38 / 43

第37話終わりへ

 「なからわなはら」  占い師は唸った。  もう人語が話せなくなっていることも気にしなかった。  目の前の痩せた少年が目障りだった。  あの子を奪い、ここまで自分を連れ出したこの少年が。  「失った人は帰ってこん。あんたがしてることは 欺瞞や。それはただ色んなものをねじ曲げているだけや。あんたは蟲を解放してやらなあかん。あんたまで蟲を閉じ込めるんか?人間があんたを使うたように」  少年の言葉は耳障りだった。  「な。らさはり」  何がわかる。  人間風情か!!  占い師は怒鳴った。  「あんたは人間や。姿を保てなくなり、蟲から力を得てもな。あんたは人間や。どんなに嫌おうと、止めようと思ったところでな、人間でしかないんや」  少年はゆっくり立ち上がった。  その目には不思議な色があった。  同情?  共感?  でもそんなものに意味はなく、占い師は吠えた。    からをは  からはら  かなはさら  もう人間の喉では出すことのできない音で。  「もう人の形さえとられへんやろ。俺があんたを救うたる・・・哀れなあんたをな」  痛みさえある声で少年は言った。  光さえ吸い込むような黒い瞳。  痩せた薄い身体には一片の力さえないはずなのに、少年は巨大な、小屋ほどの大きさに膨れ上がった占い師に、堂々と向かいあっていた。  話が違う。  僕は焦っていた。    僕と赤と黒がアイツに命じられたのは「人間の顔をした蜂を見つけろ」ということだ。  何それ、キモイと思った。  だが、黒の耳が聞きつけ、赤の目が見つけたその蜂は・・・。  キモイどころやなかった。    聞いてないんですけど?  人間の半分位の大きさやなんて聞いてないんですけど?  こんなんもう蜂ちゃうやん?  黄金の鱗粉を纏ったような身体。  人間のような形をした上半身。  でも長すぎる腕は6本あった。  透ける四枚の羽は細かく振動している。  そして、針をもつ下半身。  黒い滑らかなガラスのような巨大な目が光っていた。  顎は発達したハサミのようになっている。  肉を噛み切るための。  肉食。  肉食の蜂やん。  アイツはほとんど観ないテレビをみないんだけど(テレビを主に観るのは赤と黒)、それでも教育番組の虫の特集だけは喜んで見る。  アイツは虫が大好きだ。  「素晴らしいデザインで完璧だ」と。  怪異の次に虫がアイツは好きなのだ。  多分、子供の頃は絶対カブトムシとか好きやったんやと思う。  僕は虫はあかん。  嫌いや。  でも、とにかく僕は、テレビじゃなくて僕とおっても見せてくれん笑顔で画面を嬉しそうに見るアイツの方ばかり見てるんやけど、それでも、特にアイツが好きな蜂についてはちょっと詳しくなってたんや。    だから、その僕の半分位の大きさ、その黄金の蜂がその音を立てたとき、ヤバい、と思った。  それは警戒音。  羽の音が全開で大きくなり、顎のハサミがカチカチと打ち鳴らされる。  攻撃前に蜂がする・・・音やともう知っていた。  そして、アイツが言っていた通りの行動を蜂は始めた。  蜂は僕を睨みつけたまま、ゆっくり上へと飛んでいく。  そして、毒針のある尻を「く」の字のように身体をまげて僕に向けた。    本来ならば、ここでゆっくり後ずさりながら逃げるべきなのだ。  蜂は無闇に攻撃してくるわけではないんや。  黄色と黒の目立つ姿で危険であることを示し、警戒音で警告してから攻撃してくるんやから、人間よりはるかに心優しいんや。  だが、今回は逃げるわけにはいかない。    でかいハサミのような顎、鋭い刀のような毒針をみながら、「マジ、嫌」と思うけど、逃げるわけにはいかない。  