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第40話終わりへ

でも、触手が僕らを貫くことはなかった。    ざしゅ  ざしゅ  ざしゅ  貫く音はしているのに。  ぎしゅら  ぎしゅら  ぎしゅら  甲高い音がした。  それが僕とアイツの周りを取り囲み、触手をその身体に刺さらせている記憶蜂の声だと、目を見開いてわかった。  10体ほどの記憶蜂達が身体を絡ませあい、ドームのようになり、僕とアイツを触手から守っていたのだ。  自らか盾になって。  その身体の硬さは触手を貫かせず、僕とアイツを守っていた。  ぎしゅら    記憶蜂は何度も触手に刺され、体液を吐いた。  金色の体液が僕にかかった。  ぎしゅら  記憶蜂は鳴いた  記憶蜂のハサミのある顎の向こうにある唇が動いた。  笑ったのだ。  僕とアイツに向かって。  そして、黒い目が変色した。  灰色に。  そして、動かきもせず、鳴かなくなった。  死んだのだとわかった。  死んでも、その記憶蜂は僕とアイツを守るドームに組み込まれたままだった。  ぎしゅら  また違う記憶蜂が鳴いた。  そして体液を吐き出す。  その輝く体液はアイツにかかった。  そして、その記憶蜂も死んだ。  でも、彼等は死んでも僕らとナメクジの間で盾になることを止めることはなかった。  彼等は文字通り、死んでもナメクジから僕らを守るのだ。  何故なら・・・。  「嫌や・・・こんなんやっぱり間違ってた」  アイツが泣く    「こんなん・・・ひとすぎる」  アイツかポロポロと泣く。  ぎしゅら  また笑いながら記憶蜂が死んだ。  「コイツら、俺らを自分達の女王やと思ってるんや・・・だから、笑いながら死んでるのに・・・」  アイツは泣いた。  記憶蜂が死ぬのが耐えられなくて。  アイツが瓶から取り出し、振りかけたのはアイツが調合した記憶蜂の女王が出す匂いだった。  蜂達は匂いに従う。  僕とアイツを女王として認識し、そして、僕が持ち込んだ攻撃フェロモンが染み込んだパーカーからの匂いを移したナメクジを敵と認識しているのだ。  人間が目の前で死んだとしても冷静だろうアイツは、大好きな怪異が死ぬことに絶えられず泣く。  「こんなん、こんなん、聞いてへん・・・」  アイツは僕にすがりつき泣く。  僕はアイツを抱きしめる。  これは、アイツのじいさんが使った手、なのだ。  60年前、暴走したじゅすな様が操る判じ蟲を止めるため、アイツのじいさんはこの手を使った。  判じ蟲の天敵である、記憶蜂を呼び出し、判じ蟲に向かわせたのだ。  それがどういうことなのか、アイツにわかってなかったわけはないやろう。  でも、思っていた以上に・・・。    研究対象として扱うには、アイツには怪異は思い入れが強すぎるのだ。  「これは、自然な流れやろ。人間が作り出したモンを、自然に消し去らせるんや」  僕はアイツの爺さんが言ったという言葉をアイツに言ってやる。  僕にはわからんその言葉の意味を。  アイツを助けてやるために。  「わかってる!!」  アイツは泣いた。  ぎしゅら    また記憶蜂が死んだ。  だけど、僕らに見えへん、記憶蜂のドームの向こうでは記憶蜂達によるナメクジへの攻撃が続いているのだ。  記憶蜂を刺す触手の音が段々聞こえなくなっていく。  ああ。  占い師は殺されているのだ、そうわかる。    ギシャア  ギシャア  占い師の叫び声も聞こえるからだ。  蜂達は占い師を毒針で刺し、その鋭い顎で肉を抉っているのだろう。  そして、占い師も蜂達を殺しているのだ。  アイツはポロポロと涙を流す。  死んで行く蜂達に。  そして、おそらく、占い師のために。  「今度こそ。終わらせないといかんのや・・・。蟲を閉じ込め、人間の都合で使ったらあかんのや・・・」  アイツは自分に言い聞かせるように言う。  怪異と人間が対等に契約を結ぶのはいい。  それは在るべき姿。  記憶蜂と判じ蟲が殺し合うのも。  それもまた在るべき姿。  でも、人間の都合で怪異を飼うのは違う。  ましてや、人間と怪異を同化させるなど。  怪異の意志を無視して。  人間が人間の意志を無視することは当たり前のことだが、怪異の意志を人間が無視することなどあってはならない。  それは、あってはならないことで、それはこの世界の歪みを生み出す。  僕にはようわからんけどな。  