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第10話
昼休みになるやいなや弁当を持つと、後ろから僕を追いかける玉井の声を無視して、教室から飛び出した。
気が逸 り、駈け出しそうになる足をおさえながら、昼休みでごった返す廊下を人にぶつからないようにしながら過ぎ去る。
朝、約束した場所にはまだ山野の姿はない。
気が付くと少し息切れをしていた。
一分、一秒でも早く山野に会いたい、長く二人の時間を過ごしたい。
山野へのこの感情が友情ではもう説明がつかない事を自分でも気が付いてはいる。
しかし、友達として付き合っているこの関係を壊したくはない。
そもそも、山野が僕をβとしてではなく受け入れてくれるのか?
受け入れれば山野が隠し通そうとしている全てを僕の告白によって、曝け出すような事になるだろう。
そんな事をさせていいのか?
考えれば考えるほど、今の関係を続けていくしかないという答えにしか行きつかない。
しかし今朝のように、あんな微かな匂いだけでも山野を体が感じ取ってしまったら、僕は僕を止めることができないだろう。
今だって朝の匂いを思い出すだけで体が熱くなっているようなこんな状況なのに、山野と友達でいられるのだろうか?
はぁとため息をついた時、トンと肩を叩かれた。
振り向くと山野が少し息切れしながら立っている。
それを見て少し嬉しさを感じながら、それじゃあ行こうかと歩き出した。
山野が教えてくれたのは校舎から少し離れた、客用の駐車場の側だった。
そこから少し歩いたところに一本の木とその下にベンチがあった。
「ここだよ。いい場所だろ?」
「こんな所、よく見つけられたね。凄いな、山野。」
どうやって見つけたの?と聞くと、ちょっと先生からと言って言葉を濁した。
ふーんと言いながら、ベンチに向かって歩き出した。
山野はそんな僕の反応を見て、静かにほっと溜息をつくと僕の後を追って来た。
二人でベンチに並んで座り見上げると、太陽の強い光を木の葉がちょうどよく遮り、風が過ぎ去っていく。
深く息を吸って、ぐっと体を伸ばした。
「いいね、ここ。山野、教えてくれてありがとう。」
「気に入って貰えて嬉しいよ。それよりも時間なくなっちゃうから、食べよう?」
そうだねと頷くと弁当を膝に置いた。
初めは弁当の中身をあれこれ話していたが、そこから家族の話になった。
「家は両親共αなんだ。幼馴染でずっと付き合っていて結婚。今でも言葉はあれだけど、見てる息子の僕が恥ずかしくなる位にラブラブってやつ。そんなだから、特別αだからとかっていう話は家では全く無くて、たから僕もαっていう事をあまり考えずに今までいられたのかもなって思う。ただ、あまりに無頓着すぎたが故に、山野には迷惑かけてばかりで本当にすまない。」
そう言って頭を下げた。
山野は笑って大丈夫だよと言いながら、僕の肩を軽く叩いた。
「じゃあ、福木の家は全員αなのか…凄いな。お父さんって何をしてるの?」
山野が好奇心を隠さずに聞いてくる。
「貿易関係。仕事の関係でずっと外国にいるんだ。実は僕が高校入学したその日に、母はもう無理って言葉を残して父の元に行ってしまって…。そのまま二人でずっと外国で暮らしてる。」
「え?じゃあ、福木って今は一人暮らし?」
山野が驚きと羨ましさを合わせたような顔で聞いてきた。
「実質、そう。」
「実質?」
「一応、通いで家政婦さんが平日に来てくれてはいるんだけれど、僕が帰宅する頃には彼女も帰っているからあまり会わないんだ。だから実質一人暮らし。」
「なるほど。」
羨ましさが顔だけではなく声にも溢れ出ている。
「山野の方は?」
僕が尋ねると、面白味は全くないよと前置きしたうえで、
「家は平々凡々な中間層だよ。両親は二人共βの恋愛結婚。兄と弟がいて、小さな部屋で背中を丸めて慎ましく暮らしているよ。」
そう言うと、福木が羨ましいよとため息をついた。
「兄弟はβ?」
山野の体がびくっと反応した。
「兄弟も俺も両親も、みんなβだよ。」
聞いてもいない答えまで返ってきた。フーンと頷くと、再び弁当をつつき出す。
山野も僕をまねして、弁当をつつき出した。
ふっと思いついた事を山野に提案してみた。
「あのさ、金曜の放課後から週末を僕の家で過ごさない?例えば金曜の朝、月曜日の用意を駅のロッカーに入れて、帰りにそれを出して二人で僕の家に帰る。それで月曜日まで二人きりで過ごして、月曜日に一緒に学校へ行く…っていうのはどうかな?」
「え?」
ちょっと狼狽えた顔する。
「ずっと使っていない客用の部屋もあるし。土日って家政婦さんも休みだから、さすがに寂しいっていうか…さ。」
山野はうーーんと考えだした。
「それに一人だとご飯を食べてもおいしくないし、面倒くさくなって何も食べずに過ごしてるって事もあったりしてさ。こうやって家でも一緒に山野と食べられたら、きっとすごくおいしいと思うんだ。面倒くさいからって言う理由で食べるのも忘れずに済みそうだし。」
どうかな?と山野を見つめる。
「そんな風に言われたら、断れないじゃないか…あぁ、もうわかったよ。母さんに聞かなきゃだけど、多分大丈夫だと思う。」
しぶしぶ顔を作りながらも嬉しそうに山野がオーケーを出してくれた。
自分を抑えられる自信もないのに山野と二人きりで過ごすなんて正気の沙汰ではないと思いながらも、それ以上に沸き立つ溢れ出る嬉しさが僕の心配を飲み込んだ。
腕時計に目を落とし、そろそろ戻ろうかと立ち上がる。
「明日が金曜日だけれど、来られる?」
「あした?」
ちょっと驚いたような顔になったが、多分大丈夫だと思うと言ってくれた。
「そっちこそ、家政婦さんは大丈夫なの?」
心配そうに聞いてくる。
「ごはんとかはいつも多めに作ってくれてあるし、部屋も使っていないとはいえ掃除は欠かさずしてくれてあるから、特には大丈夫だと思うよ。あ、山野のお母さんに母から電話させようか?」
「そうだね。そうしてくれたら母さんも安心するかも。」
「わかった。今夜にでも電話をかけるように言っておくよ。あと、家政婦さんにもきちんと話をしておくから心配しないで。」
何としてでもこのチャンスを逃したくはない。
自分でも前のめり過ぎると思いながら山野にノーと言わせないように堀を埋めていく。
これで友達でいたいだなんてよく言えるもんだと苦笑する。
山野がどうしたの?と不思議がるので、君が家に来てくれるのが嬉しくて勝手に顔が緩んじゃうんだと言うと、何だよそれと言いながらも顔を真っ赤にしてダッと山野が走りだした。
追いかけるように走りながら山野!と声をかけると、放課後に!と手を上げて山野が校舎の中に消えていった。
それを見て少し歩を緩めると、ふわっと山野の残り香が僕の鼻をくすぐった。
色々と沸き立つ感情に支配されそうになる。
こんなんで山野と明日から一緒にいて何事も起きないわけがない。
しかも家の中という自分を制するものが何もない状況では、山野に対してひどい事をしてしまうのではないかという不安しかない。
それでも、山野と一緒にいたい。
なるようにしかならないか…。
そう独り言ちると、教室に向かって歩き出した…。
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