アイツのために。    「集団で一人と考えた方がいい」社会性蟲である記憶蜂の一匹と話合うことなどできない。  だから。  僕は頭にパーカーをかぶり巻きつけ、軍手をはめた。  これからおこることに、できるだけ肌をさらさらないように。  僕の少し上の前方に止まるように飛ぶ、記憶蜂は、くの字に曲げた身体で僕へとむけた毒針から、液体を吹きかけた。  攻撃フェロモン。  これが敵であるという印だ。  その量は僅かで、目に見えて何かがかかったかんじはしなかったが、でも匂いが広がった。  甘くて、何か、本能を刺激する匂いだ。  アイツを抱いてる時にアイツからする匂いにも似ていた。  僕が止まらんなる匂いや。  蜂が完全な興奮状態に入った。  僕は蜂に背を向けるのではなく浮いている蜂の身体の下をくぐり抜ける。    「蜂が本気で攻撃してきたらお前でも見えない」  アイツは言った。  ただ、蜂は正面からしか攻撃できないことをアイツは説明してくれた。  蜂はキチンと攻撃できるポジションを作り上げてからじゃないと攻撃出来ないのだ。   そう、ボクサーが正面にいる相手にしか攻撃できないのと同じなんやね。  つまり。  僕が蜂と向き合っているなら、蜂の正面に絶対に立たないことが必要。  そして、何より。  蜂より先に動くことだ。  蜂が先に動けばやられてしまう。  蜂の先をとりつづけなければならない。    ボクシングでは、相手の動きを予測し動くことを、「先を取る」と言う。  相手がどう動くかを予想しきることまでは難しいが、「動き始め」を胸や体幹の動きから見つけることはできる。  むしろ、動き始めをわかりにくくする訓練をしたことがない生き物の「動き始め」はわかりやすかった。  羽の角度が変わる。  その瞬間に蜂の身体の下をすり抜ける。  蜂は、慌てて僕をまた捕捉しよつと、方向を変える。  その隙にまた、すり抜ける。  僕は蜂を交わし続ける。  待つ必要があるのだ。  僕はその間も、とうでもいい、忘れてもいいことを考え続けていた。      僕のゲスの兄貴が「女が実家に押しかけて来るかもしれへんからオレは死んだと言っておいてくれ」と電話で言ってきたこととか。  ゲスの兄貴が「ガキの前で女抱いたらガキが泣き止まないんやけどどうしたらいい」と困ったように言ってきたこととか。  ちなみにガキってのは、兄貴が同棲してる僕らと同い年の男の子で、兄貴は兄貴なりに惚れ込んでいるようなんだけど、ゲスの兄貴にはしてはいけないことがわからないので、無理やり3Pして傷つけてしまったらしい。  なぜ、3Pしたら泣くのかもわからない兄貴に今更何を教えればいいのかわからないので「今すぐビルの屋上から飛び降りて死ねや」とだけ教えてある。  同棲している男の子は兄貴からいつでも逃げれるし、なんならいくらでも手を貸すのだが、あの子はあの子で色々あるみたいや。  何でかあのゲスな兄貴を可哀相な位慕ってる。  わけわからん。  「何でそんなことしたんや、このゲスが」  と兄貴に一応聞いた。  「泣くのが、オレが好きやから泣くのがたまらんかったんや。そんなん可愛い過ぎるやん。オレが女に突っ込んで女イカせる度に泣くし、ほんなら、もう可愛いてしゃあなくなるやん?途中から女ほったらかして、ガキだけを可愛がってたんやで?」  そう困ったように答える兄貴の気持ちがちょっとだけ、ちょっとだけ、わかってしまったことは認めたくない。  僕がすることに(まぁ、あれやこややね)嫌がってても、それでも感じてしまって、それが嫌で、でも僕が好きで泣くアイツに僕は一番興奮するからや。  なので、これも忘れてもええ記憶やな。  そういう記憶を思い浮かべて餌にする。  