15 / 37
第15話
玉井が走り去って行く靴音が消えた後の空間には重苦しい沈黙だけが残った。
座らされたベンチから少し頭を横に向けて眩しい明かりを放っている駅を見ながら、何事もなければ今頃は山野と二人で電車に乗って僕の家に着いている頃なんだよなぁとぼんやり思う。
はぁとため息が出る。
さっきまでの公園での山野と二人だけの甘い時間が嘘のようだ。自業自得とは言え、天国から地獄に真っ逆さまとはまさに今の僕の事だろうなと自虐気味に思いながらため息交じりにハハと嘲笑 う。
山野はさっきと同じ、僕の声があまり聞こえない位に離れた所でじっと下を向いたままで立っている。
少し離れた所で灯っている街灯の明かりだけでは、下を向いて影になっている山野の表情までは見る事はできない。
月も今は雲に完全に隠れて、その明かりを僕達二人の元に落としてはくれない。
声をかけたいが何をどう言ったらいいのか思いつかない。
大体、今更何かを言ったところで言い訳にしかならないだろう。
はぁと今度は思いのほか大きなため息が出た。
僕達が今いる場所は大通りや住宅街とは逆の為、駅からこちらに来る人は皆無に等しい。
また、線路がそばにあるとはいえ、一路線しか通っていないうえに帰りのピークも過ぎ去ったこの時間では、そこまで頻繁に電車が通る事もない。
結果、二人の間に流れ続けるただただ静かで重苦しい空気を打ち破ってくれるものは何もなく、僕自身が動いてその空気を打ち破る勇気もなく、ただただじっと気配を殺すように、この沈黙を打ち破ってくれる存在を、先ほどまでは憎らしかった玉井を今では早く帰ってきてくれと待ち望みながら静かにベンチに座り続けていた。
こんな状況で山野と二人きりで週末を過ごしていたら、居た堪れなくてどうしようもなかっただろうから、玉井が来てくれる事になって、逆に良かったのかもな。
そんな事を考えているとふっと風が動いた。
「あのさ…。」
急に声をかけられて顔を上げると、いつの間にか山野が僕の近くに立っていた。
「あ…何?」
作り笑いを浮かべ、どぎまぎしながら答える。
「ここ座って、いい?」
山野が何の表情も見せず、僕の座っているベンチの隣を指す。
「あぁ、どうぞ。」
僕が少し端によって、場所を空けた。
山野が僕から間を取ってゆっくりと腰かける。
「あのさ…いつから?」
暫くの沈黙の後、山野が意を決したように尋ねた。
僕が山野をΩだと知ったのはいつからか?って事だよなと分かってはいるが、どう答えていいのか…いや、どう答えたら嫌われないですむかを考えあぐねていた。
黙ったままでいる僕に山野が再び尋ねる。
「かばんの中、見たの?」
これを言われたら嘘をつく事も、言い訳もできない。
仕方なくただ頷く。
山野の顔を見る勇気もない僕は、頷いたままでじっと自分の靴を見続けていた。
「何で⁈見たらいやだって、俺言ったよね?福木も、俺に嫌われるような事はしないって…僕の事信用できない?って、そう言ったじゃないか⁈」
山野が一気に捲し 立てた。
「…ごめん。」
下を向いたままで謝る事しかできない。
「俺、信じていたのに!福木は俺の嫌がるような事はしないって、信じていたのに!」
「ごめん…」
山野の声が段々とかすれていく。
多分泣いているんだろうとわかってはいるが、顔を上げることができない。
「所詮Ωなんてα様にとっては…福木にとっては俺なんてっ!」
山野が自分を、Ωを蔑むような事を言い放った。
「ちがうっ!」
我慢できずにガバっと頭を上げて山野を見ると、顔を真っ赤にしてボロボロと涙を零している。
「山野、ごめん!」
そう言って思わずギュっと山野を抱きしめた。
「やめてよ!嫌いだ、福木なんて嫌いだ!!」
山野が僕の胸を拳で叩くが、あまり痛くはない。
山野の手にそんなに力が入っていないことが分かる。
「山野が僕を嫌いでも、僕は山野が好きだ!それが例え玉井が言ったような、Ωの匂いによって引き起こされるΩとαの勘違いだとしても、僕が今まで生きてきた中で、こうやって抱きしめたいと思ったのは山野が初めてなんだ!」
一瞬、僕を叩く山野の手が止まった。
「嘘だ…嘘つきの福木の言葉なんて信じない!」
そう言うと山野が今度は僕の体を腕を突っ張って突き放そうとする。
それをぐっと一層力を込めて突っ張った腕ごと抱き寄せた。
「かばんを開けたことは謝る、ごめん。ただ、電話をもらったのは袋を見つけた後だったんだ。こんなこと何の言い訳にもならないって分かっているし、山野に嘘をついたのも事実だ。本当にごめん。」
「やだ…いやだ!」
山野がふるふると首を振る。
「山野?」
「福木がどんなに嘘つきでも、たとえ俺をどんなにだましていたとしても…福木を嫌いになれない、自分が嫌だ!そして、そんな俺にした福木はもっと嫌だ!何で、何で…。」
そう言って、僕の胸に顔をうずめて山野が泣きながら僕の胸を叩いた。
愛しさが胸に溢れて堪らなくなる。
「ごめん、本当にごめん。山野…こんな時にこんな事をする僕を許して?」
「福木、何す…っ!」
そっと山野の唇に僕の唇を合わせた。
一瞬、山野が顔を背けようとする。
「好きだよ、山野。僕から逃げないで…お願い。」
僕がそう言うと山野の体から力がすうっと抜けていくのが感じられた。
「福木は、ずるい。」
キスをされながら、山野が言う。
僕も自分でそう思う。
「うん、ごめんね?」
こぼれる涙を舌で舐めとる。
「思ってもいないくせに。」
顎、頬、おでこに軽いキスを重ねていく。
「そんな事ないよ。僕が今一番怖いのが何かわかる?」
唇を離して山野を見つめた。
「何?」
「山野に嫌われる事、それが一番怖い。」
そして、山野の首筋に舌を這わせた。
「ん…ズルいよ、福木は。そんなこと言われたら許すしかなくなっちゃうじゃないか…ずるい。」
山野の声に甘い吐息が混じる。
「うん。ごめんね、山野…ズルい僕で、ごめんね。」
そう言って再び唇を合わせた。
「おいおい、そろそろこっちにも気が付いてくれないか?」
突然、玉井の声が頭の上から降ってきた。
驚いて二人で見上げると、大きいキャリーケースを引いた玉井が僕達を見下ろすようにしてベンチの後ろに立っていた。
「結局、俺の思惑通りにはいかなかったか…」
そう言ってチッと舌打ちをすると、
「ほら、さっさと行くぞ。」
そう言って僕の腕を掴んで立たせた。
「自分で立てる!」
玉井の腕を振り払う。
先ほどまではあんなに来て欲しかった玉井だが、今こうやって山野とかなりずるいやり方とは言え仲直りをした後では、当初の予定通りの甘い山野との時間を邪魔する奴でしかない。
玉井に聞こえるようにため息をつくと、僕の目を見て山野がクスッと笑った。
二人で軽く頷くと、座っている山野の手を取って立たせた。
「山野、大丈夫?歩ける?」
そう尋ねた僕に山野がこくんと頷くと、僕に顔を近付けて耳に口を寄せる。
「もうちょっとされてたら、歩けなくなってたかも…だけど。」
そういたずらっぽく囁く山野に、危うく僕の方が歩けなくされそうになった。
ともだちにシェアしよう!