そういうことらしい。  「それが、こんなに辛いことやなんて。俺、わかってなかった・・・」  アイツが泣く。  僕以外の人間が死んでも、アイツはこんな風には泣かないやろ。  人間は死ぬもの、と思っているから。  と言うより、アイツには人間の存在が遠いのだ。    だけど、怪異は人間よりアイツには近しい。  でも、それは。  怪異と人間は不必要に交わるべきではないという、アイツの爺さんの考え方には反しているのだけど。  僕にはわからん。  わかるんは、アイツが苦しんでいることだけ。  だからしっかりと抱きしめた。  お前のすることが正しかろうが、間違っていようが、関係ない。  僕だけはお前の味方で、お前と一緒におる。  そう決めているから。  きしゅら  また声を上げて記憶蜂が死んだ。  アイツは泣き続けた。  科学者としては正しくないんやろう。  感情的にならずに記録するべきなんやろう。  天敵と戦う、記憶蜂と判じ蟲の戦いを。  むしろ、素晴らしいチャンスとして。    でも。  僕は。  こういうアイツが好きだった。    声が物音が止んだ。  僕とアイツは記憶蜂の体液にまみれていた。    金色の体液は、甘いにおいがした。  ハチミツのような。     僕の裸の胸に顔を押し付け泣いていたアイツが顔をあげた。    「音が止んだ」  そう言った。  ナメクジの叫び声も、記憶蜂の死ぬ前の声も聞こえなくなっていた。  複雑に長い6本ある腕を絡めあい、僕とアイツを守るドームになっていた記憶蜂達はもう、全員死んでいて。    ドサリ  音と共にドームの天井に穴が空いた。  一匹の記憶蜂の死体が取り除かれたのだ。  強靭で、鋭いハサミのような顎が差し込まれ、腕が斬られ、パズルみたいになっていた記憶蜂をドームから外したのだ。  外したのは記憶蜂で。  天敵同士の戦いに勝利したのは記憶蜂だったのだとわかった。  ドームの穴からこちらを覗き込む記憶蜂に僕は恐怖した。  でも、アイツが泣き止んで、静かに記憶蜂を見上げたから、大丈夫なのだとわかった。     記憶蜂が長い腕を伸ばす。  ここから出してくれようとしているのだ。  アイツを抱きしめたまま僕はその腕をとる。  凄まじい力で、アイツを抱きしめたまま、ドームの外に引っ張りだされた。  外に残った記憶蜂は10匹ほどだった。    凄まじい戦いだったのがわかる。  ナメクジはもう微かに動くだけだった。  美しかった占い師の白い顔は、記憶術の鋭い顎で切り裂かれ、ズタズタにされていた。  それでも美しい唇は僅かに動き何かを言っている。  それでもナメクジの方の口からは触手が飛び出し、微かに蠢いている。  記憶蜂達は僕とアイツに跪いた。  女王のフェロモンのせいや。  アイツはナメクジを。  占い師を見ていた。  アイツはゆっくりとナメクジに向かって歩きだす。  「おい!!」  僕は止めようとする。  まだ生きて動いているうちは、自分を殺そうとするものには油断したらあかんのや。  動かんなるまで叩きのめす、それが戦いやのに。  「大丈夫や」  アイツは笑って僕に言った。  その笑顔が透けるようだったから。  僕はアイツの後ろからついていくだけにして、止めなかった。  アイツにはしなあかんことがあるんやろ。  アイツは巨大なナメクジの前に立つ。  ナメクジにはかっては美しかった人間の顔が貼りついていた。  切り裂かれ、鼻も耳もない。  そして、毒針で刺されたのか晴れ上がっいた。  唇だけが、美しくのこっていた  片方の眼球は潰れ、もう一つの目も塞がりかけていたが、その目はアイツをとらえた。  ギシャア    小さな呪いのようなさけびが人間の口からもれ、地面に接したナメクジの口から飛び出した触手が一本、力なく持ち上がり、アイツの首に絡みついた。  飛びかかろうとした僕をアイツは手で制した。  「俺が憎いか」  アイツは言った。  占い師の最後の力はアイツを絞め殺すことなどできない。  だから占い師はその眼差しだけてアイツを呪った。  その憎悪に僕は鳥肌がたったけれど、アイツは静かに受け入れた。    「あんたのあの子はもうおらん」  アイツは指差した。  そこには手のひらほどデカい芋虫みたいな蟲達が大量に蠢いていた。  女の子は蟲に還ったのだ。  そして、その蟲達に生き残った記憶蜂達が口かやら伸びる、細い針のようなものを差込み、何かを吸い出している。  