記憶蜂。  記憶蜂は記憶を餌にするのだ。  元々は人間がいる町などで、人間から記憶を喰らっていたらしい。  怪異は人に見えないから。    町中で人は攫われ、巣に連れ込まれ、記憶を吸い出される。   毒針で動けなくされ、発達した顎の向こうにある口から、針のような口吻が伸び、耳に差し込まれる。  それは針よりも細くなり脳に刺さり、記憶という記憶を吸い尽くすのだ。  珍しい怪異らしい。  後、繁殖前にしか「記憶」は喰わないそうだ。  繁殖期以外は動物や人間の肉を喰うそうだ。    「今は繁殖期。記憶蜂達は記憶を欲しがるはずや」  アイツはそう言った。    僕の記憶の匂いを記憶蜂は嗅ぎつけた。    攻撃フェロモンとは違う匂いが空中に満ちる  餌はここだ、と仲間に知らせる匂いや。  僕の記憶と肉を、記憶蜂は欲しがっている。    蜂の羽の角度が微か変わる。  僕は記憶蜂が動く瞬間にすりぬける。  完璧なデザインである蜂は、完璧であるがゆえに、同じ動きしか出来ないのだ。  ただ避けるだけなら、簡単だ。  ずっと、避けていられる。  そう、一匹やったらな。  羽音がした。  目の前にいる蜂と違う羽音が。  蜂が宙に撒いたフェロモンを仲間の蜂が受け取ったのだ。  敵がいる匂い。  餌がいる匂い。  蜂は集団で一つである存在。  敵も餌も、皆で情報を共有する。  匂いをつかって。  僕は振り返る。  新しい蜂がそこにいた。  そして羽の動きを確認。  すぐにその蜂の下をすり抜ける  二匹の記憶蜂。  どちらの攻撃も先をとらなけらばならない。    羽、動く、潜る。  羽、動く、くぐる。  二匹同時になると、僕のステップは複雑になっていく。  目で羽の動きを追うのも大変だ。    少し遅れた。  着ていたパーカーが顎のハサミにひっかかり、切り裂かれる。    ヤバい。  少しでも気を抜いたなら、切り裂かれ、毒針を打ち込まれるだろう。  記憶を吸われ、肉を切り裂かれ、肉団子にして巣に持ち帰られてしまう。  また羽音。  三匹目が登場だ。  ステップはさらに複雑になる。  タンタンタン  僕は軽やかに動く。  端から見るとまるで僕が華麗に蜂の攻撃をかわしているようにみえるだろう。    でも違う。    僕は蜂達より僅かに先に動いているだけなのだ。  彼らが動くちょっと先にだけ。  でも、4匹目が来たとこところで僕はここまで、と決めた。  よし。  僕はアイツが用意していたそれを被った。  それは透明な大きなビニール袋だった。  足首まで隠れるほどの。    「黒!!」  僕はどこかに隠れている黒に向かって叫んだ。  ちゃんと合図に答えてくれや!!  僕が嫌いだからって無視せんといてな、お願いやから!!  何かのついでに僕を殺そうという感覚が黒たちに無いわけではないのを僕は知ってる。  何故なら僕もそうだからだ。  僕と、黒と赤。   アイツを奪いあうライバルなのだ。  チャンスがればつぶしておきたいのは本音やね。    だが、今は・・・頼む!!  打ち合わせの通りにしてくれ!!  走り逃げる僕の背後についた蜂。  顎のハサミがビニールごと僕を切り刻もうとする。  ガチッ  ビニールはハサミを跳ね返す。  黒がダイヤ並みに硬い硬度にビニールを変化させたのだ。  毒針を刺そうとしてきても、はねかえす。  僕は走る。。  とにかく走る。  蜂達に思い切り身体をぶつけられながら走る。  これもそんなに長くは持たない。  黒の能力は数分だけだ。  走りながらポケットから紙を4枚とりだす。  アイツが渡してくれたモノだ。  そこには僕が自分の名前を書いてある。  指先を切って、その血で書いた。    