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第27話

次の日、山野が学校を休んだ。 ギリギリまでホームで待っていたが来る気配はなく、仕方なく一人で電車に乗り、待っていた玉井と二人で学校に向かう。 僕の包帯の巻かれた手を見た玉井が驚いて根掘り葉掘り聞いてきたが、うまく話を作って乗り切った。 「山野の欠席だけどな、実は兄貴のところに昨夜遅くに電話が来たらしい。内容はよくわからないんだけど、今日はもしかしたら来られないかもなって兄貴が言ってたんだ。」 「え?どういう事?」 昨日の夜という事は、僕との事で何か起きたのだろうか? まさかそれを玉井に言う事もできず、焦りと心配が心に広がっていく。 「それでな、兄貴がお前に用事があるから、電話するか家に来て欲しいって言うんだよ。どうする?」 「お兄さんが僕に?」 「あぁ。今日の放課後に待ってるってさ。」 それはもう行くしかないし、お兄さんには僕達の事はバレていると考えた方がいいんだろうなと、玉井の顔を覗き見る。 玉井はまだ何も知らされていないようだけれど、この分では今日中にバレると思った方がいいなと、その時の事を思うとため息が出た。 「わかった。放課後に家に行くよ。」 「じゃあ、兄貴に伝えておく。」 そう言って、ポケットからスマホを取り出してお兄さんに電話をした。 放課後が来なければいいと思う僕の気持ちとは裏腹に、今日に限ってあっという間に授業が終わり、玉井と玉井の家に足取りも重く向かった。 「しかし、何で兄貴がお前に用事があるんだろうな?」 玉井が不思議そうな顔で尋ねるが、正直に言う勇気はなく、分からないと言うしかなかった。 まずは玉井の家の方に行き、部屋にカバンやジャケットを置くと、病院に続く内廊下を玉井に案内されて歩く。 東京ではかなり広く立派な庭に、こういう状況でなければ凄いなと思うのだろうけれど、何も感じることなく通り過ぎて行った。 しばらく行った先に扉が見えた。 そのそばにある下駄箱でスリッパからサンダルに履き替える。 扉を開けると、がやがやと病院とは思えないほどに明るい人々の声がして驚いた。 「家は病気の人が来る病院とは違うからな。けっこう明るいし、騒々しいんだよ。」 そう言って玉井が何人かの白衣の人と挨拶を交わしながら先を歩いていく。 外来を抜け、エレベーターに乗り込む。 降りると先程とは打って変わってしんとした静かな廊下を二人で歩き出した。 「ここは一般の人は立ち入り禁止区域だから、さっきとは違って静かだろ?」 うんと頷きながら重厚な扉の続く廊下をきょろきょろと見まわす。 玉井が副医院長室と書かれたプレートの扉の前で立ち止まり、ノックをする。 「兄貴、連れてきたよ。」 玉井が声をかけると、中からあぁと声がして、扉が開いた。 「すまないね、福木君。優大、お前は一度家に戻っていてくれるか?」 僕を部屋に招き入れながら、玉井にそう言うと、玉井は素直に分かったとこちらを見ずに戻って行った。 「さて、福木君。」 僕を高級そうなソファに座らせ、テーブルを挟んでお兄さんがその真向かいに座る。 こちらをしばらくじっと見た後、話し始めた。 「ここへ呼ばれた理由は分かっていると思うんだが?」 「はい。昨日の僕と山野君の事…ですよね?」 そう言って、包帯の巻かれた手をぐっと握る。 それを見たお兄さんがそうと頷いた。 「昨夜、山野君から電話があってね。匂いが止まらないって言うんだ。」 「え?匂いってあの例の匂いですか?」 「そう、Ω特有の匂い。あれが薬を飲んでいるにも関わらず、匂っているって電話が来てね。ただ、状況は匂いだけなんだ。何故か他の症状は出ていない。」 そう言えば、昨夜もふわっと例の甘い匂いがした為、この手に包帯を巻くことになったんだっけ。 そう考えながら包帯の上から手をさする。 「その包帯…首を噛む代わりに噛んだんだって?」 お兄さんに言われて顔がかっと熱くなる。 