記憶蜂は記憶を喰う。  判じ蟲は人間の記憶を多量に蓄えている。  それを喰っているのだ。  その中には占い師が愛した少女の記憶、占い師自身の記憶もあり、それを失った蟲達はもう少女の姿になることはできないだろう。  ギシャア    占い師は呻いた。  涙を流しながら。  「もうすぐ、あんたは楽になる。あんただってわかってたはずや、いくら記憶の通りのあの子であっても、あの子はとっくに失われていたことを。でも、だからこそ辛かったんやろ。あんたはやっと楽になれる。記憶蜂はな、あんたを救ってくれる」  アイツは首に絡んだ触手を優しく撫でた。  風がアイツの分厚い前髪をかきあげ、アイツの美しい顔が露わになった。  アイツは優しい目で占い師を見つめていた。  「失った人は還ってこんのや。そして、それに対して本当の救いになるんは一つだけなんや」  アイツは自分の首にまきついた触手を優しく撫でた。  「忘れることや。記憶はいつか風化する。どんなに愛していても、何かが少しずつ消えていく。それはな、救いなんや。人間に与えられた、素晴らしい機能なんや。忘れることは」  アイツの声は優しい。  だからわかる。  アイツが誰かを失い、その誰かを愛していたのだと。  誰なのか。  そのことに動揺してしまう。  でも、アイツが言いたいことはわかる。  細かいことは忘れてしまっても、忘れたくないと思うからこそ、わかる。  愛したことだけはのこる。  そうなってやっと。  失ったことに耐えられるのだ。  忘れることだけが、痛みを和らげてくれるのだ。  「覚えていたくても・・・記憶は消える。でも、愛していたことだけが残るから、生きられる。あんたももう楽になり。消えない記憶を生きた姿にしたところで、失った事実は何もかわらん。苦しいだけや。復讐とも、愛し続けることも、記憶とは何の関係のないことやと気付け。忘れ去ることが全てを失うことやないんやと」  優しい声。  そう、アイツは優しい。  本当は優しい。  誰よりも。  「あんたはもう死ぬ。死んだからといって、あんたが死んだ人に会えるかどうかわからへん。でも、このまま苦しみ続けるのは哀れや。忘れることは・・・人間に与えられた素晴らしい機能なんや」  アイツは微笑みさえした。  僕でも見たことのない程優しい微笑みだった。  「あんたも占い師やっとんたんや。知ってるやろ。何で人間は占いを求めるんか。当たる当たらないは関係ないんや。求める答えが必要なんや。生きていくために。答えがあれば、人間は苦しみに耐えられる。それと同じように、記憶を失っていったとしても、愛してたこと、愛していることが残るんなら、記憶はそれほど大切やないんや」  忘却だけが、失った愛の痛みを和らげてくれる。  苦しみの部分を風化させ、愛していた時事だけを残してくれる。  亡くなった祖母は死ぬ前、全てを忘れ去ってしまった。  自分の子供も孫も全部忘れて。  少女になってしまった彼女は、幼なじみのお兄さんを待っていた。  それは死んだ祖父で。  彼女は幼なじみのお兄さんが来てくれると信じ続けてなくなった。  「優しいの。大好き」  少女になった祖母は微笑んだ。  でもどんなお兄さんなのか説明出来なかった。  名前さえ忘れていた。  でも、祖母はそのお兄さんを大好きだったことは忘れなかったのだ。  そのお兄さんが祖母より先に死んだ祖父だったことを僕は後に知った。  何もかも忘れてた中に、それでも・・・愛は残る。  「苦しいことは全部忘れ。あんたは復讐を果たした。あの子の敵をとったんや。あんたがあの子を愛したことは・・・記憶が消えただけでは消えへん。せめて、最期は楽になり」  アイツはナメクジの触手を優しく撫でた。  触手は力無く地面に落ちた。  そして、生き残った記憶蜂達がナメクジに向かっていく。  彼らは口から針のように細い管を伸ばしていた。  「全部忘れて。せめて最期は楽になり。あんたに起こったことは消せん。あんたがしたことも。あんたの怨みも消えん。あんたの愛もな。・・・・・・最期くらい、安らかに」  アイツはそう言って、ナメクジに近づき、かっては美しかった占い師の顔を撫でた。  「今度こそ、完全に消し去る。もう、二度と蟲や子供を犠牲にせん」  アイツは約束したのだ。  占い師は、その言葉をどう受け取ったのか。  占い師は目を閉じた。  その占い師の2つの耳に記憶蜂が二匹、口から伸びる針のように細い管をさしこんでいく。  