抱えているだけなのだ。
それを殺意喰いは喰っている。
代わりに、おっさんがアルコール摂取の果てに死ぬことを防いでいる。
殺意喰いは寄生している相手を殺さないことに全力を尽くす。
その身体を改変してでも。
なのでおっさんはもう100回位は死んでいてもおかしくないアル中なのに、やせ細ることも、血を吐くこともなく、健康なまま酔いつぶれていられるのだ。
そういった殺意喰い達が何匹かこの街に住んでいるらしい。
つまり殺意にあふれたヤツがこの街には何人もいるってことでそれはそれで大変な話なんだ。
そう、元々おっさんや殺意喰いに出会ったのも、他の殺意喰いが寄生したヤツが・・・・、これはまた別の話ね。
猫殺しとソイツに寄生した、心優しい殺意喰いのお話や。
また別に話すな。
とにかく彼らは仲間同士テレパシーみたいなもので繋がっている。
そして、人間に寄生している彼らは他の怪異達とは違って全く制限を受けずに街を歩きまわっているのだ。
怪異達はこちらでは存在するのにそれなりの制限を必要とする。
赤や黒でも自由に動けるのは屋敷の敷地内だけや。
あいつらが門から外に出るためにはアイツの影の中に入らないとムリや。
だけど、人間に寄生している限り殺意喰いは街を自由に動ける。
もちろん、寄生相手の協力がいるけれど。
とにかく、怪異たちの中で広く街を知っているのは殺意喰いなのは間違いない。
アイツが殺意喰いに情報を聞きにきたのは初めてやないから、僕も納得した。
「蟲ハ見てなイが。奇妙ナ男の噂ハ聞いテいる。お前ノようニ我らヲ知るラシイ」
金属のような声で殺意喰いが言った。
「ソレ。それや、聞かせてくれ!!」
アイツが手を叩いた。
やはり殺意喰いは街のことを良く知っているみたいやな。
いやいや、話が早くて助かった。
さっさと片付けて、僕はアイツとイチャイチャしたかった。
殺意喰いの寄生主、彼らは自分達が寄生する相手のことを「主」(ぬし)と呼ぶ。
卑しい人間などとは違い、気高く心優しい殺意喰い(僕やなくて、アイツがそう言っているんや)は寄生相手を尊重し、思いやる生き物なのだ。
一人の「主」が街を歩いていたらしい。
その主が誰なのかは僕達に協力的であっても殺意喰い達は絶対に教えてくれない。
彼らは主と仲間を守る。
何が何でも。
例外的に協力してくれたこともあったが、あの「猫殺し」の事件はまあ本当に例外だ。
だから僕達はおっさん以外の主を知らない。
だが、「主」達の全てが殺意に満ち溢れている人間であることは間違いない。
元々、殺意喰いは肉食動物に寄生しており、肉食動物が獲物を襲う時の殺意を食べていた。
山がなくなり、次の寄生相手として、肉食動物より確実に殺意に溢れた人間に寄生することにしたのだ。
なので僕はこのおっさんならともかく、ほかの主達に会いたいとは思わない。
殺意に溢れた人間に会いたいと思うねん?
誰が?
おっさんは殺意に溢れているけど、でも、誰かに危害は加えない。
いや、もう加えたんかもしれん、加えたところで消えんかったんかもしれん。
おっさんは「誰か」を殺すことに今でも執着はしている。
でも、それだけやからや。
執着しているだけやからや。
誰彼ともかく襲う者やないとわかってるからや。
それでも、関わりになる前は嫌やったもん。
「殺す」と呟きながら歩いているおっさんを見るだけで、出来るだけ距離を離れるようにしていたもん。
この公園に人がおらんのはおっさんのせいやもん。
ずっとベンチで酔っ払いながら「殺す、殺す」言うてるからやもん。
外の主は何かや誰かを殺しているかもしれんし、殺し続けているかもしれんしな。
殺意喰い自体は肉食動物に寄生していた位だから、主が誰かを殺すこと自体はなんとも思っていないしね。
実際僕が見た主の一人「猫殺し」はそうやったし。
殺意を漲らせ、ゆえに誰も近寄ることのない人々に最後まで寄り添ってくれる心優しき生き物(アイツに言わせたら)それが殺意喰いだ。
そんな誰にも近寄らないような主の一人に声をかけてきた男がいたらしい。
「男ハ言っタ。我々ノことヲ知ッてイると。敵対するツもりモなイと。そしテただ聞いた。あんタ達はコの街を良ク知っテるダロウッて。この街に蜂ハいるか、と」
殺意喰いはいった
「蜂?」
僕は不思議に思う。
そらおるやろ。
アシナガバチにキイロスズメ蜂。
都会に蜂達が住み着いているのは事実だ。