山野から、どこまで、どんな風な事をきいているんだろう? 嘘をつくわけにもいかず正直に頷いた。 「はい。」 「よく我慢してくれたね。」 「いえ、そこまで強く匂ってはこなかったし、一瞬ふわっとしただけだったので何とかこれで済みました。」 「ううん、そうすると、君と別れてから匂いが強くなって止まらなくなったという事なのか?」 お兄さんが独り言のように呟いた。 「僕と駅で別れた時は山野から匂いはしていませんでした。数人の人たちとすれ違いもしましたが、大丈夫でしたし。」 「うん、Ωのあの匂いなら、βでも気が付くからね。」 どういう事だろう?とお兄さんが首を傾げる。 丁度その時、ふわっと甘い匂いが鼻をくすぐった。 「え?この匂い?」 僕が立ち上がるのをお兄さんが制する。 「ちょっと悪いが、君を縛らせてもらうよ?」 「え?」 「匂いを感じているだろう?私では暴走した君を止められないからね。」 そう言うと、机においてあるベルトのようなもので、僕を縛ると机のところから椅子を持ってきてそこに座らせ、もう一本出してきて椅子に括りつけられた。 「できる限り我慢してくれな?」 頷く僕を見て、お兄さんが扉を開けた。 瞬間、先ほどよりも濃い甘い匂いが扉から部屋に広がり、山野の姿が見えた。 「福木っ!!」 山野が僕の姿を見て、驚いて駆け寄ろうとするのをお兄さんが腕を引っ張って止める。 「山野君!だめだよ!」  お兄さんの言葉にうなだれるようにしてソファに座る山野を見ながら、僕は必死に僕と戦っていた。 濃い甘い匂いが僕の脳を痺れさせ、頭の中では噛みたい、噛みたいという欲望がぐるぐると回っている。 フーフーと荒い息を吐く僕を見て、お兄さんが山野に近付く。 「やっぱり、私には匂わないみたいだ。ここへ来る途中ではどうだった?」 「誰にも言われませんでした。」 「やっぱり…これは一体どういう現象なんだ?」 お兄さんが再び首を傾げる。 「福木君には匂っているんだね?」 こちらを見てお兄さんが僕に尋ねる。 ゴクンと喉を鳴らし、頷く僕にお兄さんがため息をついた。 「ちょっと優大を呼んでみるか?」 お兄さんがそう言うと部屋に置いてある電話を使って玉井に連絡を取る。 ほんの数分で扉をノックする音がした。 例のベルトをもってお兄さんが廊下に出ると、僕と同じように縛られた玉井が入って来た。 「匂うか?」 お兄さんが玉井に尋ねる。 「いいや。山野、ちょっとこっちに来てみろ。」 山野が玉井の側によると、玉井が鼻をくっつけるようにして山野の匂いを嗅ぐ。 「やっぱり全然しない。これ取ってもらっても?」 玉井がお兄さんにぐっと体を寄せる。 お兄さんに解いてもらった玉井が僕の方に近寄ってくる。 「さて、どうしてこうなったのか、教えてもらおうかな?」 びくっと体が飛び上がった。 「兄貴、これ貰って行ってもいいか?」 そう言って僕と椅子とを括りつけているベルトを外し始める。 「玉井っ!」 山野が僕達に近付こうとするが、お兄さんが山野の肩を握り、首を振って止める。 「山野君には少し検査してもらうよ?」 お兄さんに言われ、山野がうつ向いたままではいと答える。 僕を心配そうに振り向きながらも、山野はお兄さんと連れ立って廊下に出て行った。 山野が出て行くと匂いも消え、先ほどまでの事が嘘のように僕の心も落ち着いた。 しかし、それも一瞬の事だった。 「さて、俺達も行こうか?」 いつの間にか僕を縛っていたベルトが外され、玉井が口を真一文字に結んで逃がさないというようにぐっと僕の肩を抱きしめる。 逃げたい! 本気でそう思うが、そんなことをしても玉井につかまるだけだし、まずこの状況で玉井から逃げられるわけがない。 はぁと大きなため息をつくと、廊下の床を見続けたまま僕は玉井の部屋に、これから何が起こるのか想像するだけで恐ろしいあの部屋に戻って行った。

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