僕はそれを放り投げた。  「赤!!」  僕は叫ぶ。  赤が白煙の幻覚を作り出した。  視覚にも頼る蜂達は止まる。  それと同時に被っていたビニールをで着ていたパーカーをくるみ、つけていた軍手を紙にむかって投げた。  ズボンも投げ捨てる。  パーカーの下に着ていたTシャツもだ。  紙は風船みたいに膨れ上がり、4人の僕になった。    みんな服は着ていない。  裸だ。  でも、全裸、ともいえない。  素裸に軍手を右手にだけつけた僕。  素裸に軍手を左手にだけつけた僕。  Tシャツだけ着て下はすっぽんぽんの僕。  素裸にズボンだけ履いた僕になった。    ズボンだけなんははええ。  でも片手に軍手だけつけて、ブランブラン股間のそれなりに立派なモンをさせとる自分の姿には眩暈しかせんかった。  Tシャツしか着てへん僕は軍手以上に変態くさいし。  「嫌やなぁ・・・変態やん」  僕は自分の分身の姿に泣きたくなったが仕方ない。  そういう僕も今、パンイチなのだ。  トランクス一枚だ。  いや、でもまだ靴と靴下は履いとる!!  余計に変態臭いわ!!  だが僕は慌てて叢にとびこんだ。  赤がおそらく木か何かで僕の姿を覆ってくれるはずだ。  白煙が消えた。  そして4匹の蜂は4方向に離れて走っていく、僕の化身を追っていく。  僕の姿と、攻撃フェロモンが染み込んだ軍手やシャツやズボンを目印に。  ビニールでくるんだ分だけ、パーカーの匂いはましなはすだし、何より蜂は逃げるモノを追う。  僕は溜息をつく。  僕に必要だったのはこのパーカーだったのだ。  攻撃フェロモンが染み込んだ。  そして、蜂達に敵がいることを知覚させること。    蜂達はこれで敏感になるはずだ。  必要な時に反応してくれる。  よし、アイツのもとへ戻らへんと・・・・。  僕は満足した。  任務達成だ。  「赤、黒、帰るで!!」  一応今回は裏切らないでくれたことに感謝しながら、赤と黒を呼んだ。  次回は僕が裏切るかもしれへんけどな、とか思いながらも。   そこは、僕も言い切れない。  僕にとっても赤と黒は邪魔者なんや。  赤と黒は近くの叢から飛び出してきた。  ずっと隠れて追ってきてくれたみたいや。  「ほんなら、アイツが待ってるから帰るで」  僕はビニールに包んだパーカーを抱えながら言った。  胡散臭い目で僕を見ていた黒が突然固まった。  耳がゆれる。  赤も固まった。  瞳孔が開くのがわかる。  赤と黒があんぐりと口をあけた。  「なんやねん、どうしてん」  僕は尋ねる。  音がした。    ブンブンブンブン   ブンブンブンブン  ブンブンブンブン  唸るような音が空気を揺らす。      僕は冷や汗が出るのがわかった。  僕は振り返りたくなかった。  でも、振り返ってしまった。  僕の瞳孔も開いていたと思う。  上からこちらに飛んでくるものが見えたから。    黒の耳や赤の目じゃなくてももうわかる場所にそれらはもういた。  20匹以上はいる、記憶蜂。  思ったよりも速く・・・記憶蜂は仲間に情報を伝達していたのだ。  ビニールに包んだパーカーから漏れる匂いに間違いなく彼らは反応していた。    だって彼らは僕だけをみていたんやもん。  黒いガラス戸みたいな目玉が光っていた。  「なをらしら!!」  「なをらしり!!」  赤と黒は叫んで、速攻で消えた。  逃げ出したのだ。  僕を振り返りもしなかった。  「お前ら!!」  僕は叫んだが、当然だとも思った。  これほどの記憶蜂の前では、赤と黒の能力ではごまかせない。  蜂達は一斉に僕にむかって飛んできた。  まさしく、絶対絶命だった。  

ともだちにシェアしよう!