僕も実家で玄関先のアシナガバチの巣を撤去したことがある。
ゴキブリ駆除用のスプレーで。
怒ってこっちにむかつて蜂達がめっちゃとんできてこわかった
「記憶蜂か」
アイツは納得した。
何それ。
「ソう。こちラに人の顔ヲした蜂はいルのか?と。あんタ達はこノ街に詳シいんだロウ、と」
殺意喰いは頷く。
「人の顔をした蜂」
僕は呆然とする。
そんなん見たない。
嫌すぎる。
「で、おるん?記憶蜂、どこにおるん?」
アイツの目が輝く。
違う方向に好奇心が向かっている。
僕は嫌や、人の顔した蜂なんか嫌いや。
でも、僕の恋人はそういう生き物を愛しているのだ。
「コの数年ハ見テない」
殺意喰いの言葉にアイツは肩をおとした。
そんなにガッカリすることなの、そう・・・。
殺意喰い達は自身が怪異であるため、人間には気づかない怪異の存在に気がつくことも出来るのだ。
それは当然の能力でもある。
なぜなら・・・。
「つまり、その記憶蜂ってのが、判じ蟲の天敵なんやな」
僕は言った。
アイツが言ってた。
怪異達は怪異達の生態系がある、と。
赤や黒達も小さい怪異達を補食したりするしな。
逆に赤や黒を喰うような怪異達もおる。
だからこそ、怪異達は自分以外の怪異の存在に敏感なのだ。
喰われるのが自分かもしれないからこそ。
特に特定の怪異を好む怪異もいるってのもアイツが言ってた。
その男が確かめたかったのはこの街に天敵があるかおらんかなんやろう。
アイツが驚いたように僕をみた。
殺意喰いの目がさらにでかくなって僕を見た。
おっさんもぽかんと口をあけた。
なんでそんな驚くねん。
「・・・いやお前、天敵の意味しっとったんか」
アイツが呆然と言う。
「てか話聞いとったんやな。飼い主の話終わるの待っとる散歩途中の犬みたいに思ってたのに」
おっさん。
「思考能力ガあるとは思ワナかっタ」
殺意喰いが呟く。
ひどくない?
確かに、アイツを見ながら可愛いな、可愛いな、早よイチャイチャしたいな、服脱がせたい、乳首吸いたい、イカせたい、とか考えて話聞いてない時もあるけどや。
僕かて、愛する人の好きなもんに興味ないわけじゃないんやで。
「で、ソイツはどんなヤツやった?そして、どこでそいつに会った?」
アイツは聞いてから少し困った顔をした。
これは僕もわかった。
ここからは微妙な問題になる。
殺意喰いは自分達の仲間や主達に忠実だ。
どこでその男に出会ったかを言えば、仲間や主の行動範囲を教えることになる。
殺意喰いにとって、主の特定だけは絶対に教えたくない情報なのだ。
前の事件の時はあえて主である「猫殺し」の居場所を教えてくれたが、あれは特例中の特例だし、何よりも、何よりも。
怪異達が無償で何かをしてくれることはない。
殺意喰いがたまに情報をくれたりすることも、殺意喰い達に対してアイツがしたことの謝礼なのだ。
その謝礼の部分を越えたことに関しては、怪異である殺意喰いはそれにたいしての対価を求める。
それが怪異と言うものだということを、僕は知っている。
あれほどアイツに懐いている赤と黒でさえ、アイツの肉体を対価に求めているのだ。
食べるために。
アイツが死んでからでいいという、破格の契約だとアイツは喜んでいるけど。
「対価は何や?」
アイツは緊張した声で言う。
友人だと思っていても怪異は怪異。
契約を交わすには慎重でなければならない。
僕もそなえる。
条件によっては、止めないといけないし、僕が代わりにならなければならない。
例えばアイツの影にすんでいる「白」は、アイツのボディガードだけど、ボディガード以上のことをする時は、アイツの精液を要求するのだ!!
許せへん!!
なので、僕が個人的に契約して、アイツの精液の代わりに僕の血液を死なない程度飲ませることにしている。
白のことを考えたら嫉妬でおかしくなるから止めよう。
殺意喰い自体は善良な生き物やけど、その寄生主達はそうではない(殺意漲らせて生きとる限り)可能性は高いし、殺意喰いは主のために動くのだ、対価が人間に害をなす可能性もある。
殺意喰いの黒い目が、干からびた体の中てそこだけが膿んだように熱っぽいその目がアイツを見つめた。
「仲間ヲ一人探シて欲しイ」
全ての仲間とテレパシーでつながり、全ての仲間の居場所を知っているはずの殺意喰いからの意外な要求だった。
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