記憶を吸い出すのだ。  占い師の中にある全ての記憶を。  その脳から。  占い師が目を開けることはもうなかった。  ただ、閉じた目から流れる涙と。  小さな微笑みがその美しい唇に残っていた。  酷い記憶や痛みは消え去り、最期に愛だけが残ったのだと・・・僕も思いたい。  だって、それがアイツの望みやから。    生き残った記憶蜂達はテキパキと作業をしていく。  仲間達の死骸を持ち去る。  持って帰り、仲間の死骸も苗床と言われる卵を産みつける台にするのだとか。    判じ蟲達は記憶を吸い出された後、放置される。  彼らが記憶以外で必要なのは判じ蟲の女王なのだと言う。  その女王であるナメクジは記憶を吸い出され、死んだ後、記憶蜂の強靭な顎で切り裂かれ、その肉片を運ばれていっている。  「苗床にするんやろ」  アイツが言った。  基準がわからんけど、苗床に良いのと悪いのと、なんかあるんやろ。  余った肉片は産卵前の女王蜂と記憶蜂達が食べるらしい。   記憶を吸い出された判じ蟲達は放置された場所で、蠢きあっている。  数日の内に蟲の中の一匹が変異し、その身と引き換えに女王の卵を生む。  そして、女王が卵から還ったなら、判じ蟲達は女王が卵を産む時期まで山の中に散り散りになるのだという。  この山の中には記憶蜂の巣もあるわけで。  化け物達の山やねんね、ここ。  記憶蜂はふつうの人間には見えないらしいけど。  「ここは国有地になる。村の連中ももうおらんしな」  アイツが言った。  「国も狭間を無視出来ん。無視した結果は人間に跳ね返ってくるからな。ここはこのままになるやろ」  アイツが言うからそうなんやろ。  迷いこんだ人間達が記憶蜂に喰われたり、餌を求める記憶蜂がふもとの町で人間をたまに攫ったりすることはあるだろうが、基本、繁殖期以外は人間を襲わないで大した問題ではない、とアイツは言い切った。  記憶蜂が死ぬ時と随分態度が違うな、と思ったが、僕には関係ないことや。    そう、アイツが言うんやったらそうなんやろ。  匂いが薄れていくに従い、記憶蜂達は僕達に無関心になっていく。  餌を運んでいるし、それどころではないのだろう。  アイツを後ろから抱き込んで座ったまま、二人でぼんやり占い師がバラバラにされるのを見ていた。  僕は不意に怖くなった。  愛する者はいずれ喪われることに気付いたからだ。  僕からコイツが奪われる日は絶対に来ることが強烈な実感として分かったからだ。  僕がどうやってでも手放さないとしても、死は訪れる。  どちらかに。  確実に。    「死んだからと言ってお前の愛する人に会えるかどうかわからない」  アイツが占い師に言った言葉が聞こえる。  それが恐ろしい事実だったから。  もしアイツが死んで、それを追いかけて死んだとしても僕がアイツに会えるかどうかの保証などない。  嫌だ。  離れたくない。  怖い。    そしてもう一つの恐怖。  「お前は僕が先に死んだら、僕を忘れてしまうん?楽になるために」  僕は答えを聞くことが怖いのに言うてた。  「そやな。忘れる」  アイツはあっさり言って微笑んだから、僕は死ぬほど落ち込んだ。  「だから、俺はお前が俺といてくれる今、この時間が・・・この一分一秒が大切やねん。お前が俺をいらんなっても、俺を置いて行ってしもうても、俺にはお前とおった時間があった。それは誰にも奪われへん。忘れ去ったとしても」  アイツは小さな声で言って、僕に顔を見せないように俯いた。  顔見たかったけど、我慢した。  いろんな感情がこみ上げて、アイツを押し倒したかったけど、我慢した。  僕の愛を信じないアイツへの怒り。  深く愛されていることの喜び。  忘却や孤独さえ恐れないアイツの勇気への敬意。  この腕の中にいる、非力で強い男への・・・愛しさ。  セックスでどうにかしてしまってはいけない時があるのは、この僕にだってわかるんや。  「離れへん」  僕はかすれた声で言うのがやっとやった。  僕達がいつか引き裂かれるその日までは。  僕はお前から離れへん。  離さへん。  お前がその時間が大切なのだと思ってくれるのだから。    愛してる。  言っても伝わらない言葉は飲み込む。  いつか届いて欲しい。  お前の愛が僕に届いているように。

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